日本では逃げ癖がつくからと、我慢することが美学のような風潮がありますが、それで追い詰められ、自ら命を絶ってしまっては元も子もありません。仕事や勉強、会社や学校の対人関係などで悩んだ時、「逃げるは恥だが役に立つ」という言葉があるように、時には逃げることも必要。現状を打破しようと頑張ることが全てではないのです。4回目となる今回も、小説やエッセイも手掛ける精神科医の春日武彦氏と、現代短歌を代表する歌人の穂村弘氏が、「死」について深く語り合っていきます。
春日武彦✕穂村弘「俺たちはどう死ぬのか? 」
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苦悩と自殺が結びつかない
春日 穂村さんは、自殺って考えたことある?
穂村 まったくないなぁ。
春日 珍しいね。
穂村 え、考える方が多数派なの?
春日 多数派かどうかは分からないけど、物を作る人間に自殺を考えたことのないヤツはいない、みたいな勝手なイメージがあるんだよ(笑)。「もうちょっと苦悩しろよ! そんなんじゃロクなものを生み出せないぞ」って思うわけ。つまり死を考えるくらい苦悩しないと、なんかまだ魂を削り切れてない感じがするのよ。小手先でやってる感がある、というか。まあ、こういう問いは、物書きとしての自分自身にも向けられるわけで、その辺を自問自答し出すと、なかなかキツイものもあるんだけどね。言ってるお前はどうなんだ? とも思うからさ。
穂村 でも僕は、苦悩と自殺とが結びつかないんだよね。自分にとっての理想の図書館とか、理想の灯台とかのイメージがあって、そこにはたくさんの本が収められていて、本を読むのにぴったりなテーブルと椅子が設えられていて、外に出なくても満ち足りた時間を過ごせる——そういうものへの憧れがあるの。自分にとってのそんな場所さえあれば、死にたいと思う気持ちが生まれることはないと思ってて。
春日 でもさ、その理想の環境ってのを考えたとしても、実際には手に入るかといえば無理だったりするわけじゃん? そこでまたガックリ来るとかはないの?
穂村 そのイメージ自体に救われている、とも言えるんだけど、確かに、そうそう手に入らないよねぇ。それどころか現実には、ツライけど耐え忍ばなければいけない環境ばかり。例えば満員電車とかさ。片道1時間45分の通勤電車に17年も乗ってたのが信じられない。ぎゅうぎゅうに押されながら、みんなの耐久力がもっともっと低ければいいのに、って思った。でも、実際には今この場所で、この状況に耐え切れず叫び出してしまう人間がいるとしたら、それは自分だろうな、みたいに思った。みんながもっとメンタルが弱くて、僕よりも先に叫び、電車から逃げ出してくれたらどんなに楽だろう、って。
「逃げ癖」への疑念
春日 今の穂村さんの話は、自分よりツラい人間が他にいることで、「耐えられている俺はまだ大丈夫」と思えて気が楽になる、みたいなことだよね。それは俺も経験があるな。小学校のプールで潜りっこやってた時、当然苦しいから水から顔を出したいんだけど、1番最初に脱落するのはイヤなんだよね。でも、誰かが先に顔を出してくれてたら、気兼ねなく自分も顔を出すことができる。
穂村 でも、その最初の1人がいつも僕なんだよ(苦笑)。大学時代にワンゲル部に所属してたんだけど、登山の時、僕だけ登るのが遅くてさ。みんなは10メートル先で僕が追いつくのを待ってから歩き出す、というのが常で。そうすると、みんなはそのあいだ休憩なのに、僕だけがNO休憩でずーっと歩き続けることになるわけ。ツライけど、悪いのはみんなのペースを乱している自分だって思うから、耐えるしかない。そういう時に、たまたま体調の悪い人がいたりして、自分よりも歩くのが遅くなってくれたりすると、めちゃめちゃ救われるというか、心理的に「こんなに楽だったんだ!」と気づかされる。そんなに苦しいのに山登り自体から逃げる勇気もなかなか出ない。
春日 自分が真っ先にダメになる役割を担うことで、みんなを楽にしている——そういう形で役に立っている、みたいな感覚?
穂村 とてもそうは思えない。それよりも「ここで止めたら一生困難から逃げる人生になるんじゃないか」みたいな思い込みはあったかな。若かったからかもしれないけど。今苦しい局面で逃げると、これから難局にブチ当たる度に逃げるようになるんじゃないか、って。
春日 逃げ癖がつきそう、ってことね。
穂村 そうそう。でも、実際にはそんなことないんだけどね。難局にもいろいろなタイプの苦しさがあるから、山から逃げたからといって、すべてから逃げる人間になるわけではない。実際、人間って分からないなと思ったのが、ワンゲル部でめちゃめちゃ強くて頼り甲斐があった先輩が、就職したら鬱病になってしまったんだよね。けっこう衝撃だったな。でも当たり前のことだけど、山で自然を相手にするのと、会社でたくさんの人に揉まれながら働くのとでは、その大変さの質が全然違う。かつては、そこを一絡げに考えてしまっていたので、今より辛かったのかもしれない。
死に取り憑かれた人たち
穂村 前に先生から聞いた話だけど、ある患者さんが水溜りくらいの水で自ら溺死したって話が忘れられなくて。飛び降りとかなら一瞬だし、飛んだらもうそれまでだけど、この場合、ちょっと顔上げたら助かっちゃうわけでしょ。それでも死ねるという根性というか、それほどまで普通に生きることがその人にとって苦しいことなのかと、ちょっと自分の想像を超えていたな。
春日 その手の話はけっこうあるよ。昔、殺人犯ばかりを収めた超ヘヴィな病棟を受け持っていたことがあってさ。心神喪失ということで、刑を免れた代わりに措置入院となった人たちがメインの病棟ね。そこにいた患者で、それこそ死に取り憑かれている人がいてさ。とにかくチャンスさえあれば自殺しようとするの。理由なんかなくて、衝動的に死にたがる。で、こっちも警戒していたんだけど、トイレに入った隙にぬるぬるの石鹸を自分の喉の奥に押し込んでさ、それで窒息死。とにかくもう凄まじい形相のうえに泡だらけでさ。あれは言葉を失ったな。
穂村 す、すごい衝動だね。お医者さんは、患者が自殺するほど苦しく感じているってことは、診断して分かるものなの?
春日 難しいところだけど、一応なんとなくは分かるよ。
穂村 それは患者さんが訴えてくるってこと?
春日 訴えてくるくらいなら、つまり表現できるくらいなら、まだ元気ある方だよね。
穂村 じゃあ、その人がどれくらい強い希死念慮に囚われているかとかも分かるもの?
春日 それは正直分からない。考えようによっては、そんなに酷かったら、まず医療機関まで辿り着けないと思うから、そこも1つの判断基準かな。だって、布団からトイレまで這って2時間かかるとか、そんな人達なわけだからさ。
穂村 病院は、自殺志願者を物理的に閉じ込めちゃったりすることもあるの? つまり、拘束して死ねなくする、みたいなことはある?
春日 緊急の処置的にはするけど、あくまでそのレベルかな。ずーっと閉じ込めておいても意味ないから。自殺したくなるほど追い詰められた心を、閉じ込めている間に何とか治療するわけですよ。我に返ってもらうためにね。
穂村 そうなんだ。自殺しようとする人がいたら、まわりの人たちは止めようとするよね。友達とかが気を回して、さりげなく先の予定を入れたりすることで、死への一歩を回避しようとしたり。ほら、真面目な人だと、明後日⚫︎⚫︎くんと出かける約束しちゃったから、そこまでは生きていないと、とか考えたりするみたいでさ。でも、かつて僕の担当もしてくれていた編集者の二階堂奥歯さん(1977〜2003年)は、恋人とドライブに行く約束をしてて、「明日はドライブだね、楽しみ」という電話をしながらも、飛び降り自殺してしまった。
春日 彼女が生前ネットで公開していた日記と、関係者らの文章をまとめた本『八本脚の蝶』(河出書房新社)にそのへんの話が載っていたね。
穂村 恋人のショックがどれほどのものだったか……。自分が恋人や家族だったらどうしただろう? みたいなことは、答えは出ないけど、やはり考えてしまう。一方で、彼女と同じように強く死に取り憑かれていて、いつも飛び降りる場所を探して歩いていたような人が、数年経ったらまったく別人のように、そのモードから抜け出していたこともあったから、何があるか分からないよね。
「あとに引けなくなっていく」という恐怖のリアル
春日 つい考えちゃうのが、準備万端整って「さあ、死のう」というところで、「あ、やっぱり……」と後悔の念が生まれてしまったらどうなるんだろう、ってことでさ。「今日はやめとこう」とできればいいけど、状況によっては、あとに引けなくなって……みたいなこともあると思うのよ。
穂村 それ、想像すると怖いなー。自分はもう死ぬことに躊躇し始めているのに、それでも「さあ、どうぞ」という環境が整っていて逃げ出せない……。
春日 それで思い出すのが、吉村昭(1927〜2006年)の昭和的な暗さ満載の短編小説「星への旅」(新潮社『星への旅』収録)なんだけどさ。死にたくなった若者たちが集まって、借りてきたトラックに乗り込んで自殺のための旅に出るというロードノベル風の作品で。最後、海辺の断崖まで行って、みんなで縄で縛り合って一緒に飛び降りようってことになるんだけど、メンバーの1人が「やっぱりイヤだ」って逆らい出すのね。でも、本気のヤツが「そうはさせない」とジリジリ迫っていく。主人公も内心ではイヤだなって思っているんだけど、今更引き返せないし……みたいになって。
穂村 で、どうなるの?
春日 結局みんな一斉に飛び降りて死んじゃうの。イヤな話でしょ(笑)。逃げりゃいいのに、「ここで逃げたらみっともないな」とか「卑怯者って思われたらイヤだな」みたいなことを考えてしまって、死にたくないのにどんどん後戻りができなくなってしまう。
穂村 すごく分かる。これは以前エッセイにも書いたことあるけど、昔点滴してる時にさ、液薬が切れそうになっているのに気付いたんだよね。それで思い出したのが、「血管に空気が入ったら死ぬ」という都市伝説めいた話でさ。そこでナースを呼んで、「あの、点滴がなくなりそうなんですけど(ほら、空気が入っちゃうでしょ)」って言えればいいんだけど、大人だし、さすがに点滴でそれはないだろうと頭では分かっているから、恥ずかしくて言い出せない。でも実はびびってる。本当は命がかかっているんだから恥ずかしいとか言っている場合か?! という話なんだよね。いくら迷信めいた話とはいえ、「絶対死なない」という確証を持てない以上、死の確率はゼロではない。でも、見栄みたいなものがあって声を上げることができない。その経験から、さっきの小説のようなシチュエーションをすごく恐れるようになった。
春日 それから、自殺とはちょっと違うけど、井上靖(1907〜1991年)の短編「補陀落渡海記」(講談社『補陀落渡海記 井上靖短篇名作集』収録)も傑作よ。昔の日本の話でね、補陀落信仰というのがあって、修行をしてしかるべき時がきたら、お坊さんは海の向こうにある極楽浄土に渡るという決まりになっているんだよね。この「海を渡る」というのは、実際のところは「死にに行く」という意味で。主人公の坊さんは、成り行きから「何年かすると海の向こうに発たれる偉い坊さん」だということになっちゃって、まわりは彼を崇め奉るわけ。
穂村 それでだんだん後に引けなくなっていくわけね。
春日 で、最後はやっぱり取り乱すんだけどさ、もう船が用意してあるから逃げられない。しかも、半分棺桶みたいな船で、その中に無理矢理入れられて釘打たれてさ。で、すごいのはここからで、流されるんだけど、途中で嵐に遭って島に流れ着くんだよ。ああ、助かった! と思ったら、関係者に発見されて「おやおやこんなところで」ってもう1度釘打たれちゃう。一切救いなし。
穂村 ホラー映画の、「助かった!」と思ったらもう1回襲ってくるパターンだ。
春日 この小説は、日に日に状況がヤバくなってくことが本人も分かっているし、逃げようと思えば逃げられるはずなんだけど、それでも腰が上がらないっていうあたりの描写がやたらとリアルなんだよね。井上靖はいいよー、さすが実はノーベル文学賞候補だった男!
穂村 今回は「自殺」という重いテーマだったけど、先生、なんだかとても生き生きしているね(笑)。
(第5回に続く)
春日武彦✕穂村弘対談
第1回:俺たちはどう死ぬのか?春日武彦✕穂村弘が語る「ニンゲンの晩年」論
第2回:「あ、俺死ぬかも」と思った経験ある? 春日武彦✕穂村弘対談
第3回:こんな死に方はいやだ…有名人の意外な「最期」春日武彦✕穂村弘対談
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春日武彦(かすが・たけひこ)
1951年生。産婦人科医を経て精神科医に。
穂村弘(ほむら・ひろし)
1962年北海道生まれ。歌人。90年、『シンジケート』
ニコ・ニコルソン
宮城県出身。マンガ家。2008年『上京さん』(ソニー・