私は「ルッキズム(容姿至上主義)」を否定しませんし、人間が子孫を残す生物である以上、「見た目を気にする」のは避けられないことだと思っています。ルッキズムを否定したり、炎上に加担したり、抗議のシュプレヒコールを上げるといったことは、時間と労力の無駄だと思っています。それよりも私たちが考えるべきは、ルッキズムに翻弄されず、必要以上に気にすることなく、自分が容姿以外のどの部分で勝負するかを見極めること。いかにその部分を伸ばしていくかを考えることではないでしょうか?(メルマガ『午堂登紀雄のフリー・キャピタリスト入門』2025/6/9号 本文より)
※本記事のタイトル・見出しはMAG2NEWS編集部によるものです
プロフィール:午堂登紀雄(ごどう ときお) 米国公認会計士(CPA)。1971年生まれ、岡山県出身。中央大学経済学部 国際経済学科卒。株式会社エディビジョン代表取締役。一般社団法人 事業創造支援機構代表理事。
私が「ルッキズム(容姿至上主義)」を否定しない理由
私や友人知人も順調に年齢を重ねておりまして、下は30代後半、上は50代後半ぐらいの年齢層になってきました。
おそらく「アンチエイジング」を気にする年代に差し掛かったということなのでしょう。たとえば、ヒゲを永久脱毛したとか、VIO脱毛(V:陰部、I:鼠径部、O肛門周辺)をしたとかいうSNS投稿をチラホラ見かけるようになりました。
私は「ルッキズム(容姿至上主義)」を否定しませんし、人間が子孫を残す生物である以上、「見た目を気にする」のは避けられないことだと思っています。
しかし、以前も書いたように私も若々しくはありたいとは思っていますが、そこにあえてお金や労力を投入するかというと、さすがに躊躇してしまいます。
自分がその分野に真正面から突入して勝負する気にはなれない。そもそも顔の作りが平凡なので、資源(お金・時間・労力)の無駄遣いになりそうだからです。
とはいえ、男性も女性も顔がいいほうが断然トクなのは明白です。恋愛・婚活市場だけではなく、仕事面でもプラスになるという調査結果もあるぐらいですし。
たとえば、営業職の場合だと「門前払いされにくい」「相手が話を聞いてくれやすい」「同じ提案内容でもイケメンや美女のほうが信頼感を得やすい」といった効果があります。
社内的にも他部署との連携が取りやすい(イケメンや美女からのお願いは断りにくい)ので、実務上もスムーズに進む側面があるでしょう。
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世界的に広がるアンチ・ルッキズムの矛盾
しかし、このような現実が、どこかの発言力が強い人の“外見コンプレックス”の地雷を踏んでしまったのでしょうか?最近では「ルッキズムは差別であり悪である」という主張が世界的に広がってきました。
ですが、歴史を見ても、たとえば中国には後宮、日本でも大奥があり、大勢の美女が集められていました。欧米ではキリスト教の影響で公には認められていなかったようですが、それでもオスマントルコ帝国のハーレム(ハレム)には美女が集められていたのです。「容姿の美醜」が「人間が人間を評価する一つの要素」として、いかに重視されてきたかがわかります。現代においてさえ、北朝鮮には「喜び組」という部隊(?)があります。
そのうえで、「イケメンや美女と付き合いたい・結婚したい」という感情は、生殖や子孫繁栄を背景とした生物としての生存本能なのでしょう。クジャクのオスも、美しい羽根を広げてメスに求婚しますし。
ならば、「人間とはそういうものだ」と認めてしまえばラクなのに、それに抗おうとする層が世界のいろいろなところにいるようで、社会的にはルッキズム排除のムーブメントが強くなっていて、外見への批判はもちろん、たとえ賞賛であっても“炎上”しやすい空気になっています。
女子アナへの登竜門とされてきた大学のミスキャンパスなども、相次いで廃止に追い込まれているようですね。
でも、ではなぜルッキズム否定論者は、アイドルグループがイケメンや美女で構成されていることを否定しないのでしょうか?ルッキズムをそこまで否定したいなら、ブサメンやブスだけで構成されたアイドルグループを売り出して成功させるなど、実例を作ってしまえばいいと思うんですが、そこまでの勇気もないようです。
このようにルッキズムに否定的な主張が跋扈する現代ですが、そこでむしろ逆にルッキズムを強化・けん引しているのが、いまの10代から20代の若い世代だという皮肉を、ルッキズム否定派はどう受け止めているのでしょうか?
実際、SNSにアップする写真の加工は当たり前で、もはや素顔の原型をとどめない人も少なくないですし、小学生からプチコスメとかプチ整形とか、顔をいじる年齢がどんどん低下しています。
しかも、普段の写真や証明写真だけでなく、卒業写真ですら加工するのが一般的で、10代のほとんどの記録が“加工された顔”でしか残っていないというケースもあると言います(それが、いったいどんな「思い出」になるのか、個人的には疑問もありますが)。
いずれにせよ、それぐらい「自分の見た目を良くしたい」「周囲からどう思われるかが気になる」「イケメン・美女に思われたい」「ブサメン・ブスだと思われたくない」という感情は強いものなのでしょう。SNSがそれを加速させている側面もあるようです。
SNSだけでなくリアルでも、素顔をさらしてガッカリされるのが不安でマスクを外せないという若者が少なくありません。これも「自分の見た目が好きじゃない」とか「それを他人からどう思われるか」などを過剰に気にしているということでしょう。
反ルッキズム運動は「時間と労力の無駄」でしかない
ただ、繰り返しになりますが、筆者個人としては、ルッキズムを否定したり、炎上に加担したり、抗議のシュプレヒコールを上げるといったことは、時間と労力の無駄だと思っています。
生物の本能にあらがう行為は、無意味に等しいからです。避けようがない人間の本能を否定するのは現実逃避にほかならず、現実逃避は知的に貧困な人間のすることだという印象を持ちます。人間としての基本性能が未熟な人がやることではないか?とすら感じています。
それよりも私たちが考えるべきは、ルッキズムに翻弄されず、必要以上に気にすることなく、自分が容姿以外のどの部分で勝負するかを見極めること。いかにその部分を伸ばしていくかを考えることではないでしょうか?
10代後半以降から30代半ばぐらいまでは、出産を見据えた「結婚」が、自分の容姿や性的魅力を重視する理由となります。逆にそこを乗り越えると、性的魅力の重要性は大きく下がります。
まあ美人な女性はいつの時代もチヤホヤされますし、「美しすぎる〇〇」とかで注目されやすいとか、SNSでもバズりやすいとか、飲みに行っても男性がおごってくれるとか具体的なメリットが多いのは事実です(私の妻でさえ「営業しても門前払いされることはなく、とりあえず話は聞いてもらえる」などと言っています・苦笑)。
すると、「10代から40代ぐらいの女性を除いては」自分が容姿以外のどの部分で勝負するかを見極めることが重要、と表現するほうが、より現実に即しているかもしれませんが――。(次ページに続く)
ルッキズムに翻弄されない人生。「ネットの世界で生きる」ということ
ルッキズム資本主義の世界に翻弄されず、必要以上に気にしない方法の1つとして、「ネットの世界を主戦場にする」という生き方があります。
先週も書いた通り、趣味系(だけでなく実務系とか面白系なども)のYouTuber(TikTokerやインスタグラマーも含む)、アバターを全面に押し出しているVtuberなどは、ルッキズムの制約を超越して活躍することができます。
あるいは、ブロガーやメルマガ発行者なども、顔出しもなく実名も使わずとも成立する仕事です。
ちなみに、私の次男がよく観ている「おろちんゆー」というYouTuberがいるのですが(漫画ナルトにでてくるオロチ丸の声を真似している)、彼は魚を釣ったり虫を捕ったりする動画を投稿しています。おそらく額にアクションカメラをつけて撮影しているのでしょう、動画は自分目線であり、顔出しは一切ありません。それでチャンネル登録者数は210万。
同様に、「ちろぴの」というゲーム実況配信のYouTuberペアもアバターのみです。それでチャンネル登録者数は164万。
また、仮に顔出しする場合でもまったく問題はなく、いまは「加工」「化粧」「光源」によって、いくらでも美男美女に変身できます。ネット上だけなら顔を出さないので「実物と違う」などとバレることもありません。
実際、TikTokの中国系(?)女性配信者の自撮り動画には、目が異様に大きい・バストが異様に大きい・ウエストが異様に細いという、もはや同じ人類とは思えない人物が多く出てきます。明らかに加工のやり過ぎだと思いますが、10代20代の配信者ならやり過ぎだと思わないのでしょう。
ネットではそれで通用するし、それで人気が出たりする。リアルオフ会やリアル交流会などはできなくても、オンラインでのオフ会やイベントはできますから、完全にネット上のタレントとして完結するなら問題ありません。これはある意味チャンスです。
容姿は遺伝など生まれつきの要素がほとんどで、整形などをしなければ自分ではどうしようもない、単なる運の世界。しかしネット上なら自分の努力と才覚で、いかようにも自分の見せ方・見られ方をコントロールできる(余地が大きい)のです。
私自身を含む団塊ジュニア世代は、昭和・平成とリアル世界でしか生きる道を模索できなかったかつての時代を知っています。だからこそ、リアルでもネットでも、あるいは両方の世界を選べる現代は素晴らしいと感じます。(次ページに続く)
ルッキズムと無関係でいられる「成果と実績」で評価される世界へ
むろん、一般の人にとっては今もリアルでの生活が基本になっていますし、生活基盤のもととなる収入もリアル実業から得ている人が大多数だと思います。
これに関して、私の友人知人(投資家や実業家なので一般人とはやや言い難いものの)を見て感じるのは、まず男性の場合「投資家や起業家は見た目はほぼ関係なく、成果で評価される」ということです。
たとえば投資家は「いくら利益を出せているか、それが継続できているか、あるいは資産規模を拡大できているか」が重要ですし、起業家は「会社や事業の成長」によって評価されます。
特に会社員であれば、私も人を雇う立場だったのでわかりますが、受付や単純事務のように、人による能力差があまり大きくない職種はともかく、事業企画や管理職などのコア業務は容姿ではなく断然「能力」重視です。
見た目で選んで業績が上がらないとか、人が辞めるとかのリスクを抱えるというのは、同じ投資額に見合わないので、経営者として合理的に考えれば容姿の優先度は下がるわけです。
私個人はこれまで「イケメン投資家」には出会ったことはありませんが、「イケメン起業家」はまあまあの確率で会うことがあり、確かに存在します。そんなイケメン起業家は、当初はメディアに露出しもてはやされたりしますが、それも結局は最初のうちだけ。事業が成長し続けれなければお呼びでなくなる、というのが定番です。
そして不思議なことに、イケメン起業家は成功すると(あるいは結婚すると)表舞台から引っ込み、逆に会社経営に専念するようになります。不倫などのリスクに敏感なのか、メディアに出てもメリットがないからなのか、あるいは地に足をつけて地道に努力する方が合理的だと悟るのか…?
また、「まともな女性」というと語弊がありますから「成熟した女性」とでも言いましょうか、とにかく知的で優秀な女性ほど「人間的に尊敬できるか」という視点で男性を選んでいるようにも感じます。
むろん、これは私の周囲を見る限りの話ですが、美女のダンナの多くは見た目は普通で、でも「実直でマジメ」な印象の人ばかり。で、数年後に話を聞くと、だいたい管理職に昇進したり、転職してステップアップしたり、会社を立ち上げたりと伸びていきます。これは、いわゆる「あげまん」なのか?奥様が旦那を育てているのか?それは定かではありませんが…。
一方、これが女性の場合ですと、未婚にしろ既婚にしろ、40代ぐらいまでは「キラキラ系女子」といった感じの雰囲気で「自分よりも若い世代に憧れられる」存在の人がファンを集めることが多いです。ただ、そんな私の友人知人たちも40代後半から50代に差し掛かり、もう「キラキラ」という売り出し方をする段階ではなくなりました。
そんな状況でも根強いファンを増やし、多くの顧客を集めている女性たちは、容姿よりも「ホスピタリティが高い」「エネルギーをもらえる」「人を応援しティーアップしてくれる」といったソフトパワーが強いケースが多い印象です。
自分の人生において、何に優先順位を置くかは人それぞれです。だから、見た目重視の人がいてもそれはその人の自由。ですが人間はいつかは老います。どんなに美人やイケメンも、やがて年を取って老いていく。その一方で、次から次へと若くて容姿に優れた人が出てきて、彼らに追い抜かれるのです。
そういえば私は幼少期に、「中森明菜は美人でスタイルも良くて歌もうまくて、すべてを持った人」とか「菊池桃子のようなかわいい人と結婚できる人は幸せだろうなあ」などと思っていたこともありました。お二人ともすでに最前線からは退かれていますね。
「反ルッキズム運動」と「ルッキズムに囚われない人生」は似て非なるもの
私は人生全体を俯瞰したとき(私が男だからというのもあるかもですが)、外見を磨くことに時間や労力を費やすより、「人間としての基本性能を磨く」ことが最重要であり、結局はそれがキモのように思っています。
(もちろん、過度に太っていれば痩せたほうがいいし服装もダサいよりはキメたほうがいい。最低限の外見への配慮は必要です)
ここでいう基本性能とは、「仕事の実力」と「性格・メンタル」で、後者はたとえば「誠実・責任感・ポジティブマインド・配慮や思いやり・謙虚・冷静・行動力・判断力」などでしょうか。
逆にこれらが揃っていないイケメンは入り口でちやほやされても、あとで化けの皮がはがれてがっかりされ、人はついてこないように思います。
外見で自分でコントロールできるものは、せいぜい髪型とかファッションとか体形ぐらいしかなく、顔の造形や身長は生まれつきなので気にしても仕方ないと昔から割り切ってきました。
実物の筆者を見たことがある方はご存じでしょうが、出っ歯だし爆笑問題の太田似と言われているぐらい、私の容姿は並み(あるいは並以下?)です。それでもとりあえず2回は売れましたし(笑)、5人以上と付き合えたという経験上、このような考え方はそう間違っていなかったのだろうと思います。
そしてこの成功体験(になるのかな?)は、自分への自信と心の安定をもたらしてくれているように思います。それも自由への一つの要素ではないかと考えるのです――。
(『午堂登紀雄のフリー・キャピタリスト入門』2025/6/9号より一部抜粋、再構成。全文は登録のうえお楽しみ下さい。同号ではこの続きとして「今後は100%ネットの住人として生きる道もアリ」も掲載。メルマガ登録で、すぐに全文をご覧いただけます)
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