「資生堂」や元号の「大正」の由来や「挨拶」「玄関」といった言葉の元々の意味についてスラスラ答えられる方、なかなかいらっしゃらないと思います。無料メルマガ『1日1粒!「幸せのタネ」』では、知っていれば人生が豊かになるこれらの出典や本来の意味が紹介されています。特に「挨拶」「玄関」の変わりぶりには驚かされますよ。
言葉の由来を探ってみる
先日参加した「易経講座」で教わった卦(か)は、坤為地というとても重要な卦なのですが、この坤為地の彖伝(たんでん)の中に
彖(たん)に曰く、至れるかな坤元、万物資(と)りて生ず。
という一節があります。彖伝というのは、その卦のイメージに関する解説という感じのものですが、「坤はすごい。全てのものはここから生まれる」ということを言っています。この「資(と)りて生ず」というところが、そう、あの「資生堂」という会社の由来です。また、続きが、「順いて天を承く」となっていて、「順天堂大学」はここからとったのかとも思ったのですが、「順天」という言葉は易経の中にたくさんあって、確認がとれませんでした。
他に、元号の「大正」は、「地澤臨(ちたくりん)」という卦の彖伝に
大亨以正、天之道也。
(大いに亨りてもって正しきは、天の道なり)
というところから取られています。他にも色々あるのですが、易経が由来の言葉はいろいろあります。また、易経出身でも意味や使われ方が異なるものもあります。
「豹変」という言葉は、今は「あいつはハンドルを握ったとたんに豹変する」のような、態度ががらりと変わるという中でもどちらかというとあまり良い意味では使いません。しかし、もとは「澤火革(たくかかく)」という卦の6つ目の爻について「君子豹変す」という説明があって、豹の毛の模様が鮮やかになるように、君子は過ちがあればそれをさっと改めて正しい道に戻るものだ、ということだったのです。豹変する君子は素晴らしいほうの意味になりますね。
このように、言葉は元々あった意味、使われ方と異なっていくこともあります。これは易経に限りません。例えば「挨拶」や「玄関」という言葉はどうでしょうか。これは実は禅宗に起源があります。
「挨拶」というのは、もともとは門下の僧の修行がどの程度まで到達しているかのチェックのためにやりとりされる問答のことを意味していました。私達が普段遣っている「こんにちは」や「さようなら」という意味の挨拶とは似ても似つかないですね。
「玄関」も、禅の世界の入り口のことをさします。修行の入り口と言ってもいいでしょうか。今は家の入り口で使う方が殆どでしょう(禅宗に入門したら使うのかな…と思いますが、経験がないのでわかりません)。
「豹変」はまだ「がらりと変わる」というイメージは残っていますが、「挨拶」や「玄関」はなかなか結びつけるのは難しいですね。
言葉の意味は時代とともに変わります。価値が上がることもあれば、下がることもあります。「おまえ」は昔は「御前(おんまえ)」で目上の人に使う言葉であったのが、今や目下に使う語です。「未亡人」というのはもともとは「夫が亡くなったというのに未だ亡くならない人」ということですから、かなり酷い意味に感じます(ただし、これは自分をさして言う語、自称語でした)。
何でもない周りの語の由来にちょっと思いを馳せてみるのも面白いものですよ。
たとえば、「魚」はなぜ「さかな」というのか。「ゴジラ」の名付けはどこから? などなど…ということで、今日はこの辺で。
image by: Sorbis / Shutterstock.com
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