短時間で仕事術や思考法を学べるとあって、時代を問わず人気を集めているビジネス書。数々のベストセラーを生み出してきたその界隈で今、「ネガティブ・ケイパビリティ」がひとつのブームとなっています。そんな流れに対する疑問を隠さないのは、文筆家の倉下忠憲さん。倉下さんはメルマガ『Weekly R-style Magazine ~読む・書く・考えるの探求~』で今回、ビジネス書とネガティブ・ケイパビリティの関係性を考察した上で、その「食い合わせ」についての自らの思うところを綴っています。
※本記事のタイトルはMAG2NEWS編集部によるものです/原題:わかりやすいネガティブ・ケイパビリティ
わかりやすいネガティブ・ケイパビリティ
最近、書店のビジネス書・実用書コーナーで「ネガティブ・ケイパビリティ」という言葉を見かけるようになりました。直接的にこの言葉を使っていなくても、それに類する概念が提示されている場合もあります。
基本的にはよいことなのでしょう。拙速に結果を求める姿勢が強まりすぎた結果、さまざまな不都合が出てきたので、その反動としてある種の「ゆっくりさ」を導入する。大切なことだと思います。
ちなみに、ネガティブ・ケイパビリティとは、
不確実な状況や答えのない問題に直面した際に、焦らずにその状態を受け入れる能力
だと言われます。19世紀のイギリスの詩人ジョン・キーツが提示したもので、それを精神科医ウィルフレッド・R・ビオンが見出した、みたいなエピソードはGPTればわかるので割愛しますが、人間が持つすぐさま「わかりたい」という気持ち、あるいはその傾向への抗いが主軸にあります。
まず、ここでちょっとした疑問が湧きます。
ビジネス書というのはまさに、その「わかりたい」という気持ちに安直に答えを提供してきた存在です。とにかくわかりやすい答えを提示する。しかも、わかりやすい答えを提示できるように、問題そのものを矮小化することも行われます。
極端なことを言えば、タスク管理について考えることは、自分がどう生きるかを考えることです。でも、そんなことを言い始めたら「わかりやすさ」は減退し、難しさが増大します。だから、そういう話はせずに理解のフレームワークにすぽっとおさまるようなわかりやすい答えを提示する。
そういうことをずっと続けてきた存在から、ネガティブ・ケイパビリティの重要性が語られたとして、いったいどんな顔をして話を聞けばよいのでしょうか。
この記事の著者・倉下忠憲さんのメルマガ
■より根源的な問題
もちろん、これまでずっとわかりやすい話をしてきたがその問題に気がついた。だからこそいまネガティブ・ケイパビリティについて話すのだ、という筋書きはありえますし、そういうストーリーとして納得することも可能でしょう。
そうなると、次なる疑問が湧きます。
「これがネガティブ・ケイパビリティだ」や「こうすることがネガティブ・ケイパビリティ的な態度だ」とわかりやすく説明することは、ネガティブ・ケイパビリティの能力の向上につながるのでしょうか。
まったく個人的な印象ですが、2時間くらいで本一冊を読んで、「そうか、これがネガティブ・ケイパビリティか。完全に理解した」となる態度は、ネガティブ・ケイパビリティからもっとも遠いものではないかと感じます。
Aという方法ならネガティブ・ケイパビリティで、Bという方法ならネガティブ・ケイパビリティではない、という明確な線引きができると思うならば、それは「わかりたい」という気持ちに抗っていることにはなりません。むしろ無抵抗に受け入れてしまっています。
たとえば、ネガティブ・ケイパビリティについてこの本はこう語っていたが、他の本はどう語っているのだろうか、その歴史はどうなっているのか、などと理解・納得を遅延させること。それがネガティブ・ケイパビリティであり、開かれた態度でもあるでしょう。
あるいは、このやり方がネガティブ・ケイパビリティがあると言われていたが、本当にそうなのだろうか。自分が直面している場面にどこまで適合的なのだろうかと疑いを持つこともネガティブ・ケイパビリティでしょう。
本当に恐ろしいのは、自分は本を読んでネガティブ・ケイパビリティを理解したので、自分がやっていることはネガティブ・ケイパビリティに適していると信じて疑わない態度です。その結果、自分の行いは正しくて、それにそぐわない他者は間違っていると簡単に断じるなら、反ネガティブ・ケイパビリティの極みに到着してしまいます。
むしろ、自分がやっていることは本当に正しいのかという疑いを退けないように保持しておくこと。それがネガティブ・ケイパビリティ的な姿勢ではないでしょうか。
一つの概念を理解することは簡単ではありません。そして、自分の目の前にいる他者を理解することも簡単ではありません。そこでわかったつもりになりたいという傾向を抑え、支配したい欲求に抗って、わからなさを引き受けること。
そうした姿勢があるから、自分のやり方を批判的に眺めることができるようになりますし、同様に他者を「他者」として、つまり勝手な自己理解に落とし込めることなく、その人として向き合うことができます。
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■食い合わせの悪さ
というわけで、わかりやすいビジネス書とネガティブ・ケイパビリティって、今世紀最大級くらいに「食い合わせ」が悪いような気がするのですが、その理解もぜんぜん間違っている可能性があります。
提示の仕方を工夫すれば、わかりにくいということをわかりやすく伝える、というアクロバティックなアプローチも可能なのかもしれません。
少なくとも、「そんなことは絶対に無理」という安直な理解は避けておきましょう。
(メルマガ『Weekly R-style Magazine ~読む・書く・考えるの探求~』2025年3月10日号の一部抜粋です。ご興味をお持ちの方はぜひこの機会に初月無料のお試し購読をご登録ください)
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