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「あなたは人間じゃない」にどう反論する?哲学者も悩む意識のハードプロブレム

人間の脳は物理的な物体です。それなのになぜ、私たちには「心」や「意識」があるのでしょう。同じ物体にすぎないコンピュータにも魂は宿る?でも、ちょっと待って。そもそも自分の家族や友達に「意識」が存在している保証なんてどこにもないのかも――そんなことを真夜中にベッドの中で考えたことがある人は、哲学者としての素質があるかもしれません。これは現代でも哲学者や科学者を本気で悩ませる「超難問」なんです。先人たちはこれまでにどんな議論を繰り広げてきたのでしょうか。メルマガ『中野明のストリートで哲学を語ってみた』の発行者で作家の中野明さんが、あなたを哲学の迷宮にご案内します。

なぜ私には「意識」があるのか。人生の超難問

現在の科学の基礎になっているのは唯物論だと言ってよいと思います。これは物質を根本的なものとみなす立場です。

ただし唯物論を基礎にすると困ったことが生じます。それは人間が持つ意識をどう説明するかということです。

脳は物理的な物体です。この物理的な物体である脳から、いかにして私たちの意識が生み出されるのでしょうか。

この難問をオーストラリアの哲学者デイビッド・チャーマーズは「ハード・プロブレム」と呼びました。

image by: Zereshk / CC BY-SA

チャーマーズはハード・プロブレムの思考実験として、「哲学的ゾンビ」を考案したことで有名です。

ここに人間と見分けがつかないゾンビがいます。ただしこのゾンビは私たち人間と決定的な違いがあります。

それはこのゾンビに意識がないという点です。そのため食事をしても「おいしい」と感じることはありません。笑顔で友人とおしゃべりしていても「楽しさ」は一切感じません。

これが哲学的ゾンビです。あるいは人間型コンピュータと言っていいかもしれません。ではこのようなゾンビを実際に想像してみてください。

意識のある私たちは、物理的現象の集合である意識のない存在を思い描くことができます。これは次のことを意味します。

つまり、別の人間の身体的状況、たとえば脳の中の状況を物理的現象として完全に記述できたとしても、その人間に意識があることを示すことにはならない、ということです。なんせ意識がいかに生まれるのか未だに分かっていないのですから。

いかがでしょう。意識はいかにして生まれるのか。まさに難問――ハード・プロブレムですね。

◎メモ:ハード・プロブレム
意識はいかにして生まれるのか。

コンピュータは本当に思考することができるのか

「中国語の部屋」という、この奇妙な言葉を作り出したのは、アメリカの哲学者ジョン・サールです。

サールは分析哲学から出発し、その後「心の哲学」に傾倒した人物です。心の哲学とは、脳科学や心理学などの科学的研究を念頭に、人間の意識や心とは何かを問う哲学の分野です。

image by:Matthew Breindel uploader  / CC BY-SA

思考実験「中国語の部屋」

サールが、一躍その名を馳せたのは1980年に公表した論文「心・脳・プログラム」でのことです。

その当時、人工知能の第2次ブームが巻き起こり、専門知識を保有するエキスパート・システムがやがて登場し、弁護士業務や医師の診断は早晩これらのコンピュータに取って代わられるだろう、と言われていました。

このような中サールは、論文「心・脳・プログラム」の中で、「中国語の部屋」という思考実験を披露し、チューリング・テストを通過したコンピュータが「思考している」とする立場を痛烈に批判しました。

前回も述べたように(グーグルの音声AIはチューリング・テストをクリアしたのか 2020年3月23日 第32号)、チューリング・テストとは、イギリスの数学者アラン・チューリングが提唱したもので、会話している相手がコンピュータだと見破れない場合、そのコンピュータは思考していることを意味する、とチューリングは主張しました。

では、サールが提唱した「中国語の部屋」とはどのようなもので、チューリングの主張をどのように批判しているのでしょうか。

サールが提示した「中国語の部屋」では、中国語をまったく理解していない人物が、小窓のある部屋に閉じ込められています。

その人物は手元にルールブック(いわばコンピュータ・プログラム)が与えられています。その人物はこのルールブックを用いることで、小窓を通じて部屋の外から与えられた中国語の質問に完璧に回答することができます。

この「中国語の部屋」の中の人物が実は人間型コンピュータだと考えてみてください。手順に従って完璧な回答を出力しますから、質問者はこの人間型コンピュータを、コンピュータとは考えないでしょう。つまりこのシステムはチューリング・テストに合格することになります。

しかし、部屋の中にいる人物は質問に対して何も理解していません。言い換えると質問の内容に対して何も思考していません。そもそもこの人物は中国語を理解できないのですから。ただただルールブックの指示どおりに作業しているだけで、質問の内容や意味を何も考えてはいません。

以上から、指示に従って実行されるコンピュータの計算と、人間の思考とは別ものであり、チューリング・テストを通過したからといってコンピュータが思考しているとは言えないことになります。それは見せかけであり、偽装だということになります。

これがサールの示した「中国語の部屋」の結論です。

「中国語の部屋」が提示するさらなる問題

もちろん、サールに対する反論もあります。

例えば私が「週末は何をしていたの」と問われたとします。私は週末にしていたことを思い出して、その人に語るでしょう。

この時、私の脳内では特定のニューロンが一斉に活動し、その結果が音声パターンとしてアウトプットされることになります。

しかしながら個々のニューロン自体は質問の意味など何も理解していないはずです。純粋な物理的活動です。この物理活動がいかに質問を理解して回答を生み出すのかは、今もって謎です。

このような観点からすると、中国語の部屋も、中身はともかく、適切な回答を返すのであれば、質問の内容を理解していると考えていいのではないか、とも主張できるでしょう。

こうして話が脳の活動にまで至ると、議論は袋小路に入ります。それというのも、脳の物理的活動が、どのようにして人間の意識や心を生み出すのかという、いまだ解けない謎、いわゆるハード・プロブレムに行き着くからです。

いずれにせよ、意識や心の発生がいまだ解明されていない現在、少なくとも意識や心を持つ機械を作り出すのは極めて難しいのではないでしょうか。

◎メモ:中国語の部屋
指示通りの作業で出す答えは、質問の内容を理解したものだとは言えない。

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image by : shutterstock

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