長年メディアの第一線で活躍し続けながら、年齢を重ねてもなお“古びない”印象を与える人がいます。大竹まことさんも、まさにそんな存在ではないでしょうか。今回のメルマガ『佐高信の筆刀両断』では辛口評論家として知られる佐高信さんが、自身と大竹さんの対談やさまざまなエピソードを通して、大竹まことさんがなぜ今も独特の存在感を放ち続けているのか、その魅力を探っています。
大竹まことの新鮮さの秘密
4月23日、大竹まこと ゴールデンラジオ!に出て、トランプと高市早苗は統一教会でつながっていると話した。
時折呼ばれるが、今回は『高市早苗の暴走が始まる』(旬報社)の刊行が契機である。
この本の副題が「トランプと統一教会が望んだ首相」
大竹とは『俳句界』(文學の森)の2009年6月号で対談したが、その反俗性がマンネリズムに陥らない原因だろう。
76歳になっても新鮮なのである。
対談を振り返ると、私はこんなことを言っている。
「私みたいなのを呼んでくださるというのは、すれていないということだと思いますよ。だって危険で仕方ないでしょう。生放送で何言うかわからないんだから」
それに大竹は、「ああ、どうしてそうなんですか、佐高さんは」と笑い、私は「それは大竹さんも同じでしょう」と応じている。
違いは、大竹は「どこかで笑わせたいと思っている」ことだという。
大竹は、上岡龍太郎に言われたことを忘れないようにしているらしい。
上岡は言った。
「ものの中心はつかめ。
でもそこへは行くな。
俺たちがやれることは、
そこへ突っ込んでいくことじゃない。
その外側を蠅みたいにブンブン飛び回ることをしろ。
芯が見えていても、
そこへまっすぐ斬りかかったら、
返す刀の方が大きくて、
僕らみたいな芥子粒みたいなものはすぐに消されてしまう」
上岡の笑いにも品があった。
たけしなどの笑いには品がない。
大きいものを笑うのではなく、弱いものをいじめるだけだからである。
きたろう、斉木しげると「シティボーイズ」を組んできたが、再演はしない。
「年に1回の公演で毎年内容を全部変える。
二度と同じものはやりません。
だから、何というか、芸が磨かれない。
同じことを30年やれば立派な芸になるでしょうが、
そこはやはり時代に添い寝という部分があるので」
この覚悟は時評をやっている私にもわかる。
この対談では、一気に話が変わった女性のタイプ論が印象に残る。
それを尋ねると、「ここはちょっと一家言ある」と大竹は言い、「基本的には腐りかけ」と笑った。
影のある人が好きらしい。
そう答えた後で断定した。
「タイプなんて言っているうちは未熟です」
ハッとなって、
「つまり、来た球は何でも打つ」と返すと、コメディアンには似つかわしくない感じで続けた。
「当然です。
デッドボールだろうと、
ワンバウンドだろうと。
それからもう一つ深めて、
タイプというのは過去の残像を追っているということ」
4歳下ながら、参りましたという感じだった。公序良俗なるものに反発するその姿勢が新鮮さの秘密なのだろう。
この記事の著者・佐高信さんのメルマガ
image by: Shutterstock.com