MAG2 NEWS MENU

全員避難まで焼け落ちず。JAL機炎上から乗客の命を守った「日本企業」の功績

1月2日、羽田空港で起きた日本航空516便と海上保安庁の航空機との衝突炎上事故。この事故の避難誘導でにわかに注目を浴びることとなった「90秒ルール」ですが、その「本来の意味」をご存知でしょうか。今回のメルマガ『冷泉彰彦のプリンストン通信』では米国在住作家の冷泉彰彦さんが、航空保安における「90秒ルール」について詳しく解説。さらに今回の「全員生還」が、日本人乗客の民度の高さが可能にしたという巷で語られている言説を否定し、そう判断する理由を記しています。

※本記事は有料メルマガ『冷泉彰彦のプリンストン通信』2024年1月9日号の一部抜粋です。ご興味をお持ちの方はぜひこの機会に初月無料のお試し購読をどうぞ。

ご登録の上、1月分のバックナンバーをお求め下さい。

90秒は乗客を保護する。JAL機全員脱出で注目の「90秒ルール」

1月2日に発生した羽田空港における着陸機JL516便(エアバスA350/900型)と、海保機の衝突事故は世界に衝撃を与えました。また、その直後と言える1月5日には米国オレゴン州のポートランド空港を離陸したアラスカ航空1282便(ボーイング737MAX9型)が、離陸直後に機体の一部に穴が開くという重大な事故を起こしています。

この2つの事故を考える上で、重要なのは航空機の保安基準における「90秒ルール」という問題です。例えば、日本の場合、この羽田の事故を契機として、少なくともこの「90秒ルール」という用語は有名になっています。その一方で、日本の報道ではかなり深刻な誤解が見られます。また、アラスカ航空の事故に関しても、この「90秒ルール」が絡んでいます。この機会に、この問題について、少し詳しく議論しておきたいと思います。

まず大切なのは、この90秒ルールというのが、客室乗務員による乗客の避難誘導におけるタイムリミットというよりも、その前に機材の側の強度要件だということです。つまり、航空機火災など、重大な事故の場合に、最低でも90秒の間は機材の構造物が持ちこたえる、つまり構造が崩壊せず、また危険な温度まで上昇せず、有毒な煙やガスの発生も抑制し、乗客を保護するだけの強度を確保するというルールです。

全ての航空機と部品はこの機材としての90秒ルールを満たすように設計、製造されています。新しい機種の開発には、この基準が厳しく審査されます。そして、基準を満たす、つまり「最低でも90秒は持ちこたえる」ことが証明されて、はじめて「型式認定」つまり機種としての認可が出ます。

いいニュースではありませんが、例えば、既にほぼ過去の存在となった三菱航空機が開発していたスペースジェット(旧称MRJ)プロジェクトは、その開発自体が各国、特に米英両国における型式認定を獲得できるかが勝負となっていました。最終的に開発が中止された具体的な要因は特定できませんが、主翼の強度とワイヤリング(電気系統の配線)に関して、技術陣は大変な苦闘をしていたようです。

では、90秒を満たせば型式認定が出るのかというと、そんな単純な話ではなく、この90秒というのはあくまで審査項目の一つに過ぎません。その他にも膨大なチェック項目があって、それをクリアして初めて型式認定がされるわけです。

メーカーとして、例えば新型機の型式認定が取れれば、そして新しい機種が売れれば、それで開発は終わりかというと、決してそうではありません。機種が就役した後も、様々なアフターサービスがあり、また改良への不断の努力が続きます。

この記事の著者・冷泉彰彦さんのメルマガ

初月無料で読む

話題の「90秒ルール」を巡る大きな誤解

その点でいえば、今回の日航機の機材がエアバスA350/900という機種であったことには大きな意味があります。それは、今回の事故は、炭素繊維などの複合材を全面的に使用した大型機の全焼事故としては、史上初のケースだからです。一部には複合材を使用した新鋭機だから乗客が助かったという説がありますが、これは話を単純化するにしても無理があります。

基本的に金属製の機体と比較すると、複合材の場合は重量を軽くすることができます。また、腐食しにくいので機内の湿度を上げることができる、更に膨張に強いので機内の気圧を金属製機体より高めることができます。つまり、燃費がよく、乗り心地(乾燥しない、耳ツンになりにくい)がいいということで、性能としては画期的です。

ですが、様々な素材を組み合わせているものの、基本は炭素繊維(カーボンファイバー」という可燃物ですから、最後は焼け落ちます。ですが、それでも90秒ルールをクリアし、できるだけ延焼を先延ばしするように設計がされているわけです。

こうした複合材を本格的に使用した機材としては、まずボーイングの787シリーズがあり、またボーイングでは777シリーズの改良型「X」シリーズでも導入しています。エアバスの場合は、超巨大機のA380と、今回の事故機A350で本格導入がされています。その複合材の機体がしっかりと90秒を越える避難の所要時間まで乗員乗客の生命を守ったというのは、まずは画期的です。

事故機の写真では、真っ黒に焼け落ちた胴体が衝撃を与えます。最終的にはあのように、焼けてしまうのが複合材の特徴ですが、それでもしっかりと避難に必要な時間を確保できたことは大事なことです。その上で、複合材がどのように焼けたのか、つまりケロシンという最も可燃性の高い燃料の炎に晒されながら、どのように耐えたのかということでは貴重な事例になるわけです。

更に、注目すべきなのは機首の状況です。複合材は、先程申し上げたように膨張には強いのですが、金属と比較して押されると凹みやすい性質を持っています。勿論、様々な補強がされているにしても、350機の機首が海保機と衝突しながら、コックピットや主要機器を守ったというのは設計の勝利と言えるかもしれません。いずれにしても、この点についても精査がされると思います。

ちなみに、エアバス社に炭素繊維複合材を供給しているのは日本の帝人です。(ボーイングは東レ)今回の事故調査に関して、帝人が参加しているのかが非常に気になります。複合材機として初めての全焼事故である、今回のケースから徹底的にデータを収集して帝人として技術革新に努めていただきたいと思うからです。

多くの報道では、クルーの側の「90秒ルール」つまり、重大な事故に際して90秒で乗客全員を安全に機外へ脱出させるルールが話題になっています。ですが、まず機材の「90秒ルール」があり、その上で避難誘導の「90秒ルールがある」という点は重要です。機材に関して、型式認定において厳格に「90秒」が証明されているのを前提に、クルーはその時間を利用して乗客を安全に避難させる、航空保安という観点から全体像を見るのであれば、そのような順序になるからです。

ところで、このクルーの側の「90秒ルール」ですが、これを適用して厳格な訓練を行っていたのが、あたかも日本航空だけのような説明がされていますが、これは大きな誤解だと思います。中には、日本航空は「御巣鷹山」における747の墜落など多くの事故を経験しているので、その蓄積による「血のマニュアル」がある、などという「おどろおどろしい」解説もあり、国外の論評でもそのような言及が見られます。これもかなりひどい誤解だと思います。

この記事の著者・冷泉彰彦さんのメルマガ

初月無料で読む

そもそも日本航空だけのものなどではない「90秒ルール」

仮に、日本航空において経験則から来る「マニュアル」があったとして、それが本当に効果のあるものであれば、世界中で共有されなくてはなりません。また、日本航空独自の「気づき」が主観的で非合理なものであれば、それは国際的な監査を受けることで訂正されてしまいます。つまり、運行会社独自のノウハウというのは、例えば乗務員のモラルやモチベーションの「プラスアルファ」ということはあるかもしれませんが、具体的にはあり得ないものです。まして「血のマニュアル」などということはあり得ません。

それ以前の問題として、「90秒ルール」というのは訓練ではありません。これは一種の資格試験で、1年に一回、乗員は実際にこの「90秒以内に、機材の片側の非常口だけ(もう一方の側は火災と想定)を使って乗客を安全に機外へ脱出させる」実技試験と、関連した内容の筆記試験を受けます。この試験は合格しないと、以降は乗務ができなくなるという厳しいものです。

そして、このルールはJAL独自のものではないし、日本だけのものでもありません。世界の主要な航空会社全てが加盟している「国際航空運送協会(IATA)」が設けているルールであり、そのルールに基づいてIATAは監査をしているし、多くの国ではIATAの監査をクリアすることを航空会社への免許交付の条件としています。

この「90秒ルール」の関連では、実際に総員の緊急脱出を行う際の「手荷物」の問題が話題になっています。一切の手荷物は機内に置いて行くというルールが、今回は徹底され、これが「全員生還」につながったのは事実だと思います。この点については、日本航空だからできたとか、日本人の乗客だから民度が高く整然と荷物を残して避難できたという解説がありますが、これも少し違うと思います。

実は、過去の航空機からのシューターを使用した脱出避難の事例では、日本でも多くの問題が起きていました。2017年に国の行政機関である運輸安全委員会(JTSB)が公表した内容によれば、次のように厳しい指摘がされています。

「運輸安全委員会が平成29年12月までに公表した航空事故等調査報告書(約1,500件)のうち、14件で脱出スライドを使った非常脱出が行われており、うち13件で旅客が負傷している状況にあります。また、国内で脱出スライドを使用した最近の下記事例でも旅客に多くの負傷者が発生しています。」

とした上で、具体的には、

「平成28年5月、東京国際空港にて離陸滑走中の旅客機のエンジンから火災が発生。滑走路上に停止後、非常脱出を行った際に乗客40名が軽傷を負った。」

「平成28年2月、新千歳空港の誘導路上で停止していた旅客機の機内に異臭及び煙が発生。その後、エンジン後部で炎が確認されたため、非常脱出を行った際に乗客1名が重傷、乗客2名が軽傷を負った。」

「平成25年1月、飛行中の旅客機にてバッテリーの不具合を示す計器表示とともに、操縦室内で異臭が発生。高松空港に緊急着陸し、誘導路上で非常脱出を行った際に乗客4名が軽傷を負った。」

と事例を紹介、更に国外の事例として、

「さらに、令和元年5月6日未明(日本時間)にモスクワの空港に緊急着陸した旅客機の炎上事故の際、脱出スライドによる非常脱出を行いましたが、多くの旅客が死傷しました。当該事故の原因については、関連機関が調査中ですが、非常脱出時に一部乗客が手荷物を持ち出して脱出したことによって他の乗客の脱出が遅れた可能性もあると報道されています。」

としています。(引用は『運輸安全委員会ダイジェスト第26号』より)

この記事の著者・冷泉彰彦さんのメルマガ

初月無料で読む

「全員生還」の背景にあった国交省と業界全体の努力

このJTSBの指摘は非常に重たいもので、特に新千歳での事故で重傷者が出たこと、また、モスクワ空港の事故に関しては海外の事例ながら非常に深刻なものだったことを強くアピールする内容となっています。

この公表と前後して、国交省は各航空会社に指導を行ったことが推測され、各航空会社は特に「非常時のシューター脱出」について、保安ビデオ等で従来とは全く異なる詳しい説明をするようになっています。具体的には、

「(緊急避難時には)手荷物の持ち出し禁止」

「(同じく)撮影禁止」

「(同じく)ハイヒール禁止」

「シューターの下では乗客同士の介助を要請(乗務員は最後に脱出するため)」

「脱出後は各自が事故現場から離れる(同じ理由)」

という内容です。この国交省と業界全体の努力、それも2017年12月という比較的近年の努力が、今回の「全員生還」の背景にはあったと思います。上記の中では、モスクワの事故への厳しい反省がやはり主要な認識であったようで、その目配りと真剣な姿勢は称賛されて良いと思います。

最後に、1月5日に発生した米国での事故についても、「90秒ルール」そして「複合材」の問題が関連していると思われますので、検討してみたいと思います。

この事故ですが、米国オレゴン州ポートランドを離陸した、アラスカ航空のボーイング737マックス9型機が、離陸直後に機体に穴が空き、加圧を失うという重大な事故を起こしたものです。

穴の空いた箇所は、設計上の非常口箇所を塞いだキャップ(ドアの代わりに設置された外壁)が欠落したものとされています。どうして非常口箇所を作ったのか、にもかかわらず塞ぐ仕様となっているのかというと、当にこれが「90秒ルール」に関係しています。この737M9は、機体サイズこそ1つですが、客室内の座席配置(コンフィギュレーション)は複数あります。

その中で、LCC向けのシートピッチの狭い仕様の場合は、最大定員を多くすることができるのですが、そうなると乗客を「90秒で逃がす」ためには非常口の増設が必要になります。一方で、今回のアラスカ機のような「フルサービスキャリア」の場合は、定員がそこまで多くないので非常口が多すぎると無駄な空間ができるために、非常口箇所を塞いでそこに座席を設置しています。

このドアを塞ぐ「キャップ」に脆弱性があったというのが、現時点での専門家の見立てですし、米国の連邦航空局(FAA)や事故調が注目している部分でもあります。ただ、その後に判明したのは、単にドアを塞いだ工事に欠陥があったのだけでなく、機内の気圧が高すぎた、つまり与圧の異常があったことで、そのために脆弱なキャップが外れたという可能性が出てきました。

ここからは推測ですが、膨張に強くキャビンの気圧を高めることができる複合材機の登場により、金属製胴体の機材と、複合材の機材との間で、高度によるキャビン気圧の調整が違ってきているわけです。もしかしたら、こうした状況を背景に、誤ったキャビン内気圧調整がされるような設計ミスもしくは製造ミスがあったのかもしれません。調査結果を待ちたいと思いますが、そのようなミスの可能性は排除できないと思います。

いずれにしても、FAAは即座に同種機材の飛行停止と緊急点検を実施しています。今後の調査の進展に注目したいと思います。

※本記事は有料メルマガ『冷泉彰彦のプリンストン通信』2024年1月9日号の一部抜粋です。ご興味をお持ちの方はこの機会に初月無料のお試し購読をどうぞ。

この記事の著者・冷泉彰彦さんのメルマガ

初月無料で読む

初月無料購読ですぐ読める! 1月配信済みバックナンバー

※2024年1月中に初月無料の定期購読手続きを完了すると、1月分のメルマガがすべてすぐに届きます。
2024年1月配信分
  • 【Vol.516】冷泉彰彦のプリンストン通信『航空保安における90秒ルール』(1/9)
  • 【Vol.515】冷泉彰彦のプリンストン通信『緊急提言、能登半島地震』(1/2)

いますぐ初月無料購読!

<こちらも必読! 月単位で購入できるバックナンバー>

初月無料の定期購読のほか、1ヶ月単位でバックナンバーをご購入いただけます(1ヶ月分:税込880円)。

2023年12月配信分
  • 【Vol.514】冷泉彰彦のプリンストン通信『地を這う日本の生産性』(12/26)
  • 【Vol.513】冷泉彰彦のプリンストン通信『最近の『日本映画』3本』(12/19)
  • 【Vol.512】冷泉彰彦のプリンストン通信『アメリカ政治の現実乖離』((12/12)
  • 【Vol.511】冷泉彰彦のプリンストン通信『日本政治における空洞について』(12/5)

2023年12月のバックナンバーを購入する

2023年11月配信分
  • 【Vol.510】冷泉彰彦のプリンストン通信『トランプの「難題」を想定』(11/28)
  • 【Vol.509】冷泉彰彦のプリンストン通信『日本の対立軸と政界再編の可能性』(11/21)
  • 【Vol.508】冷泉彰彦のプリンストン通信『Z世代はアメリカを変えるのか?』(11/14)
  • 【Vol.507】冷泉彰彦のプリンストン通信『残り1年、米大統領選の現在』(11/7)

2023年11月のバックナンバーを購入する

2023年10月配信分
  • 【Vol.506】冷泉彰彦のプリンストン通信『中国と中東の見方を変えてみる』(10/31)
  • 【Vol.505】冷泉彰彦のプリンストン通信『ガザ情勢と中東問題、3つの謎』(10/24)
  • 【Vol.504】冷泉彰彦のプリンストン通信『ガザ情勢と米政局の関係』(10/17)
  • 【Vol.503】冷泉彰彦のプリンストン通信『イスラエル=ハマス戦争(速報)』(10/10)
  • 【Vol.502】冷泉彰彦のプリンストン通信『一寸先は闇、アメリカ政局』(10/3)

2023年10月のバックナンバーを購入する

image by: Brostock / Shutterstock.com

冷泉彰彦この著者の記事一覧

東京都生まれ。東京大学文学部卒業、コロンビア大学大学院卒。1993年より米国在住。メールマガジンJMM(村上龍編集長)に「FROM911、USAレポート」を寄稿。米国と日本を行き来する冷泉さんだからこその鋭い記事が人気のメルマガは第1~第4火曜日配信。

有料メルマガ好評配信中

  初月無料で読んでみる  

この記事が気に入ったら登録!しよう 『 冷泉彰彦のプリンストン通信 』

【著者】 冷泉彰彦 【月額】 初月無料!月額880円(税込) 【発行周期】 第1~第4火曜日発行予定

print

シェアランキング

この記事が気に入ったら
いいね!しよう
MAG2 NEWSの最新情報をお届け