総督府をはじめ、現在でも数多くの日本統治時代の建造物を保存・利用している台湾。一方、台湾とは対照的に総督府を爆破するなど、「日帝の残滓」をことごとく消し去る韓国。その差はどこから生じているのでしょうか。台湾出身の評論家・黄文雄さんが自身のメルマガ『黄文雄の「日本人に教えたい本当の歴史、中国・韓国の真実」』でその真相を探っています。
※ 本記事は有料メルマガ『黄文雄の「日本人に教えたい本当の歴史、中国・韓国の真実」』2019年7月10日号の一部抜粋です。ご興味をお持ちの方はぜひこの機会に初月無料のお試し購読をどうぞ。
プロフィール:黄文雄(こう・ぶんゆう)
1938年、台湾生まれ。1964年来日。早稲田大学商学部卒業、明治大学大学院修士課程修了。『中国の没落』(台湾・前衛出版社)が大反響を呼び、評論家活動へ。著書に17万部のベストセラーとなった『日本人はなぜ中国人、韓国人とこれほどまで違うのか』(徳間書店)など多数。
【台湾】日本文化を愛する台湾、共生できない韓国
● 嘉義の林業文化を体験 日本時代の製材所が一般開放 ヒノキ列車も/台湾
この夏、台湾の観光スポットがまたひとつ増えたようです。以下報道を一部引用します。
日本統治時代に建設された南部・嘉義市の「旧嘉義製材所」が一般開放されたのに合わせ、阿里山林業鉄路・文化資産管理処が6日、ヒノキ列車の運行を期間限定で開始した。
嘉義製材所は、1914(大正3)年に操業を開始し、かつては阿里山で伐採した木材を製材して、日本や台湾各地に送り出す、木材の集散地として大活躍した場所です。記事によれば、当時は世界最先端の設備を誇り「東洋一」ともいわれていたといいます。その製材所が観光地として生まれ変わりました。
動力室、事務所、工場など12棟の建物のうち修繕が終わった7棟はすでに一般公開されています。近年発見された、日本統治時代に作られた地下遺構も見どころの一つになっているそうです。また、期間限定のヒノキ列車もぜひ体験してみたいものです。
もうひとつ、日本統治時代の建造物修繕のニュースがありました。基隆にある「基隆要塞司令官邸」です。こちらは、来年夏の完成を目指して工事が行われているようです。以下、記事を一部引用します。
この建物は、乗合馬車「流水バス社」(後の基隆乗合自動車株式会社)を設立して財を成した流水偉助氏の住宅として1931(昭和6)年に建てられた。床の間や押し入れ、天袋などがある典型的な日本家屋で、戦後は司令官の公邸として使われた時期があったことから「基隆要塞司令官邸」と呼ばれる。2006年に同市の古跡に登録された。
● 日本統治時代の社長宅、復元進む 来夏竣工予定/台湾・基隆
今回の総工費は3,700万台湾元(約1億2,800万円)とのこと。竣工式にて基隆文化局の陳静萍局長は、今回のこの修繕は、台湾の歴史と建造物の歴史的意義を後世に残すための偉大な事業であり、それを支持してくれているすべての人に感謝するとの挨拶をしていました。
以前の写真を見る限り、修繕前の状態はかなり痛んでいるようなので、これを修繕するには相当な覚悟が必要だったのではないかと想像します。
嘉義の製材所の修繕費については、記事に明記されていなかったのでわかりませんが、基隆同様に大きな費用が動いたものだと思われます。ここで私が言いたいのは、台湾は日本統治時代を台湾の歴史として受け入れ、価値あるものや意義あるものは正当に評価しているということ。
そして、それらを後世に残したいと思ったら、台湾人の税金を使ってでも修繕し、さらにそれを台湾の観光資源として有効活用しているということです。台湾の歴史の一部である日本統治時代を、台湾を訪れる観光客にベストな状態で訪れてもらい、理解してもらいたい。
日本統治時代の歴史的建造物を税金を使って修繕することに対しても、台湾人からの反対の声もほとんど起こりません。むしろ、観光施設が増えたことを喜び、台湾人の多くがそうした施設を訪れ楽しんでいます。
今、韓国と日本の対立が連日のように日本のマスメディアでも報じられています。韓国の日本に対する態度や徴用工問題などで、韓国の太平洋戦争に対する認識が改めてクローズアップされています。
韓国が中国の子分としてあり続けるためには、こうして日本を非難し続けなければならないのです。そして、その態度を貫く限り、韓国にも日本をはじめとする周辺諸国にも、何一ついいことはありません。むしろ、自国民を苦しめる結果になるだけです。
一方で台湾にはそんなしがらみはありません。日本が、日本統治時代に残していった価値あるものは修繕し、保存して、台湾の歴史の一部として語り継いでいきます。台湾には、こうした日本時代の建物を改修した観光スポットが他にもたくさんあります。日本の皆さんもぜひ夏休みにでも訪れてみて下さい。きっと、楽しみながら日台の歴史への理解を深めることができるでしょう。
台湾の歴史教科書に、日本統治時代についての記述が登場したのは、李登輝元総統の時代からです。中学2年生の教科書に、初めて日本統治時代に建設されたインフラについての記述が登場しました。
それがきっかけで、徐々に日本時代に建設された建物や道路、駅舎などが注目されるようになりました。その後、「哈日族(日本大好き族)」と言われる若者が登場し、彼らによってさらに注目され、今も第二外国語として日本語を選択する高校生は多くいます。
台湾人の親日とは対照的に韓国人は反日です。かつての台湾では、蒋介石親子によって学校で「反日教育」をすることは国策とされていました。また戦前、ことに1930年代には、台湾人は「難治の民」、朝鮮人は「順民」と言われていました。例えば、朝鮮農民は警察と協力して「反日ゲリラ」を追い、山狩りまでしたこともありました。かつてはこのように、朝鮮人と日本人はうまくやっていたのです。
ところが今は逆転しています。台湾は、日本時代に建設された台湾総督府を今でも総督府として使っているのに対し、朝鮮総督府は金泳三時代に爆破されました。この違いは、歴史観の違いです。台湾は多言語、多文化、多文明の社会ですから、考え方が異なる人々と日々闘っていては共生はできません。
まったく対照的な考え方も「反面教師」として認知しないと生きていけないのです。こうして文明衝突や文明摩擦を繰り返して、もまれながら共生してきた台湾人だからこそ、日本統治時代もすんなり受け入れることができるのでしょう。そして、過去の歴史遺産を修復して観光事業に利用できるのでしょう。
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※ 本記事は有料メルマガ『黄文雄の「日本人に教えたい本当の歴史、中国・韓国の真実」』2019年7月10日号の一部抜粋です。