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大人の「いい背中」を見て育った子供が、日本の未来を救う理由

連日のように報道される、未成年が引き起こした事件。それらを見るたびに日本の将来を憂いてしまいがちではありますが、今回の無料メルマガ『Japan on the Globe-国際派日本人養成講座』では、そんな暗い気持ちを吹き飛ばしてくれる「子どもたちの作文」が紹介されています。まだまだこの国の親子、そして先生方も捨てたものじゃない、そんな気分にさせてくれるエピソードばかりです。

日本を救う子供たち

時計のはりが7時半を回った。「ドラえもん」を見終わった。お母さんの仕事がふと気になったのでお母さんの仕事をしている部やに、そっと入ってみた。

 

「あと何まい?」
「これがさい後の一まいだよ。」

 

その声が少し明るく感じた。

千葉県の小学校3年生・鈴木稚子ちゃんのお母さんは塾の先生をしながら、大学受験生のための通信教育の仕事をしている。毎週金曜日になると、たくさんの答案を添削し、郵便局に持って行かなければならない。

わたしはこしをもんであげたり、かたをたたいてあげたりして、仕事が終わるまでお母さんのそばについている。そしてやっと9時39分の京葉線直通の電車にのりおくれないようにいそいでしたくをして家を出て行く。…

 

お母さんが帰ってくるころは、わたしはゆめの中だ。そして次の日、新しい仕事がおくられてくる。そして毎週毎週これがくりかえされる。

「どうしたらそんなにがんばれるの?」

わたしだったらとっくにやめてしまうような仕事なのによくつづくな、と思った。わたしは、お母さんのがんばりをみて、よしわたしもがんばるぞ、と気持ちを強く持とうとするのだが、ついなまけ心がでてきてしまい、いつもの自分にもどってしまう。

 

そこでわたしは、「どうしたらそんなにがんばれるの?」とお母さんに聞いてみたことがあった。すると「仕事をつうじて自分自身をせい長させたいと思っていることと、がんばっているところを子どもたちに見せるのが親のつとめだと思うからだよ」と言っていた。いまのわたしには、お母さんの言っている意味は、全部はよくわからないけれど、がんばっているお母さんがとてもえらいと思う。

「この子供たちが日本を救う!」

千葉県の小中高校生、教師、両親から「教育に関する作文」を募集し、優秀作品を集めた『この子供たちが日本を救う!』という本が出版された。神代(こうじろ)重治という篤志家が千葉県知事や、各市の市長、教育長、小中学校長など多くの人びとの協力を集めて実現にこぎつけた企画である。

寄せられた作文は1,024点にも達し、その中から148点を掲載した文集『1,000の息吹』を7,000部製作して、県内の小中高校に無料配布したところ、大きな反響が寄せられ、平成15年4月に山川出版社から出版された。

一つ一つの作文から、子供たちが何を感じ、考えているかが、じかに伝わってくる。冒頭の鈴木稚子ちゃんのようにひたむきに生きる親や先生の姿勢に感じ入る子供たちが少なくない。もう一人、今度は中学生の例をあげよう。

「私も母のように夢を持って生きてみたい」

中学3年生・篠崎葉月さんのお母さんは旅館の女将さんだ。旅館の仕事と家事とで忙しい母親を見て、葉月さんは「絶対に女将にはならない」と思っていた。

だが、その考え方が少しずつ変わっていったのは、母が私に夢を語ってくれた時からだ。母の幼い頃からの夢は、3階建てくらいの民宿を建てることだった。それが5階建ての旅館となって母は夢を実現させた。だから私はとっくに夢が叶っていると思っていたのに、母は、「私にとってこれは夢への第一歩よ」と言って、これから旅館をどのようにしていきたいかということを私に熱く語ってくれた。それは、老人の憩いの場を旅館内に設けたいということ。…

 

つい先日、私は母に、「何で毎日、こんな大変な仕事を続けられるの」と聞いた。母は迷いもなく、「お客様の笑顔がお母さんの元気になるの。もちろん、葉月たちがいるだけで、お母さんがんばろうって思うのよ」と話してくれた。

 

こんなに生き生きと毎日を過ごしている母を見ると、少しずつ「女将になりたい」、「私も母のように夢を持って生きてみたい」と思うようになった。

お客のために、そして子供たちのために頑張る母親の姿に、葉月さんは人間としての幸福な生き方を学んだ。

「わが家の太陽」

同じく中学校3年の新井淳子さんも、母親の生きる姿勢に感動した一人だ。淳子さんは、お母さんが「わが家をいつも明るく照らしてきた太陽だ」と思ってきた。それがある時、お母さんの友達から送られてきた数年前の手紙を読んで、愕然とした。

なぜなら、その手紙には生活に苦しむ母を気遣う友人の言葉が次々に並べられていたからである。

 

手紙の送られてきた数年前というのは私たちが千葉に引っ越してきた頃のことだ。祖母の介護、慣れない土地柄、近所間での孤立感など、たくさんの悩みや不安にさいなまれ、疲れ切った母が私の脳裏をかけめぐった。そこには、強くてたくましい母はいなかった。私の知っている母ではなかった。

 

それから、私は何度もその当時の記憶を探ってみたが、いつも思い出すのは、学校に行きたくない、とぐずる私を明るい笑顔で見送ってくれた母の姿だけだった。手紙の母を探してみたけれど、見つけることは一度としてなかった。母の当時の気持ちを思うとかわいそうでならなかった。でも、それ以上に、全く、母の気持ちに気づけなかった自分がくやしかった。…

 

祖母は、また病気が出てきて介護が必要となり、母は大変な思いをしている。でも、今度は母が私にも悩みを話してくれるから、少しだけだが母を支えることができる。

 

母がしてくれたように、今度は私がわが家を明るく照らしていきたい。

淳子さんは家族のために悩みや苦しみを隠して明るく生きている母親の姿を発見し、今度は自分も家族のために尽くそうと志すのである。

みんながいるから

小学校2年生の高山なつ美ちゃんのお父さんはタクシーの運転手をしているが、どうやらお母さんがいないらしく、お父さんがなつ美ちゃんの世話をしてくれている。

わたしのお父さんは、タクシーの運転手をしています。朝早い時は、5時半ごろに家を出ます。よるは、12時ごろになることもあります。あまりねる時かんがなくって、たいへんなのに、きちんと朝ごはんを作ってくれます。作れないときは、ちかくにすんでいるおばあちゃんが、作ってもってきてくれます。いっぱいはたらいて、いっぱいつかれていてもお父さんといっしょにねる時が少ししかないのがかなしいです。…お父さんとはいっしょにあそびたいけど、いつもしごとでつかれているので、ゆっくりねてもらいたいです。

お父さんが自分のために一生懸命尽くしてくれるように、なつ美ちゃん自身も誰かのために役立ちたいと思う。

学校で、1年生から6年生までのおともだちがあつまってあそぶ「なかよしかつどう」がありました。かえりの会になって、おなじはんだったももこちゃんがはっぴょうしました。

 

「わたしは、みんなとなかよくできるかなって、心ぱいしていたけれど、なつみちゃんがいてくれたから、あん心しました。なつみちゃんが、そばにいてくれたから、じぶんのかんがえが言えました」

 

わたしは、うれしかったです。わたしがいるだけで、あん心してくれたなんて、ちっともしりませんでした。いるだけでいいなんて。

まだ小さくて人のためには何にもできなくと思っていたなつみちゃんだが、自分がいるだけで誰かの為に役立っていると分かった事がとても嬉しい。

お父さんは、わたしがいるだけで、あん心してくれるかな。おねえちゃんは、どうかな。おばあちゃんは、どうかな。…みんながいるから、わたしもがんばります。たくさんのおともだちもいるから、がんばれます。いつもわたしのそばにいてくれる家ぞくであってください。いつまでも、わたしのともだちでいてください。

おじいちゃんの特技

親が自分たちのために頑張ってくれる姿を見習って、子どもは自分も何か家族のためにしてあげようと思う。それができた時の喜びは大きい。小学校5年生の石橋いずみちゃんのお祖父さんはリュウマチで、一人では歩くこともできない。

でも、そんなおじいちゃんにも、特技があります。

 

それは、絵を描くことです。花の絵が、すごくうまくて、みんなに、うまいねぇー、とおじいちゃんはよくほめられます。こんなおじいちゃんは、わたしの自慢できる一人です。わたしは、おじいちゃんのすばらしい絵をもっと、たくさんの人に見て貰いたいと思います。そして、おじいちゃんのために、絵の小さなてんらん会を開きたいです。…

 

それと、十五夜のばん、月がとてもきれいなので、おじいちゃんに見せてあげようと思い、車いすで散歩に出かけました。田んぼのほうに行くと月がよく見えて、わたしたちが歩くと月がついてくるように思いました。おじいちゃんは、とてもうれしかったようみたいで、なみだをぽろぽろと流して、「ありがとう」と言っていました。みんなで、「きてよかったね。またこようね」と話ながら帰りました。

小学生の自分にもお祖父ちゃんの車椅子を押してやって涙を流すほど喜ばせてやることができる。いずみちゃんの夢は、車椅子の人が楽に行き来できるよう、段差のない道をつくることだ。それができるようになるまでおじいちゃんには長生きして欲しいと思う。

こうして子供たちは人間が生きる事の意味を体験の中から掴んでいくのだろう。その意味とは、家族やクラスという共同体の中で自分の努力を通じて他の人が喜ぶような事をしてあげる事である。

娘が貰った「『小さな親切』実行賞」

子どもたちが他の人のために尽くす奉仕活動を教育に取り入れている学校もある。

先日、父親としてうれしいことがありました。それは、この間まで小学校3年生だった娘たちが、社団法人「小さな親切」運動本部という団体から「『小さな親切』実行賞」というもので表彰されたことです。…

 

私の娘たちの表彰内容は、友達と老人介護施設に何度か訪問し、ダンスを披露したり、お話ししたりしていることに対して表彰するものでした。親や先生が「やりなさい」と言っているわけでもないのに、同級生や年上のお姉さんたちと一緒にダンスを楽しみながら練習をし、みんなで訪問活動をしていたのです。

 

親が見本を見せたわけでもないのに、そういう機会に出会い、自ら楽しんで参加していたことに感心してしまいました。娘の通っている学校では、ボランティアなどについて授業で教えたり、機会をとらえて活動したりしているようであります。…子どもだから何もできない。親は何でもできるし、正しいことをしている、などと考えていたら、とんでもないことになります。

子供たちを自然に楽しく奉仕を向かわせている先生方の手腕も見事である。さらに子供を通じて親まで教育してしまうとは。

日本を救う子供たちを育てている親や教師たち

親が子供のために頑張っている姿に子どもは感動する。そして子どもの自分でも家族や他の人のために何かしてあげたいと思い、それができると大きな喜びを感ずる。こうして子供たちは人として幸福な生き方を学んでいく。

人間はひとりぽっちでは、いくら富や「ゆとり」があっても幸福になれるものではない。ロビンソン・クルーソーが30年近い絶海の孤島での生活で幸福を感じたのは、原住民フライデーとともに暮らした最後の3年間であった。フライデーはクルーソーを父親のように慕ひ、クルーソーもフライデーを「りっぱな、役に立つ人間にしてやろう、それがわたしのつとめだ」と思ったのである。

他の人とのつながりのなかで、何か人のためにしてあげることができた時に人間は幸せを感じる。そしてそのような人間を多く持つ国家は栄え国民は幸福となる。この単純な真実が、戦後教育の「個人の尊厳」やら「ゆとり教育」やらで忘れ去られた所から、わが国の迷走が始まったとすれば、この真実を学んだ子供たちこそが日本を救うだろう。

そしてこういう子供たちを育てるのは、この真実を日々、家庭や教室で身をもって示している親や教師なのである。「この子供たちが日本を救う!」は、素晴らしい子供たちを育てている立派な親や教師が少なくないことを多くの実例で示している。

文責:伊勢雅臣

image by: Shutterstock.com

 

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購読者数4万3,000人、創刊18年のメールマガジン『Japan On the Globe 国際派日本人養成講座』発行者。国際社会で日本を背負って活躍できる人材の育成を目指す。

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【著者】 伊勢雅臣 【発行周期】 週刊

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