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大戸屋「お家騒動」の調査報告書が、まるで昼ドラのような骨肉の争い

今年5月に創業家が突然、会社側の人事案に「待った」をかけたことで表面化した、定食チェーン大手「大戸屋ごはん処」のお家騒動。創業者の三森久実前会長が57歳で急逝してから1年足らずで勃発した社長人事に関する内紛劇は、10月3日に発表された第三者委員会の調査報告書によると、まるで「昼ドラ」のような展開になっていたことが判明。今後も長期化する見通しが予測されていましたが、その後あの騒動はどうなったのでしょうか? 無料メルマガ『店舗経営者の繁盛店講座|小売業・飲食店・サービス業』の著者で店舗経営コンサルタントの佐藤昌司さんが、大戸屋「骨肉の争い」の背景と原因、そして未来の展望までを詳しく分かりやすく解説しています。

定食「大戸屋ごはん処」骨肉の争い

あなたは大戸屋の社長として不適格。相応しくないので、智仁に社長をやらせる」。お家騒動で揺れる定食屋「大戸屋ごはん処」の実質的な創業者で急逝した前会長・三森久実氏の妻三枝子氏は現社長の窪田氏にそう言い放ちました。息子である智仁氏を社長に据えるとの主張です。

三枝子氏は遺骨を持ち、背後に位牌・遺影を持った智仁氏を伴いながら、裏口から社内に入ってきて、そのまま社長室に入り、扉を閉めた上、社長の机の上に遺骨と位牌、遺影を置き、その後、智仁氏が退室し、窪田氏と二人になったところで同氏を詰問しました。

「あなたは会社にも残らせない」、「亡くなって四十九日の間もお線香を上げにも来ない」、「何故、智仁が香港に行くのか」、「私に相談もなく、勝手に決めて」、「智仁は香港へは行かせません」、「9月14日の久実のお別れ会には出ないでもらいたい」などと詰め寄りました。このことは社内で「お骨事件と呼ばれています。

10月3日に第三者委員会が発表した調査報告書にはテレビドラマのような内紛劇が描かれていました。第三者委員会は、お家騒動で悪化した大戸屋のイメージを回復させるため、コンプライアンス及びガバナンスの観点から審議するために8月に設置されたものです。2ヶ月後を目処に報告書をまとめるとしていました。

久実氏は1983年に店舗展開を目的として、株式会社大戸屋を設立しました。女性客が気軽に入れる雰囲気や、健康志向のメニューといった大戸屋のコンセプトが多くの消費者に受け入れられ、事業は拡大していきました。国内での出店はもちろん、香港やアメリカなどの海外にも展開していきました。2016年6月末の店舗数は、国内に344店舗、海外に93店舗、合計で437店舗にもなります。

2015年7月に久実氏は急逝しました。急逝以前から余命がいくばくもないことを医師から告げられていて後継体制を整えることが急務となっていました。そういった状況の中、2015年3月頃に「功労金問題と呼ばれる騒動が発生します。創業家に対し功労金を拠出する話が持ち上がりました。しかし、大戸屋のメインバンクである旧三菱信託銀行(現三菱UFJ信託銀行)や一部の取締役が難色を示します。久実氏は激怒し、反対した取締役の役を外すといった争いが発生しました。

久実氏の後継体制についてもまとまりがありませんでした。久実氏は息子の智仁氏を将来の後継者にすることを望んでいました。しかし、その希望は周知の事実ではあるものの、その時期がいつなのかは必ずしも明確にはなっていなかったことが問題を複雑にしています。現社長の窪田氏が10年間社長を務めた後に智仁氏に社長を譲ることを久実氏が望んだと言われていますが、文章があるわけでもなく明確な意思表示とはなっていません。また、26歳(当時)と若くさしたる実績がない智仁氏が早期に社長に就くことに異論を挟む役員もいました。

久実氏の葬儀後、智仁氏の処遇の話が持ち上がりました。海外事業で研鑽を積ませるというものです。具体的には香港への赴任の内示が示されました。しかし、間もなくのこととして、智仁氏は「父が亡くなって、すぐなのに」怒りを表します。三枝子氏も「相続の問題の整理がついていない最中に香港に行かせるというのか」と抗議の意を示しました。そして、既述の「お骨事件」につながっていくことになったのです。

「大戸屋ごはん処」は急成長を遂げました。一方で、思うような収益を上げることができていない事業もあります。洋食店「祇園ミクニ」や上海の「大戸屋ごはん処」、山梨の工場用地、植物工場といった事業が、赤字あるいは減損を生じさせている問題を抱えていました。これらは「負の遺産」と呼ばれています。そうした中、創業家に対する8億円を超える功労金の支給の話が持ち上がります。しかし、「負の遺産がある中で功労金を支払うことにメインバンクの三菱信託と一部の役員が難色を示しました。そのため、功労金の支払いは先送りされます。

功労金が支払われないことに智仁氏は不信感を抱くようになります功労金が支払われないと相続税などの支払いが難しくなります功労金が支払われないのであれば、株を売って相続税などを支払う必要が生じます。そうなると、持ち株比率が低下してしまいます。智仁氏としては納得ができるものではありません。会社側が智仁氏の株を買い取る提案をしたことに対しても、智仁氏は不信感を募るようになりました。会社側が創業家の持ち株比率を下げる動きに出たと捉えたのです。功労金問題でも両者の間に溝が広がっていきました。

会社側と創業家の間では5回にわたって調停が行われましたが、智仁氏は早期の社長就任にこだわりました。一方、会社側は智仁氏の早期の社長就任に難色を示し、実績を上げた上での社長就任を要請しています。智仁氏は大株主とはいえ、公開している上場企業である以上、下積みが必要であるという理由です。しかし、智仁氏は納得がいきませんでした。

会社側は経験を積ませるという理由で智仁氏を香港に赴任させようとしました。しかし、智仁氏は海外にいる間に会社の雰囲気が変わることを恐れました。三枝子氏のアドバイスもあり、香港赴任日の直前に取締役辞任届けを提出しました。智仁氏は会社を離れることになりました。

会社側と創業家の対立は先鋭化していきましたが、両者はなおも和解の道を模索していきます。数回の調停を経て、両者は歩み寄りました。智仁氏については、2年後を軸に経営に参画し、当面は米国の合弁事業の事業責任者として認知し、特別顧問として処遇すること、功労金については、一定額の支給をここ1両年中に株主総会に諮ることが調停の合意文に盛り込まれました。三枝子氏は幸せにしてもらったと会社側に謝意を述べ社長の窪田氏は和解に深く安堵・感激して落涙しています。

しかし、両者はまたも決裂します。合意書には「2年後に復帰」とあるものの、よく読むとそれらのくだりは単なる努力目標に過ぎないと智仁氏は受け止めました。そのため、合意書は破棄されました。その後、両者は互いに代理人弁護士を立てるなど、直接対話ができないほど関係がこじれています

調査報告書や報道を確認する限り、会社側と創業家の双方に問題があります。さらに、メインバンクの三菱信託の介入が話を複雑にしています。三菱信託は智仁氏が社長に相応しいとは思っていなかったのでしょう。取締役時の智仁氏の年齢は26歳です。経験を積んでからの智仁氏の社長就任、または経験不足を理由とした排除を狙っていたと思われます。「お骨事件」が象徴するように、智仁氏が母親の三枝子氏に頼っている姿を見ると、上場企業の社長としては物足りないと思われても不思議はありません。

会社側の対応も後手に回っていました。功労金は経営上大きな負担です。おそらく三菱信託が待ったをかけたと思われますが、一度話を俎上に載せたのであれば、迅速に支払うべきだったといえるでしょう。契約金額が12億円超の保険金を原資とすれば大きな負担ではないはずです。創業家への配慮も足りませんでした。海外での修行といえば聞こえはいいのですが、排除のための左遷と捉えられても不思議はありません

大戸屋のお家騒動は事業承継の難しさを浮き彫りにしました。公開の上場会社とはいえ、創業者が家族に事業を承継させたいと思うのは当然の心理です。一方で、会社の経営陣は創業者の意思を尊重しつつ、株主やメインバンクといったステークホルダーに配慮を示すことも当然に必要です。両者の利害は必ずしも全面的に一致しません。ただ、完全な利害の一致は無理にしても早い段階で両者が納得できる妥協ができたのではないかと思えてなりません。コミュニケーション不足の感が否めません。

大戸屋は消費者不在の論理をかざしています。お家騒動が勃発した企業のご飯を好んで食べたいと思う人はいないでしょう。消費者のそうした思いを無視した形でお家騒動を起こしたことは、会社側と創業家の双方に問題があるといえます。はたして、不味い飯を食わされている消費者の気持ちを考えているのでしょうか。早期の解決を願ってやみません。

image by: 大戸屋公式Facebook

 

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著者/佐藤昌司
東京MXテレビ『バラいろダンディ』に出演、東洋経済オンライン『マクドナルドができていない「基本中の基本」』を寄稿、テレビ東京『たけしのニッポンのミカタ!スペシャル「並ぶ場所にはワケがある!行列からニッポンが見えるSP」』を監修した、店舗経営コンサルタント・佐藤昌司が発行するメルマガです。店舗経営や商売、ビジネスなどに役立つ情報を配信しています。
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