ドナルド・トランプ前大統領が在任中、北大西洋条約機構(NATO)加盟国が軍事費を十分に払わない場合「プーチンに好き勝手をさせる」「攻撃を促す」旨の発言をしていたことが判明。この暴言、欧州では大炎上、日本でも大きく報道されていますが、アメリカ国内ではそれほど大きく取り上げられていないようです。あえて今、このタイミングで「暴言」を繰り出したトランプの計算とは?メルマガ『冷泉彰彦のプリンストン通信』著者で米国在住作家の冷泉彰彦さんが、揺れ動くアメリカ大統領選挙の最新情勢を解説します。
「行き過ぎ」が招く想定外。米大統領選2024 最新情勢
日米ともに、政局の一寸先は闇という状況が続いていますが、そんな中で先週から今週にかけての1週間だけでも、かなり動きが出ています。
まずアメリカですが、共和党におけるトランプ一強という状況は加速中、一方のバイデンは人気降下中というトレンドは変わっていません。
それどころか、それぞれの上昇または下降の勢いが増しているといって良いでしょう。
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では、このままトランプ対バイデンの戦いになってトランプが勝利というシナリオがより確実になっているのかというと、この点については少し違う雰囲気が出てきています。
一言で言えば、「行き過ぎてしまって、話が変わる危険が出てきた」ということです。
「バイデンは高齢のため大統領に相応しくない」86%の衝撃
どういうことかというと、まずバイデンの方ですが、この間の支持率低下には大きく分けて3つの要因があると言われてきました。
「インフレは沈静化しても、物価上昇が止まっただけで元のようには下がっていない。つまり痛みは継続しているのに、バイデンには危機感がない」
「ガザ危機はエスカレートするだけであり、バイデンはネタニヤフを誠実に説得しているつもりかもしれないが、若者はバイデンも共犯だとして反発している」
「バイデンの健康不安説は出たり入ったりしているが、民主党内で一気にバイデン降ろしという動きまでは行っていない」
ということで、どの要素も決定的ではないものの、とにかく「中道から左派の世論はジリジリとバイデンを見放し」始めているのに、バイデンは「自分は悪くないし、路線変更もできないのでしない」という妙な均衡があったのでした。
ところが、ここへ来てこの3要素が一段と悪化してきています。
「インフレは下げ止まり、ガソリン価格は下がっていたが、これが下げ止まっている。その一方で、人手不足による労賃上昇が、改めて物価を押し上げる要因に」
「ネタニヤフは、ここへ来て100万都市ラファへへ侵攻すると宣言。下手をすると万単位の死者が出るという指摘も。ここでラファ侵攻が止められないと、バイデンの無能感が噴出してしまう危険性が出てきた」
「バイデンの高齢不安に関しては、特別検察官がハッキリと『記憶力の低下』を指摘したことで、世論の我慢は限界に」
という状況です。
こうなると、そろそろ臨界点が近づいてきているのかもしれません。11日(日)に公表されたABCテレビと調査会社イプソスの連合による世論調査(この種のものとしては、かなり規模も信頼性もある調査です)によれば、「高齢のため合衆国大統領に相応しくないのは誰か?」という質問に対して、
- バイデンだけ……27%
- トランプだけ……3%
- その両方……59%
という結果となっています。これを組み替えて、2人の候補について、「高齢のため相応しくないかどうか?」という質問だったとすると、
- バイデンがダメ……86%
- トランプがダメ……62%
ということで、この数字を元にすると「アメリカ国民の86%はバイデンが高齢のため大統領選出馬には不適格」だと思っているということになります。この種の調査はこれまでにも実施されており、それなりにバイデンに辛口の数字は出ていました。
ですが、この86%というのは衝撃です。
仮に民主党と共和党の支持者が「50・50」だとして、共和党支持者は全員が「バイデンは不適格」だと答えていたとします。その場合、残りの50%(と仮定して)の民主党支持者の中で36%、つまり民主党支持者の72%がバイデンは不適格だとしている可能性があります。これは大変です。(トランプの場合は、12%)
ここまで来ると、どう考えても民主党サイドとしては「プランB」、つまりバイデンの名誉ある撤退と、代替候補の検討に進まざるを得ないと思います。
ですが、この動きですが、まだ表面化はしていません。というのも、方程式が複雑すぎて話が進みようがないのです。
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米民主党「バイデン外し」の先に潜む4つの地雷
複雑さの一端をご紹介しますと、
「一番自然なのはハリス副大統領が大統領候補にスライドすること。だが、ハリス氏は圧倒的に不人気。パワハラ疑惑などもあり、かなり苦境に立っている。その原因は『外見はカッコいい人権のチャンピオン』だから『人権派の若者が全国から運動員(ボランティアやインターン)に志願してくる』という点。どういうことかというと、陣営に入ると副大統領本人が『自由経済・市場経済の信奉者』だと分かって原籍左派の若者たちは「ドン引き」になって陣営内はいつも内紛状態になるから。最悪なのは本人がこの問題に無頓着に見えること」
「国民的人気のあったニューサム加州知事は、ここへ来てカリフォルニアの大都市、LAとサンフランシスコの治安悪化で、イメージが破綻。共和党の強い地域からバスで大量のホームレスが送り込まれているのに加えて、堅気の勤め人が物価高でホームレスになってキャンピングカーから通勤しているなどという惨状が解決できていない。おまけに都市中心部で治安悪化で商店街が崩壊。これでは大統領選の戦いようがない」
「州知事の中では、イリノイ州のプリツカー知事(ハイアット・ホテルのオーナー一族)にも待望論。ただ、若者がガザ侵攻に猛反発する中では、ユダヤ系の大統領候補というのはかなりキツイ状況に」
「同じく州知事のグレチェン・ウィットマー女史(ミシガン州)にも待望論。理由としては、同州に多いアラブ系有権者が『バイデンなどガザ侵攻を支持する候補には絶対に入れない』と強硬な中、州民に支持されているのでミシガンで勝てるという思惑。ただ、トランプはこの人をセクハラもどきの攻撃で『いじり倒す』のが持ち芸で、そこに乗せられて喧嘩を買うとマズイという説も」
ということで、党内はかなりトホホな状態と言えます。
このままですと、ジョンソンが引退して、副大統領のハンフリーにスイッチして負けた1968年の選挙、そして民主党がヤケクソになってベトナム反戦派のマクガバンを立てて負けた1972年の選挙などのゴタゴタ劇が再現される危険が出てきています。
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NATOを巡る「暴言」とトランプの皮算用
一方で、トランプの方も「行き過ぎ」という感じが濃くなってきました。
ここ数日の発言では、「就任したらバイデンが実施した銃規制は全廃」などというのは、残念ではありますが想定内とも言えます。問題は、他でもありません。NATOを巡る暴言が飛び出したことです。
つまりNATO加盟国が応分の負担をしない場合は、守らないどころか「プーチンに勝手をさせる」という発言です。
実は、アメリカではそれほど大きく取り上げられてはいません。何よりも、この週末にはスーパーボウルがあり、それも延長戦で東部時間では夜11時すぎまで盛り上がったということから、この12日の月曜日も、アメリカ社会はボンヤリしている感じだからです。ちなみに、試合の方は、新ルール下の延長戦が大成功で、大いに盛り上がっていますが……。
これに加えて、発言内容の衝撃度をニュースメディアが受け止められていないということもあるでしょう。
下手に批判すると、右派世論のホンネがこの暴言を支持していることを証明してしまうとか、勢力の対抗図として論破できないアメリカという状況を露呈してしまう、そんな不安から「発言に対して、まともに対決できていない」という感じもあります。
ですが、この「NATO」発言はもしかしたらターゲットになるかもしれないポーランドをはじめ、欧州では大炎上となっています。
日本でもかなり大きく取り上げられていますし、アメリカの政界、言論界でも静かにインパクトは広がっているものと思われます。
しかし、どうしてこの時点でトランプの暴言が飛び出したのかというと、やはり相当な計算があると考えられます。
「前週あたりから、共和党の主流派も自分を支持し始めている。このトレンドの度が過ぎると、連中に引っ張られて過激路線が続かなくなる危険、そしてエスタブリッシュメントと仲良くするなというコア支持者の本音が噴出する危険がある。ならば、主流派がついてこられないような過激発言を小出しにするしかない」
「バイデンは、イスラエルと反戦左派の間で板挟みになってザマミロだ。ガザのことは賛否も曖昧にしてスルーするが勝ち」
「ウクライナ支援予算の可決にバイデンと上院の与野党は躍起だな。だったら、NATO斬りでちゃぶ台返しだ」
「どうせヘイリーがカッカするだろうが、そうなればヘイリーは国連やNATOベッタリで反米だというのが浮き彫りになってザマミロだ」
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アメリカ政界はすでにブラックボックス状態
あくまで推測ですし、そもそもトランプという異常なピン芸人の頭の中がどうなっているのかは、誰にも分かりません。
ですが、とにかく戦後の世界秩序、とにかく世界の「安全の保障」に対して正面から挑戦するような発言であることには変わりはありません。
こうなると、さすがに大口寄附者(メガドナー)や、共和党の主流派は「ついていけなくなる」可能性が出てきます。
最大の可能性は、民主党の中に「そこまで言う」トランプは、とにかく絶対に合衆国大統領にしてはいけないという危機感が更に加速するということです。
その上で「トランプに勝てる唯一の存在」だとされていたバイデンが「いつタオルが投げられても仕方がない」ところまで追い詰められているのであれば、「今こそ候補者をスイッチすべき」というモメンタムが暴発ギリギリのところまで行くのではないかと、それも時間の問題というムードも出てきました。
ということで、アメリカの政界は一寸先は闇というより、既にブラックボックスの中をさまよい始めている感じがします。
※本記事は有料メルマガ『冷泉彰彦のプリンストン通信』2024年2月13日号の一部抜粋です。ご興味をお持ちの方はこの機会に初月無料のお試し購読をどうぞ。今回の記事の続き(日本の政局分析)もすぐ読めます。
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