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日本が“我慢”することで世界に負けた。渋沢栄一が説く「道理ある希望」とは

「我慢は日本人の美徳」とされてきました。確かに事実である側面もありますが、必ずしもそれがグローバル化する社会で競争力につながっているとは言えません。渋沢栄一の子孫で、世界の金融の舞台で活躍する渋澤健さんは、ただ我慢させるだけでは優秀な人材がどんどん海外へ流出してしまうと危惧しています。

「我慢は美徳」とされる日本で失われてしまったもの

謹啓 新春のお慶びを申し上げます。

常に視界に靄がかかったような状態のウィズコロナ生活に慣れてきた感じがしますが、やはり今年はすっきりとした青天を望みたいものです。この二年間、特に大学進学や就職などの人生の新しいステージに入った若者たちが気の毒でした。オンライン事業やウェブ会議など、「デジタル」は機能として便利ですが、新たな人間関係をつくり、深めるには心身で体感できる「アナログ」な空間が大事です。

一方、どの時代でも「最近の」若者たちは、常に「最近の」新しい環境に適応する力があると思います。既存の固定概念から解かれているからこそ、過去でも現在でも、若者の存在が重要であり、彼らが活躍できる社会は活気ある社会になるのです。コロナ禍は若者たちにとって厳しい現実であったことに間違いはないですが、そこから生まれた果実もあったようです。つまり、「コロナ果」です。

「コロナ果」という言葉は、読売新聞元文化部長で早稲田大学文化構想学部教授の尾崎真理子さんが指導されている演習の学生たちが発案した表現です。就活の時期が3年生の秋まで早まった上にリモートで面接が進むなど、かなりの異変に戸惑う学生も少なくなかったようでした。

しかし、学生たちが提出した「ポストコロナの文化」レポートを拝読させていただいたところ、新しい時代への希望の兆しも読み取れます。

例えば、「コロナ『果』の演劇」という題名でレポートを提出した大学4年生は、「『コロナ禍だから』と後ろ向きになるのではなく、逆にコロナ禍だからこそできること、コロナ禍によって実ったものは何なのかを考えるきっかけになった」ようです。

他に、「無観客ライブ」や「バーチャル博物館」というコロナによる色々な新しい工夫を評価しつつ、「展示物のオーラ」は変わらないという指摘、あるいは、「劇場は地域社会における『ハコ』ではなく文化から生まれる対話の連なりの『場』」であると、むしろリアルな体感に対する感度が高まったことを示唆する学生たちもいました。

このように感性が豊かな学生たちでありますが、彼らは「日本企業にかなり失望」しているようです。

その理由を問うと、それは就活を通じて見えた日本企業の姿が、「型にはめられる」とか「賃金が安い」などというイメージがあるからだそうです。このような若者たちの懸念に、「彼らは若くて我慢できないから」と肩をすくめることしかできない企業は、新しい時代に乗り遅れるでしょう。

我慢は日本人の美徳であることは間違いありませんが、その我慢が日本企業の競争力につながったというエビデンスは、直近の数十年では乏しいのではないでしょうか。

忍耐強く努力することは、「型にはめる」ことや既存の固定概念に囚われることではなく、自身の道理に反して口をつぐむことでもありません。また、ただひたすら我慢するのではなく、その先には何らかの形での報いが必要でありましょう。

先月、UTokyo Future TVというウェビナーのナビゲーターとして東京大学宇宙線研究所長の梶田隆章先生と対談いたしました。長年のご努力が、2015年にノーベル物理学賞の受賞につながった学者の方です。無限の宇宙から降りかかっても、あまりに極小で何も反応せず、地球や我々の身体をすっと通り抜けて行くニュートリノという素粒子などに関する研究の第一人者です。

誰も見えないものをつかみに行くことをライフワークとして掲げていらっしゃる、その原動力についてご質問したところ、先生のお答えは「ただ知りたいという純粋な気持ち」でした。

また、その「純粋な気持ち」を支える環境に恵まれたことが世界級の成果へとつながったという示唆も重要であると感じました。

言い換えると、研究者の「純粋な気持ち」を発揮できない環境を放置すれば、将来のノーベル賞日本人受賞者の数は、日本の競争力と共に世界から転げ落ちる一方になるという警告でもあります。

現に、2021年のノーベル物理学賞を受賞された眞鍋淑郎先生が、日本ではなくアメリカに研究および生活拠点を置かれている理由は、この「純粋な気持ち」を発揮できる環境をお選びになったからでしょう。

学生たちが就活で企業に失望するのは、同じく、この「純粋な気持ち」を支え、育んで、成長させてくれる環境がなかなか見つからないということではないでしょうか。

「そんなきれいごとで食っていけるか」と切り捨てる前に、「純粋な気持ち」を発揮することを抑え込み我慢することが、日本企業の世界における競争力や存在感につながっていないこの数十年間の現実を直視すべきではないでしょうか。

食っていけることは生活で確保しなければならない最低限ですが、そもそも先進国であり文化国である日本において、「純粋な気持ち」を価値に転換できることこそが新しい時代に求められる道理ある企業です。道理ある企業とは、希望ある企業です。

このような希望を持ちながら、2022年を迎えたいと思います。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。

付録:「渋沢栄一の『論語と算盤』を今、考える」

『論語と算盤』経営塾オンライン 

「論語と算盤」道理ある希望を持て

「道理ある希望を持って活発に働く国民」という標語は、
概括的な言葉であるが、
先頃ある亜米利加人がわが同胞を評して、
日本人の全体を観察すると、
各人皆希望をもって活発に勉強する国民であると言われて、
私は大いに悦びました。
私もかく老衰してはおるが、
向後益々国家の進運を希望としておる。
また多数の人々の幸福を増すことを希望としておる。

一年間通じて毎回視聴していた大河ドラマが終了し、ちょっと「渋沢栄一ロス」を感じています。吉沢亮さんを含めキャストの皆さん、制作関係者の皆さんのおかげで大変楽しませていただきました。道理ある希望を持て。つまり、「青天を衝け」ということですね。

「渋沢栄一 訓言集」道理ある希望を持て

人は未来の事に向かって是非とも
理想を持つべきものであるから、
たとえ違却するとも
一定の主義に依って行うことが無ければならぬ。

道理と希望には、理想がある。理想は「きれいごと」だけではないと栄一は唱えています。そして、「我慢」することより、「主義に依って行う」ことが、その理想です。

謹白

プロフィール:渋澤 健(しぶさわ・けん)
国際関係の財団法人から米国でMBAを得て金融業界へ転身。外資系金融機関で日本国債や為替オプションのディーリング、株式デリバティブのセールズ業務に携わり、米大手ヘッジファンドの日本代表を務める。2001年に独立。2007年にコモンズ(株)を設立し、2008年にコモンズ投信会長に着任。日本の資本主義の父・渋沢栄一5代目子孫。

image by: 公益財団法人渋沢栄一記念財団 - Home | Facebook

渋澤 健(しぶさわ・けん)

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