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藍色を「ジャパン・ブルー」と名付けたのは英国人化学者だった

2020東京大会のロゴマークの色に使用されたことでも注目を集めた「ジャパン・ブルー」は、日本人の多くが身に着けていた藍染めの衣装を見た明治時代に来日したイギリス人化学者が名付けたそうです。なぜ日本人は「藍染め」を好んだのでしょうか? メルマガ『j-fashion journal』の著者で、ファッションビジネスコンサルタントの坂口昌章さんが、藍染め木綿には「スーパー繊維」と呼ぶにふさわしい数々の効能があると明かしています。

藍の効能について

1.「ジャパン・ブルー」は藍染め木綿

江戸時代の後期、日本人の8割は農民だった。農民の多くは野良着を着用しており、そのほとんどは藍染めの木綿だった。商人や職人の多くも、藍染めの木綿を着用していたので、9割近くは藍染め木綿を着用していたのかもしれない。

明治8年(1875年)に政府の招聘で来日したイギリスの化学者、ロバート・ウィリアム・アトキンソンが「藍の説」という文章に「日本では全国至るところで藍色の衣装を見た」と書いており、その藍色を「ジャパン・ブルー」と記している。

おそらく、アトキンソンは、日本人が着用している藍染めの色を美しいと感じたに違いない。しかし、日本人はどう感じていただろうか。なぜ、大多数の日本人は藍染めを着用していたのだろうか。贅沢を禁止されていたからか。それとも、色が美しいからか。

2.木綿は藍染めと共に発展

「日本後記」によると、最初に日本の三河に綿が伝わったのは799年。崑崙人(現在のインド?)によってもたらされ栽培が開始されたが、1年で途切れたという。その理由は、綿の性質にある。

木綿が伝わる前に、日本人が着ていたのは、麻、絹だった。麻と絹に共通しているのは、抗菌性があるということ。抗菌性があるので、菌が繁殖しない。水洗いするだけで、清潔に保つことができたのである。

石鹸や洗剤のない時代の衣服の条件は、臭わないことだったのだろう。身体を清潔を保つには、抗菌性は不可欠の条件だったのだ。そのため、木綿は普及しなかった。木綿が爆発的に普及したのは、藍染めが出現してからだ。木綿を藍染めすることで、抗菌性を獲得した。

木綿と藍の生産が増えたのは、干鰯(ほしか)や鰊粕(にしんかす)の製造が確立し、大量の肥料を与えることが可能になったからである。

そもそも、綿花栽培や藍の栽培は肥沃な土地に限られていた。日本の三大暴れ川の「板東太郎」の利根川、「筑紫次郎」の筑後川、「吉野三郎」の吉野川の流域で藍の栽培が行われ、現在でも藍染めや絣染の伝統産業が伝えられているのは偶然ではない。暴れ川がもたらす肥沃な土壌が藍の栽培に適していたからである。

3.藍染め木綿は着る薬

藍はその色も美しかったが、藍が木綿と共に普及したのは、その効能ゆえである。『本草和名』(918年)には、解熱剤として藍実が紹介され、『原色牧野和漢薬草図鑑』(北隆館発刊)では、「生藍の葉、乾燥葉、種子の生および煎じ液が、消炎、解毒、止血、虫さされ、痔、扁桃腺炎、喉頭炎に効果あり」と記されている。

また、ふぐの毒には解毒剤がないと言われているが、唯一、「すくも(蓼藍の葉を醗酵させて堆肥のようにし、保存可能にしたもの。藍染めの原料)を生で食べるとフグ中毒に効果がある」という伝承もある。

藍染め木綿のきものは「着る薬」だった。戦国時代、鎧下には藍染めのきものを着たと言われるが、その理由は矢傷、刀傷でも化膿しにくく回復が早いとされていたからだ。

農民が藍染めの野良着を愛用していたのも、過酷な農作業において、虫除け、蛇除けばかりではなく、皮膚病予防の意味が強かったのだろう。

私自身も汗疹になった時、様々な軟膏を試したのだが、全く良くならず、ふと思いついて、藍染め木綿の生地を濡らして、患部を青く染めながら拭いたところ、すぐに痒みが止まり、その後、完治した。その経験から、藍染めは色ではなく、効能で選ばれたことを確信した。

4.藍染めは防炎加工

綿の生地を炎に近づけるとメラメラと炎を上げて燃える。しかし、藍染めにすると、裸火を付けた部分は赤く燃えるが、炎は上がらない。火から離すとすぐに消える。可燃性の綿が、藍染めにより難燃性と防炎性を獲得するのである。

これは、防炎加工のポリエステルより優秀である。ポリエステルは裸火をつけると、熱で溶融し、燃え上がる。

また、藍染めの生地を水で十分に濡らすと、全く燃えなくなる。江戸時代の火消し装束が藍染めの刺し子であり、水を被ってから使用したことを考えると、我々が考える以上に安全だったのではないか、と思われる。

考えてみれば、藍染め木綿は、木綿の良さを生かしながら、更に、強度を上げ、嵩高性を上げ、抗菌防臭、防炎難燃、虫除け、蛇除け等の機能を有したスーパー繊維であり、これが江戸時代の働く人々のワーキングユニフォームになったことは、至極合理的なことだったと言えるだろう。

image by: shutterstock.com

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