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手塚治虫が描いた、疾走する“駅馬車”。晩年の代表作『ミッドナイト』から感じた芳香と咆哮

今も「漫画の神様」 と呼ばれて愛され続けている漫画家・手塚治虫が1986年から87年にかけて『週刊少年チャンピオン』で連載していた晩年の代表作品『ミッドナイト』。無免許のタクシー運転手を主人公に、その車に乗り合わせる客たちの悲喜交々の人生を描く名作ですが、単行本に未収録となった11作品や最終回で重要な役として登場するブラック・ジャック出演回3話分を収録した『ミッドナイト ロストエピソード』(立東舎)が6月16日に刊行されました。この作品を通じて、晩年の手塚治虫は何を描こうとしていたのでしょうか。漫画原作者で、元漫画編集者の本多八十二さんが「駅馬車形式」という手法を軸に、手塚治虫がこの作品で「本当に描きたかったもの」について考察しています。

手塚治虫が操った「駅馬車」

ひとつの空間を舞台に複数の人物のドラマを描く物語の手法をグランド・ホテル形式というそうで、それに類似したものとして駅馬車形式というものもあるらしい。ホテルより駅馬車のほうが空間としては狭い。そしてタクシーはもっと狭い。密である。

かつて誰だったか、世の中で一番あらゆる階層、身分、職業の人々がひとつの場所に集まるのが運転免許センターだと述べた気がするが、タクシーの車内もまた、さまざまな事情を抱えた者どもがいっときを過ごす。運転士と乗客との一期一会の縁と、対峙。そんなタクシーという装置を題材にし、手塚治虫の『ミッドナイト』が1986年に週刊少年チャンピオンで連載開始された。テレビドラマ『ナイトライダー』が1982年(日本での放送は1984年)、映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』が1985年だったことを考えると、カスタマイズされたスペシャル・カーを主人公が乗りこなす活劇は、当時の大きな趨勢の一つだったのかもしれない。

ミッドナイト ロストエピソード(立東舎刊) ©️TEZUKA PRODUCTIONS

破竹の勢いで手塚治虫復刻シリーズを刊行中の立東舎から、このたび『ミッドナイト ロストエピソード』が発売された。今回も企画編集の濱田髙志による念入りな調査と手塚プロダクションの全面協力のもと、連載当時の扉絵の全話分が収録され、さらに本作品の幻のプロトタイプ『ドライブラー』の現存する総ての原稿が掲載されることとなった。そして本書の一番の存在価値は、これまでの単行本で未収録だった回が一堂に集められたこと。これを通読することで本作品の全体像が初めて見渡せるわけで、熱心な読者にとっても待望の刊行といえるのではないだろうか。

未収録回を目にして再考した「駅馬車形式」という表現

じつは拙稿筆者は前職で、過去数度復刊された本作品の、ある一回分の復刻担当を担ったことがあり、その当時も味わい深く読んだ記憶があるが、今回本書のゲラで未収録回を併せて目にすることができ、手塚が駅馬車形式を使って当時何を表現しようとしたのか、もう一度考え直してみる機会を得た。

ウィキペディアの受け売りになるが、駅馬車形式というのは演劇評論家の菅井幸雄が著書『演劇の伝統と現代』(未来社、1969年)で述べた概念とのこと。1939年に公開されたジョン・ウェイン主演のアメリカ西部劇映画『駅馬車』が元になっている。ちなみにこの映画は赤塚不二夫が大きな影響を受け漫画家になるきっかけとなった作品とのこと。さらに言えば、『駅馬車』のジョン・フォード監督はこの映画についてモーパッサンの短編小説『脂肪の塊』(1880年)から影響を受けたと語っていることから、この物語形式のルーツはかなり旧く遡ることができる。

『ミッドナイト』はホテルや馬車のように、居合わせたり乗り合わせるといった同時進行の群像劇ではないものの、タクシーという限られたスペースで不運、危機、ロマンス、因果関係、対比、日常との落差、逃避、復讐などのドラマが繰り広げられていく作品なので、やはりいにしえからのオーソドックススタイルである駅馬車形式の系譜を踏まえていると感じた。毎回異なる旅客がそれぞれの問題を抱えて主人公のタクシーへ乗り込むという設定は、長期週刊連載の案出しという過酷な環境の中で、手塚と担当編集者にとっても盤石なアイデアと思われただろうと想像する。

自身の姿を重ねて描いた漫画家像

編集者といえば、本書収録のACT.20に、ツクバ大学教養学部卒の編集者が児童文学界隈を志したにもかかわらず漫画雑誌に配属となり、子どもマンガの運び屋に……こんな仕事辞めたい! と主人公に愚痴るシーンがあり、拙稿筆者のかつての上長にも数人、そのような人物像が被る教育大卒だったりする元手塚番が居たなあ、と思い起こした。漫画の中で、たかがマンガなんて、という倒錯を描き、漫画への軽視と弾圧に抗議しているようにもみえる。もっと言えば、このエピソードで原稿を一枚一枚入稿する漫画家の姿は手塚治虫そのものでもあるのだろう。現実の手塚はそのさらに一段上をいっていて、連載回の最終ページから描き上げて担当者に渡すことで、時間切れ校了下版となって途中までの形で雑誌に掲載されてしまうことを阻止したという伝説があるが、おそらくそういう攻防も深夜におこなわれていたものと思われる。偏見であるが、漫画家は、そして大ヒット漫画家は、ジョジョの先生など稀有な御仁を除いて、おおむね超夜型で、編集者も夜なべでそれに付き合う例の枚挙にいとまがない。そういう漫画製作現場の、いってみれば卑近な息遣いのようなものが、本作品のそこかしこからあふれ出ているような気がしてならない。

それにしても、当時の歴代担当編集者は口が滑っても手塚の面前でそのような愚痴は漏らさなかっただろうから、おおかた巡り巡った噂として手塚の耳に入ったといったたぐいの話なのだろうけれど、それを原稿に描いてその原稿を編集者が受け取り入稿する、というのもまた捻じれた関係性がうかがえて少し愉しく、少し切ない。

メジャーなのにカウンター。歪な真の声が描かれた名作

対比、という観点で考えると、漫画家の仕事が、ずっと机の前に座って描き続ける居職という漫画家の宿命と、運転席には座り続けるものの街を疾走し続けるタクシー運転士との対比、物語にもドライブ感をもとめた、とまで言ってしまうのはうがちすぎだろうか。

ある事情があり当局の手配をおそれつつ闇営業で稼ぐ主人公ももちろんそうだが、タクシーを利用する登場人物もおしなべて卑屈で屈折しており、何かの抑圧を感じているそぶりをみせる。そのカタルシスの解消が毎回のテーマなのだろうけれど、タイトルや主人公の命名ともかかわっている深夜という時間帯、主人公が無免許であるという(本作品にゲスト登場するブラック・ジャックと共通する)点、繰り返される因果と復讐譚、作品全体に流れる哀調というか悲哀のようなもの、それらを総合しても、これは手塚治虫の、メジャーなのにカウンター、という多少いびつな真の声が生々しく描かれた代表作の一つなのだなあという思いを新たにした。

『ミッドナイト』が描かれた1986〜87年というのは、同時に連載されていたのが『陽だまりの樹』『火の鳥 太陽編』『アトムキャット』という時期にあたる。その後の主要な連載は『ルードウィヒ・B』『グリンゴ』『ネオ・ファウスト』で、手塚の逝去は1989年2月。最晩年の手塚は、看護師に怒られながらも、病床の下に描き途中の原稿を隠し、病院関係者の隙をみてスタッフに指示を出していた、というなみなみならぬ情熱と壮絶な光景を、かつて最後のアシスタント氏からお聞かせいただいたことがある。

『ミッドナイト』の原型である『ドライブラー』は、手塚が1984年末ごろに急性肝炎となり連載延期となったことなどをあわせみると、本作品も必ずしも体調が万全ではなかった状態で描かれたのではないか。しかしそれだからこそ、絞りだされたかのような手塚の世事への関心、問題意識、世間への叫びといったものが作品のそこかしこから垣間見えるような気もする。そしてそのような手塚の本音本心は、あんがい、過去の単行本では収録が見送られた、雑誌掲載以降では今回本書で初めて日の目を見たこれらの作品群のようなところから、より如実に、その芳香と咆哮を感じられるような気がしてならない。手塚は駅馬車という形式を用い、タクシーの乗客らを通して、自身の眼前にこれまで現れた人々を投影して浮かび上がらせ、そこから何かを語らせようとしたのではないか。つまり手塚の人生におけるあまたの登場人物が、『ミッドナイト』の各エピソードで何らかの仮託をされ、そこにそれぞれの人生が映し出されているのではないか。それこそがスターシステム、というのは筆が滑りすぎなのだけれど、そういった意味からも『ミッドナイト ロストエピソード』は、手塚治虫が漫画を通じて何を表現し何を世に見せたかったのか、読者の皆様それぞれが思いを馳せご自身なりの得心をたぐりよせるのに最良の一冊となるといいなと思いつつ、強くおすすめしたい。文中敬称略)

本多八十二(ほんだ・やそじ):漫画原作者。元編集者、現在は調理師。作品に『猫を拾った話。』

 

ミッドナイト ロストエピソード

著者:手塚治虫
定価:4,950円(本体4,500円+税10%)
発売日:2023年6月16日
発行:立東舎/発売:発行:リットーミュージック

立東舎の手塚治虫特設サイト

 

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image by: ©️TEZUKA PRODUCTIONS

本多八十二

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