プーチン大統領のウクライナへの軍事侵攻を世界の民主主義国家が非難する中、電撃的にモスクワを訪れた挙げ句、ロシアを後押しするかのような旨の発言を現地テレビ局の取材に対して行った鈴木宗男参院議員。この国益を無視するかの行動は、日本にどのような影響を及ぼすのでしょうか。今回のメルマガ『国家権力&メディア一刀両断』では元全国紙社会部記者の新 恭さんが、鈴木氏の行動とそれを支持する森喜朗元首相の姿勢を、諸外国に誤ったメッセージを発する可能性があるとして疑問視。さらに彼らの言動に口を閉ざしたままの岸田政権に対して、批判的な目を向けています。
漂うきな臭さ。鈴木宗男が仕掛けた「訪露作戦」の背後で動いているもの
10月6日に放映された関西テレビ「newsランナー」にリモートで生出演した鈴木宗男参院議員は、その姿が映し出された時、スマホで誰かと電話している最中だった。電話を終えると喜色満面で、こう語った。
今、森元総理から電話があり、何も間違ったこと言っていない、がんばれと、日ロ関係は重要なんだと、今、日ロ関係ができるのは維新の中で誰がいるんだとハッパをかけられました。
むろん、鈴木氏が訪ロして、ロシアの要人と会い、ウクライナ戦争に関してロシアの肩を持つような発言をして帰国したことに関してである。
その口ぶりは、あたかも森喜朗氏が賛同したのだから、自分がロシアへ行って発言したことは正しいと言わんばかりだ。それだけ、今の政界における森氏の存在感が大きいということでもある。なにしろ、政界を引退したといいながら、安倍元首相亡き後の自民党安倍派(清和会)を牛耳っていて、岸田首相は、安倍派を味方にしておくために、森氏の機嫌を損ねないよう苦心しているほどなのだ。
鈴木氏に関し問題になったのは、所属する日本維新の会に無断で訪ロしたことと、ロシア国営通信社「スプートニク」の取材に対する発言内容だ。
無断訪ロについては、党に届けようとしたが、土日をはさんでいたため遅れたと説明した。衆院選をひかえて親ロシアのイメージを断ちたい維新は「除名」処分とすることを決定し10月10日、馬場代表が通告すべく鈴木氏のもとを訪れた。すったもんだの話し合いのすえ、弁護士を同席させた鈴木氏がその場で離党届を出し、受理された。
スプートニクの映像に関して鈴木氏は、日本でその中身が切り取られて報じられ、真意が伝わっていないと主張した。鈴木氏が不満とする報道の一例をあげておこう。
党への届け出なしにロシアを訪問した日本維新の会の鈴木宗男参議院議員。ロシアの国営通信社に対し“ロシアの勝利を100%確信”と発言していたことが6日に判明し、物議をかもしています。(日テレニュース)
こんな“切り取り”ではダメだという。ならば、当メルマガではスプートニクに対する鈴木発言の全てを載せておくことにする。
コロナが起きて4年。私も5年ぶりでモスクワに来ました。非常にきれいなモスクワが維持されてます。モスクワは世界に誇れる都市であり、ロシア国民の誠実さが伝わり、ほっとしています。今回は短いモスクワ滞在ですがまたゆっくり、早いうちに来たいと思っています。
今、特別軍事作戦が継続されていますが、私はロシアの勝利、ウクライナに屈することがない、と私は100%確信をもって、ロシアの未来を信じていますし、理解をしています。
私は今から45年前、初めてサケマス交渉でモスクワを訪問しました。当時は中川一郎農林大臣の秘書官で来ました。1991年には外務政務次官としてモスクワに来て、ロガチョフ外務次官と平和条約作業部会の交渉、日程協議をしたことを、思い出します。2000年には、プーチン大統領が当選されて9日後に、私は日本政府の特使としてクレムリンで大統領と会談したこともあります。ロシアの安定・発展が世界の安定・発展につながるということを改めて今感じているところです。
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鈴木宗男の行動にすぐさま反応したプーチン大統領
いかがだろうか。冒頭ではロシアを賛美する外交辞令。そのあと「私はロシアの勝利、ウクライナに屈することがない、と私は100%確信をもって、ロシアの未来を信じています」と続き、後半はこれまでいかに鈴木氏が日ロ関係の構築に関わってきたかを自画自賛している。ニュースとして中身があるとすれば、真ん中の部分しかないわけで、そこはどう見ても、ひたすらロシアの勝利を願っていると読める。
鈴木氏は「ロシアとウクライナは停戦すべき」と発言した部分が切り取られたと主張しているが、それはスプートニクに対するこの発言ではない。別のぶら下がり取材に応じたさい、日本の記者団に語った次の発言であろう。
ガルージン次官とは日ロ関係について、あるいは国際情勢について忌憚のない意見交換をしました。私は双方が銃を置く、一にも二にも停戦が一番だ。このことをロシアが主導的な立場で行うべきでないかという話をしました。
この発言は別途、報道されており、鈴木氏の意見が日本国内に全く伝わっていないとは言い難い。
鈴木氏は9月29日(金)にロシアへ渡航するためのビザを受けとり、10月1日(日)に旅立った。秘書が29日の午後5時過ぎに届けを出しに行ったが、党の事務局にはすでに職員はいなかった。仕方なく10月2日の朝一番に届け出をした。鈴木氏は2日に、ルデンコ外務次官、ガルージン外務次官とロシア外務省で会談し、3日にスプートニクのインタビューを受けている。
鈴木氏によれば、今回の訪ロは、北方領土問題に取り組んできた者として、元島民の「生きているうちにもう一回先祖の墓参りをしたい」という思いや、北方四島の周辺で行われる「安全操業」再開への漁民の願いをかなえるための行動だったという。日本の経済制裁へ対抗し、「ビザなし交流」などを打ち切ったロシア政府と話し合いたかったということのようだ。
むろん、それは政治家の表向きの発言であって、ほかに隠された目的があるかもしれない。
だいいち、ビザを受け取ってからでなくとも、計画段階で党に話をつけておくことはできたはずである。鈴木氏は以前にもロシアを訪問しようとして、党本部にストップをかけられたことがある。それにもかかわらず訪ロを強行したのは、離党も覚悟のうえだったのではないか。森元首相とは連絡をとっていたのではないか。さまざまな疑問点が浮かび上がる。
鈴木氏の行動に、プーチン大統領はすぐさま反応した。10月5日、ソチで行わた「ヴァルダイ国際討論クラブ」に出席したさい、記者の質問に対する以下の発言。
日本が関係正常化に関してイニシアチブを発揮するならば、ロシアは協力する用意がある。日本に対して制裁を発動したのは我われではない。この場合アジアへのこの窓をバタンと閉めたのは我われではない。これをしたのは日本だ。
(スプートニク日本語版記事より)
日本が経済制裁をやめ、日ロ関係を以前に戻したいなら、話し合う用意があるということだろう。鈴木氏の行動に呼応し、日本政府に対ロ政策の転換を求めたものといえる。
鈴木氏は、党の了解を得ようとすれば反対されるので、あえて党への届け出を渡航後にした疑いがある。ロシアに到着した翌日には2人の外務次官と会談しており、用意周到にスケジュールが組まれていたことがわかる。スプートニクの取材も予定通りだったのだろう。
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2000年には官房機密費から引き出した1億円を持参
もちろんプーチン大統領は、森喜朗、鈴木宗男両氏との長い蜜月関係からみて、鈴木氏の来訪に強い関心を寄せていたに違いない。
3人が出会ったのは、2000年4月29日、プーチン氏が選挙に勝って大統領に就任する直前のことだった。当時の森首相はプーチン氏に会うため鈴木内閣官房副長官をともなってサンクトペテルブルグに赴いた。
森氏はその年の4月5日に首相になったばかり。鈴木氏は官房機密費から引き出した1億円を持参していた。このときのことを森氏は誌上インタビューでこう語っている。
プーチン大統領は非常に喜んでくれた。日本の歴代首相は就任後、真っ先にアメリカを訪問することが多いが、僕の場合は最初にロシアを訪問したからなんだ。
その年の9月にはプーチン大統領が来日し、森氏との仲の良さをアピール。翌年には、ロシアのイルクーツクで日露首脳会談が行われた。そのさい、イルクーツク郊外のシェレホフ市に、姉妹都市提携に尽力した森首相の父、森茂喜元石川県根上町長の分骨を納めた墓があることを知ったプーチン大統領が「これから一緒に墓参に行こう」と提案し、森首相を感激させた。
イルクーツク会談にも、自民党総務局長だった鈴木氏が同行した。1990年に外務政務次官に就任して以降、鈴木氏は外務省に強い影響力を持っていた。北海道選出の議員であり、北方領土問題は彼のライフワークといえる。
昨年11月、鈴木宗男氏のパーティーで挨拶した森元首相は「ロシアのプーチン大統領だけが批判され、ゼレンスキー氏は全く何も叱られないのは、どういうことか。日本のマスコミは一方に偏る。西側の報道に動かされてしまっている」と語っている。
政治家がどのような政治的判断や行動をしようが、法に違反しない限り基本的には自由である。森氏が、日ロ関係において同志といえる鈴木氏を応援することにも矛盾はない。ウクライナに対する各国の支援疲れも指摘される昨今の情勢を鈴木氏が巧みについて、訪ロを敢行したと見ることもできよう。
ただし、米国に従ってウクライナを支援する日本政府の方針を無視した鈴木氏の単独行動を、日本政界に隠然たる影響力を持つ森元首相が支持し、激励するという絵柄は、諸外国に誤ったメッセージを発することにならないだろうか。ウクライナ侵略を正当化するためのロシア側のプロパガンダに利用されるのがオチであろう。
鈴木氏には、北海道の国政選挙や対ロ外交などで安倍元首相に協力してきたという自負がある。民主党の衆院議員だった長女の鈴木貴子氏を離党させ、自民党に入党させたのも安倍氏の要請があったからだ。対ロ姿勢で父と“一心同体”とみられている貴子氏は次期衆院選で比例から北海道7区に鞍替えして出馬をめざしている。
鈴木宗男氏は3日にロシア上院の副議長と会談したさい、こう述べたそうである。
安倍総理がプーチン大統領と極めて良好な関係を築いたのを、わずか1年で岸田総理はマイナスの方になってしまいました。
岸田首相としては、気分のいい話ではないだろう。日ロ関係悪化の原因は、プーチン大統領がウクライナを侵略したことにある。さりとて、森元首相に気を遣わなくては最大派閥をコントロールできない政治情勢であるのがつらいところだ。松野官房長官も鈴木氏の訪ロについては記者の質問に口を閉ざしている。岸田政権として何らかのメッセージを出さなくてもいいのだろうか。日本流の“曖昧作戦”が世界に通用するとは思えないのだが…。
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