自分のことを一人称、それ以外の人達を複数人称で話す人はこころが疲れているのかもしれません。無料メルマガ『東北の人気メンタルトレーナーが送る『自信をはぐくむ、幸せな自分のなり方』』の著者・吉田こうじさんは、そういった話し方をしてしまう人が感じている孤独や劣等感を払拭する方法を紹介しています。
自分以外は全て敵という世界観
他人に振り回されてばかりでストレスを抱えている上に、そのストレスをさらに抑圧してしまい二重に苦しんでいるような人が発話する典型的な言葉のひとつに、「私」という単語があります。
「私が」「私に」「私だけ」「私だって」「私こそ」…。
こんなふうに、「一人称」で悩みやら不満を語るという特徴があります。
一方、不満の相手方に対しては「あの人たち」「彼らは」「彼女らは」「みんな」といった感じで、相手については「複数人称」で語るのです。
もちろん、悩みは個人的なものですから、話す際に一人称になるのも理解はできますが、とは言っても、一般的に悩みって「誰かとの関係性」の中で生まれるものですよね?
関係性ですから、むしろ「私たち」「我々」という一人称複数の単語が出てくることって自然のことのように思うのですが、お話を伺う中では、ほぼほぼ登場することはありません。
なぜ「私たち」とか「我々」といった表現をしないのかというと、マズローのいう「欠乏欲求」がまるで満たされていない…大きな社会の中で自分だけが孤立した存在だと感じているからじゃないかなと思います。
社会とのつながりや、誰かとの絆的なものを感じていれば、自然と自分のことも「複数人称」で表現します。たとえば、「我々の会社は」「私たちの関係は」「私たちの家族は」みたいな感じです。
でも、自分のことは「一人称」だけで語り、それ以外の人たちを「複数人称」で語ると言うことは、【自分以外は全て敵】【自分だけが孤立状態】という前提を持っていると言えるわけで…。
で、悩ましいことに、自分が社会から孤立していて、自分以外は全て敵みたいに思っちゃっているときは、社会から受け入れられない理由探しばかりに夢中になってしまうので、たとえば「能力が足りないせいだ」「人よりもこの部分が劣っているせいだ」などと劣等感や無力感をどんどん強化してしまいます。
そうやって、他人と自分とを比較しては自分の足りないところ探しばかりすればするほど、「不足感」「不十分感」といった「欠乏欲求」が増幅されていき、深刻な欲求不満体質が進行します。
そういう意味でも、たとえいま時点で引きこもっていたとしても…家庭の中だけにいたとしても…仕事をしているのであれば、なおさらのこと…社会の構成員であるといった意識を持つことはとても大切だし、できれば実際に社会とのつながりを感じらるようななんらかのアクションを起こし続けることはとても大切です。
それと、もっと大切なことは…劣等感に苛まれて孤独を感じているときって、社会的な地位とか、資格とか、何かと「カタチのあるもの」で自分の存在価値を高める方向に、一人で頑張りがちです。
ですが、実は「カタチあるもの」を身につけようと一人で頑張るよりも、もっと素直な自分をさらけ出し、耳の痛い話なども素直に受け入れながら自分の内面を磨くことの方に頑張った方が、劣等感や孤独感から早く抜け出せるということは、知っておいた方がいいかと思います。
そして、他者や社会に受け入れられるのは、
「社会的な地位や能力など、目に見えたりカタチあるものをたくさん持っているからではなく、内面の豊かさを持っているから」
ということが腑に落ちると、「自分以外は敵」といった不安と緊張に満ちた世界観から抜け出して、自分らしく生きることが容易な世界観を手にすることができると思います。
そのためには、「イタい自分をさらけ出す勇気」を発揮する必要があります。これまでなら、
「こんなこと言ったら嫌われる」
「こんなこと言ったらバカにされる」
「こんなこと言ったら笑われる」
そう思って、自分の本音を押し殺してしまったような場面でも、勇気を振り絞って言ってみる…。自分の本音を言えているという実感が積み重なると、「自分以外は全て敵」みたいな孤独の恐怖に覆われた世界観を払拭することができると思いますよ。
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