永田町を暴風の如き勢いで襲うも、岸田首相の一言で止んだ解散風。与野党マスコミ問わず多くの人間が翻弄されましたが、そもそもなぜこの風が吹き荒れるに至ったのでしょうか。今回のメルマガ『国家権力&メディア一刀両断』では著者で元全国紙社会部記者の新 恭さんが、この「解散騒動」を振り返りつつ与野党それぞれの動きを紹介。その上で、日本の民主主義が劣化していると判断せざるを得ない理由を記しています。
堕落した政治権力の象徴。解散権を脅しの道具に使う岸田の卑劣
やっぱり、この人はどうかしている。
「今国会での解散は考えていない」
岸田首相が6月15日夕のぶら下がり会見で、記者団にそう語り、その瞬間に解散風はぴたりと吹きやんだ。ところが、同時にこう言ったのだ。
「立憲民主党が内閣不信任案を出すのであれば、即刻否決するよう自民党の茂木幹事長に指示を出しました」
解散しない。不信任案を否決する。意味は分かりやすいが、この言い方はないだろう。
官邸という場所で、政府のトップである首相が、その専権事項といわれる「解散」について会見している。国会に対して責任を負うべきその人が、最大政党の幹事長に国会対応を指示したと言う。おかしくはないか。なにも堅苦しいことを話しているのではない。常識の問題だ。
都合が悪ければ「それは国会がお決めになること」と毎度、逃げるくせに、政府と国会、総理と党総裁の区別なしに、平気な顔をしている。そして、内閣記者会の記者連中はといえば、岸田氏が総理でも自民党総裁でもあるという事実によって思考が停止しているのか、何の疑義も差し挟まない。彼らの頭には「解散」しか関心事がなかったのであろう。
永田町には、世間常識とかけ離れた人々が暮らしている。秘書官だった息子が首相公邸に親戚を集めて忘年会をやり、公的スペースで戯れるのを問題とは思わない岸田首相の無神経ぶりも、むべなるかな、である。
安倍元首相は、桜を見る会という公的行事を自らの選挙活動に利用した。権力の乱用といえるものだった。岸田首相の場合は公私混同に気づかず、すべて息子のせいにして批判をかわした。こちらは、堕落した政治権力の象徴といえるだろう。
さて、わざわざ「解散はしない」と知らせるために、記者団の前に現れた岸田首相の心のうちはどのようなものだったのだろうか。
この岸田会見の時点で、すでに立憲民主党は、岸田内閣に対する不信任決議案を衆院へ提出するハラを固めていた。その速報は15日午後3時半ごろには流れていたから、岸田首相の耳にも届いたはずだ。解散する気のない岸田首相の胸に、にわかに不安が募ってきたのではないか。
衆議院解散間近を思わせる緊張感が永田町を包んでいた。議員たちはポスターの発注や選挙事務所物件の確保などで浮き足だっている。それをつくり出したのはほかでもない、6月13日の記者会見における自らのこの発言にあった。
「解散総選挙についても、いつが適切なのか、諸般の情勢を総合して判断していくわけですが、今の通常国会、会期末間近になっていろんな動きがあることは見込まれます。よって、情勢をよく見極めたいと考えております]
「いろんな動き」といっても内閣不信任案くらいしかありえない。出してきたら解散するぞ、という意味に受け取られることをわかったうえでの発言である。解散を考えていないとしてきた首相が初めて解散もありうると言い出したのだから、メディアが色めき立つのは無理もない。
本当はやる気などなかったのに、「いろんな動きを見極めたい」と思わせぶりな言い方で火をつけた岸田首相は、早く消さなければと焦ったに違いない。
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立憲が恐れた「岸田の脅しに屈した弱体野党」のレッテル
一方、立憲民主党としては、不信任案が出れば解散するかのような岸田首相の発言は意外だったかもしれない。解散が近いのなら、かなり前から自民党本部の事務方に動きがあるはずだが、それはないという情報が入ってきていたからだ。第一、内閣不信任案は野党の常套手段であり、それを出すだけで解散の大義にされたらかなわない。
いずれにしても、岸田首相の挑発めいた発言があったうえは、立憲としても覚悟を決めるほかはなかった。もし不信任案の提出を思いとどまったら、岸田首相の脅しに屈した弱体野党の見本のように受け取られ、それこそ来るべき総選挙に響くだろう。
立憲は内閣不信任案を出した。岸田首相の指示通り、不信任案は否決された。国論が分かれる防衛費増額の財源確保法なども“解散騒ぎ”の効果か、16日にすんなりと参院で可決、成立した。
岸田首相は「最大の収穫は解散権をとっておけたこと」と周囲に話しているという。「解散権」をちらつかせて野党にプレッシャーをかけたことによって、重要法案を続々と成立させることができたという、妙な自信が感じられる。
言うまでもなく、「解散」は衆議院議員全員のクビを切ることである。よほどの選挙好きならともかく、ふつうの議員とすれば、まだ4年の任期の半分も経たないうちに選挙の苦労をさせられるのは勘弁してほしいというのが本音だ。もし落選したら、議員報酬はもちろん、各種手当、政党助成金、パーティー収入、個人献金などが一切フトコロに入ってこなくなるのである。
実のところ立憲民主党の内部では、解散・総選挙に対する強い危機感が広がっていた。
泉健太代表は5月12日の記者会見で、総選挙について「立憲は政権を目指す政党だ。150は必達目標だ」と強気に語り、同15日、BSフジの番組に出演したさいには、共産党や日本維新の会との選挙協力について「やらない」と否定した。
こうした姿勢への反発は、同16日、ひとつの形になってあらわれた。小沢一郎氏、小川淳也氏ら立憲の衆院議員12人が呼びかけ人となって「野党候補の一本化で政権交代を実現する有志の会」をグループ横断で設立し、記者会見を開いたのである。
「野党が与党と1対1で戦えば政権交代できる」と一貫して主張してきた小沢一郎氏は「各党が全部候補を立てたのでは自民党に勝てるわけがない。候補の一本化、野党間の協力が大事だと思っている人が大多数だ。この思いを、はっきり声に出すことに、有志の会の意味がある」と話した。
賛同者はすでに所属衆院議員(97人)の過半数の53人にのぼっているといい、「野党共闘」「候補者調整」をせず単独で戦うという党執行部の方針に多くの議員が困惑していることがはっきりした。と同時に、いかに立憲の選挙態勢が整っていないかを露呈した。泉代表が虚勢を張っても、この状況で早期の解散総選挙ということになれば、上手くコトが運ぶ道理はない。
野党第一党の座をねらう維新もまた、早期解散は嫌だっただろう。全国の小選挙区での擁立をめざし、政治塾やオンラインの志望者説明会を開催して、候補者発掘を急ピッチで進めているが、まだまだ足りないのが実情だ。急いで人集めをしたせいで新人議員が不祥事を起こした例が地方を含め枚挙にいとまがない。
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相当程度傷みが進んでいるこの国の民主主義
野党側にこうした事情があるからこそ、岸田首相は、「解散権」の旨味を享受できたといえるのだが、むろん来年秋の自民党総裁選での再選をめざし、最も効果的な解散・総選挙の時期を探ってきたのも間違いない。
今年3月に東京・赤坂の日本料理店で自民党事務総長の元宿仁氏と約2時間にわたって会食したさいには、G7広島サミット後の6月解散が頭にあったはずである。元宿氏は2000年以降、ある一時期を除き、自民党本部の事務方トップとして君臨してきた人物で、政治の裏側を誰よりも知っている。解散ともなれば、いちばん世話にならなければならないのが党本部の事務方だ。
思惑通り、サミット後に内閣支持率は上昇した。しかし、その後、息子の翔太郎秘書官による忘年会問題が週刊誌に報じられて躓き、マイナカード、マイナ保険証の相次ぐトラブル発覚が追い打ちをかけたうえ、LGBT法成立への拙速な議論の進め方で「岩盤保守層」に見放されたことも災いして、支持率は下落に転じている。
自民党が6月10日ごろ、全国的に実施した情勢調査にも、マイナス傾向があらわれた。解散総選挙を行った場合の議席予測は自民党220議席(42減)▽立憲114議席(17増)▽維新75議席(34増)などとなっていた。しかも東京における自民党と公明党の選挙協力が破談となり、自公体制に暗雲が垂れこめている。
岸田首相の熱は急速に冷め、抜きかけた「伝家の宝刀」をいったん鞘におさめた。だが、早くも「9月解散・10月選挙説」が台頭している。「常在戦場」とはいえ、これでは議員諸氏にはじっくりと勉強するヒマもないだろう。
そもそも論として、いったい「解散権」とは何だろうか。憲法には「内閣の助言と承認により、天皇の国事行為として行う」(7条)「衆議院で内閣不信任決議案が可決された場合に、10日以内に衆議院を解散するか、内閣総辞職をしなければならない」(69条)と規定があるだけだ。
7条には、どういう条件で「解散権」を行使できるのかの定めはない。それをいいことに、日本国憲法の施行後に行われた24回の解散のうち20回は、7条を根拠として首相が好きなタイミングで行ってきた。民意を問うというのは口実で、「自己都合解散」ばかりが横行してきたわけだ。
69条にも、内閣不信任案が出されただけで解散できるのではなく、可決されたら解散するか内閣総辞職をしなければならないと定められているのだ。自民党の森山選挙対策委員長が、不信任決議案の提出は衆院解散の大義になるという考えを示したさい、その誤りを指摘したメディアが一社でもあっただろうか。
解散権をちらつかせ、国会の議決まで指示したと言って平然としている岸田首相。それを当たり前のように受けとめ、早耳競争に明け暮れる大メディア…。この国の民主主義は相当程度、傷みが進んでいるようだ。
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image by: 首相官邸