何かを生み出すためには、そこに至るまでに多くの試行錯誤があるもの。そして多くの試行をし失敗を重ねるためには、その前段階としてたくさんのアイデアが必要です。今回のメルマガ『Weekly R-style Magazine ~読む・書く・考えるの探求~』では、Evernote活用術等の著書を多く持つ文筆家の倉下忠憲さんが、「日常的なアイデアの育て方」をレクチャー。どんな思いつきも「選別しないこと」がいかに大切かを伝えています。
日常的なアイデアの育て方
さて、アイデアを広げることだけでなく、狭めることの重要性も確認してきました。開かれた姿勢と閉じようとする姿勢。その両方が大切なわけです。
ただしそれは「閉じ or 開き」のような単純な二項対立にはなっていません。以前にも出てきた「レンズの絞り方」のような段階的なパラメータが存在しています。
たとえば、何の制約も持たず思いついたことをさまざまにメモしていく、というスタイルであっても、結局それは「自分の目に留まったもの」という制約を持っています。「自分」という枠組みに閉じているのです。書籍などのアイデアをまとめるときは、その閉じ方がより一層強まるだけに過ぎません。すべては程度の問題です。
そのことを確認した上で、日常的なアイデアの育て方、つまり特定のプロジェクトを完成に導くのではない状況でのやり方を考えていきましょう。
■特権性の剥奪
まず重要なのは着想に特権性を認めないことです。言い換えれば、すべての思いつきをフラットに扱うことです。
これはあらゆるメモ術において言及されている一種の「原理」ではあるでしょう。「これは役に立つのだろうか」、「これってつまらないよな」、といった判断を入れずにすべてを書き留めておくこと。これは一番広いレンズの使い方として説明できます。
何かしらのアイデアが良くないと切り捨てるためには、「これが良いアイデア(重要なアイデア)である」という規範が必要です。それはレンズを狭めた状態と言えるでしょう。そうした狭め方は後からでも十分なので、まず最初の(入り口の)段階では選別を行わずに書き留めるのです。
このようにメモの第一原理とでも呼べる「選別せず、すべてを書き留める」ではありますが、ここでは「捨てないこと」だけでなく、「何かを特別視しない」ことも重要です。この点は以前にも書きました。何か面白そうな企画案やタイトルを思いついたとして、それを即座に「企画案」というプロジェクトにしないことが大切なのです。そのように即座にプロジェクト化してしまうと、十分な探索が行われず、頭でっかちな企画案になりがちです。
何かしらのアイデアを「思いついた」ら、それをすべて均等に「思いつき」として扱うこと。”下賎なもの”を切り捨てないだけでなく、”高貴なもの”を過剰に扱うことも避けること。それが「着想に特権性を認めないこと」という姿勢の意味です。
その意味で、着想を保存する装置(たとえばノート)では、すべてをフラットに並べてしまうのがよいでしょう。時系列にメモを取ると自然にそうなりますし、いわゆる情報カードに書き留めていくのも同じ格好なります。すべての粒度が同じ高さで揃い、特別な何かは生まれない(あるいは生まれにくい)のです。
もちろん、特別な何かが必要ないわけではありません。単にそういうものは、並べた「後」から見出されるものだ、という話です。そのプロセスを経ずに、ちょっとした思いつきでしかないものを「特別な何か」にいきなり昇進させしまうのは早計でしょうし、後からそのツケを払うことになるはずです。
■枠組みを揺さぶる
上で「特権性の剥奪」や「フラット」など、いかにもリベラルな言葉を使いましたが、最初に確認したように「私の着想」という時点ですでにある種の選別が働いている点は忘れてはいけません。一つの限定(特権領域)の中にいるのです──(メルマガ『Weekly R-style Magazine ~読む・書く・考えるの探求~』2023年2月20日号より一部抜粋)
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