政府は『明日の日本を支える観光ビジョン』を策定し、2020年には訪日外国人旅行者を4000万人にするという政策を掲げています。しかし、それに疑問を呈するのは、メルマガ『8人ばなし』の著者・山崎勝義さん。外国人を歓待することは大好きとしながらも、外国人観光客による不愉快な事例も多く、世界的な観光都市バルセロナの例を示しながら、対策の必要性を訴えています。
「おもてなし」なのか「おかねくれ」なのか
客を呼び込むような商売ははっきり言って品がない。それを前提に話をすれば、今、日本を挙げて行われている類の外国人観光客誘致キャンペーンは下品以外の何ものでもない。せっかくの「オ・モ・テ・ナ・シ」の精神も結局は「オ・カ・ネ・ク・レ」なのか、とつい突っ込みたくなってしまう。
一応断っておくが、個人的には外国人を歓待することは大好きである。こんな自分であっても、母国である日本に興味を持って海外からわざわざ大金を払って来てくれたのだから、やっぱりそれなりには好きになって帰ってもらいたいくらいには思うのであろう。
ところが、これが経済という現代の万能価値観によって翻訳されると「いくら金を落としてくれるか」という実に卑しいテーマに成り下がってしまうのである。さらに国や地方自治体はこれを大いに煽り、さまざまな制度や法令を慌てて拵えようとまでする始末である。
ここで改めて問いたい。その金を当てにしなければ立ち行かないほどに日本はヤバいのか。そもそも観光関連の一部の業に携わる者にだけ利益があっても、その周辺の他者にとって大いに迷惑ならば何にもならないのではないか。実際、宿泊施設関連のトラブルや犯罪、運転中の法令違反、観光地での非礼行為等々、不愉快な事例に関しては枚挙に暇がないではないか。
それでも不愉快で収まる程度のことならまだしもだが、この国や国民に害を為す事態ともなれば少々の金どころか財布まるごと落とすくらいのことをしても、とてものこと引き合いはしない。厳格なルールが必要である。
観光税は納める側も悪い気はしない?
海外における一つの例を紹介する。それはスペイン、カタルーニャ州バルセロナの事例である。バルセロナは元々観光地としてそれなりには有名ではあったが、オリンピックのマラソン中継でコース周辺の名所旧跡が美しく紹介されたためにそれ以降爆発的に観光客が増えた。サグラダファミリア教会に至っては寄付金が一気に増え、それまで何十年もかけて未完成だった現場に常設の設計事務所が置かれるまでになり、設計者ガウディの没後100年のメモリアルイヤーには間に合いそうだと言う。
これだけなら大いに結構というところだが、その反作用として今の日本が抱えているのと同様の問題に直面した。そこでカタルーニャ州政府は州内に宿泊する観光客に対して観光税を導入した。確か州都であるバルセロナ市内は少し割高だったように記憶する。これを財源にして、観光地としての美観や治安を守るために必要な種々の業務の費用としたのである。
蓋し、これはいい制度である。俗に「旅の恥はかき捨て」などと言うが、その恥の分くらいは幾ばくかの税金として納めてもらおうという訳である。これは個人的な感想だが、納める側も何故か悪い気はしないのである。
今後、日本が観光立国としての道を歩むと言うならそれはそれでいい。ただ「おもてなしの国」日本に生きる者として、もてなすことと媚びることは全く違う態度であるということを肝に銘じておきたいものである。
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