自民党の両院議員総会でも退陣を求める声が続出し、土俵際に立たされている石破政権。そんな中で今、石破首相がいわゆる「戦後80年談話」を出すか否かに注目が集まっています。今回のメルマガ『高野孟のTHE JOURNAL』ではジャーナリストの高野孟さんが、首相は独断専行でも談話を発表すべしとしてその理由を解説。さらに具体的な内容についても大胆な提言を記しています。
※本記事のタイトルはMAG2NEWS編集部によるものです/メルマガ原題:石破茂はこれ以上逃げずに「戦後80年首相談話」で捨て身の勝負に出るべきだ/いっそ「明治維新160年」まで踏み込んだらどうか?
プロフィール:高野孟(たかの・はじめ)
1944年東京生まれ。1968年早稲田大学文学部西洋哲学科卒。通信社、広告会社勤務の後、1975年からフリー・ジャーナリストに。同時に内外政経ニュースレター『インサイダー』の創刊に参加。80年に(株)インサイダーを設立し、代表取締役兼編集長に就任。2002年に早稲田大学客員教授に就任。08年に《THE JOURNAL》に改名し、論説主幹に就任。現在は千葉県鴨川市に在住しながら、半農半ジャーナリストとしてとして活動中。
花と散れ。「戦後80年首相談話」で捨て身の勝負に出るべき石破茂
石破茂首相は8月8日の自民党両院議員総会でも、米国との関税交渉がまだ進行中であることなどを理由に「いま辞任するつもりはない」と突っ張り通した。
両院議員総会は、党大会に次ぐ決議機関ではあるけれども、総裁を任期途上で辞めさせて総裁選を繰り上げ実施することを決める権限は与えられていないので、旧安倍派をはじめ反石破勢力としても、総裁本人が「辞める」と言わない限りどうすることも出来ない。
そこを見越した石破の頑張りではあるけれども、しかしこれは、ボクシングで言うと、ひたすらガードを固めることだけに専念して自分の方からは1本のパンチも繰り出さないといった試合運びで、こんなことで単に政権を長続きさせたところで、国民にとっては面白くも可笑しくもない。
石破が「戦後80年談話」で投じるべき一石
参院選の惨敗に至る石破政権の何が失敗だったのかと言えば、本誌が一貫して指摘してきたように、彼が10年以上も党内で非・反安倍の立場を取ってきた挙句に総裁の座を得ることになったというのは偶然の織りなす巡り合わせで、それだったらこの際、躊躇うことなく安倍政治の「負の遺産」を徹底的に暴き立て、叩き潰し、洗い流し、それとは違う日本の国と社会のあり方を指し示すことをしようと思えばできたはずなのに、それをしなかったことである。
この石破の優柔不断さをどう考えるべきか、私はまだ判断しかねていたので、先日、自民党消息通に問いかけたところ「石破は、何やら尤もらしい顔でしゃべるけれども、実は考えは浅く、物事をよく分かっていない。ダメな奴ですよ」とクールな答えが返ってきた。
とすると、彼が安倍以来の悪い流れを変えてくれると期待しても無駄だということになるが、そうなら尚更のこと、早ければ秋口にも総裁の座から引きずり下ろされるかもしれない前のこの8月に、独断専行で構わないから「戦後80年首相談話」を発表し、自分の後に麻生太郎と旧安倍派が組んで高市早苗を押し立てて安倍政治の復活を図るのを封じる一石を投じるべきだろう。
当然、反石破勢力からは袋叩きに遭うだろうが、このまま目覚ましいことを何もしないでズルズルと引き倒されていくよりも、一発噛ませて花と散るのがマシというものである。
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小泉純一郎も談話で用いた「侵略」という文言
周知のように、日本の朝鮮、中国はじめアジアへの侵略戦争の責任についての歴代内閣の言及の仕方は、「我が国の行為」が諸国に「多大な苦痛と損害を与えた」ことを「深く自覚する」(1982年8月の鈴木善幸内閣・宮沢喜一官房長官談話)といったシャキッとしないものであったが、それを打ち破ったのは細川護熙首相だった。
彼は、首相になってすぐの1993年8月23日の最初の所信表明でこう述べた。
▼昭和20年8月、我々は終戦によって大きな間違いに気づき、過ちを再び繰り返さないかたい決意で新しい出発を誓いました。
▼それから48年を経て我が国は今や世界で有数の繁栄と平和を享受する国となることができました。……我々はこの機会に世界に向かって過去の歴史への反省と新たな決意を明確にすることが肝要であると考えます。
▼まずはこの場をかりて、過去の我が国の侵略行為や植民地支配などが多くの人々に耐えがたい苦しみと悲しみをもたらしたことに改めて深い反省とおわびの気持ちを申し述べる。
さらに細川は9月の国会でこれについて問われ、「私が侵略戦争、侵略行為という表現を用いたのは、過去の我が国の行為が多くの人々に耐えがたい苦しみと悲しみをもたらしたとの同一の認識を率直に述べたものでして、改めて深い反省とおわびの気持ちを表明したものです」とその意義を強調した。
彼自身、このことを自分の首相としての仕事の中で最重視しているようで、最近も倉重篤郎に「細川政権で世の中はどう変わった?」と問われ、「一番の仕事は、先の大戦を侵略戦争だと明言したことだと思う」と即答している(「サンデー毎日」8月3日号)。「〔これが〕戦後50年の村山富市首相談話にも繋がり、アジア各国の信頼を繋ぎとめることができた」とも。
村山談話は、「我が国は……国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました」と、一層明確な表現を採り、面白いことに2005年の小泉純一郎首相の戦後60年談話もそれをほぼ踏襲した。
苦心惨憺の作文だったトリッキーな「70年安倍談話」
ところがこの流れを何とか引っ繰り返そうとしたのが2015年、戦後70年の安倍晋三首相で、巧妙なことに、村山・小泉の談話と同じく「植民地支配」「侵略」という言葉は使われているが、その主語として「日本」は明示されておらず、欧米による植民地支配や侵略も含めた一般論として「訣別すべき」とするに止めた。
また過去の歴代首相の「おわび」を引用して「その立場は今後も揺るぎない」と述べてはいるものの、安倍自身を主語として謝罪表明をすることは避けた。まあ往生際が悪いと言うか、あちこちに抜け道を設営して、右翼側からの批判に言い抜けできるようにした苦心惨憺の作文だった。
とりわけ安倍が執着したのは「あの戦争に何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」と、謝罪はこれで打ち止めと宣言することで、彼自身が「ここが大事なところで、もう謝る必要はないんだよ」「80年には談話を出さなくていい」などと、当時テレビなどでそこだけを取り出して解説した。
ところが談話の文面ではそのすぐ後に、「それでもなお、私たち日本人は、世代を超えて、過去の歴史に真正面から向き合わなければなりません。謙虚な気持ちで、過去を受け継ぎ、未来へと引き渡す責任があります」と、まるで矛盾した内容のフレーズがくっついている。
これは、船橋洋一『宿命の子 安倍晋三政権クロニクル』(文藝春秋、24年刊)第7章によると、当時、公明党を代表して国交相として入閣していた太田昭宏が、創価学会の池田大作名誉会長の意向を背に交渉し、付け加えたもののようだ。
安倍は前段を強調して右翼を黙らせ、太田は後段を付け加えたことで創価学会を説得するというトリッキーな文章で、これこそ安倍の懐刀の今井尚哉秘書官が得意とした詐術である。
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「維新から160年」という物差しで歴史を測るという上策
本誌が繰り返し主張してきたように、昨秋たまたまの経緯で首相になった石破にとって、唯一生き延びて政権を維持する途は「安倍的なるもの」を徹底的に炙り出し掘り返して叩き潰して死中に活を求めることであったはずなのに、彼はそこを全く見誤り、逆に旧安倍派や麻生派など「安倍的なるもの」を復活させようとする勢力と何とか妥協し党内に波風を立てないよう心がけた。
その余りに永田町ご町内的な小賢しい姿は、外の国民から見れば滑稽極まりないものと映り、それ故に彼は参院選で敗北した。それはもはや取り返しのつかないことであるけれども、まだ秋口までにはいくつかの巻き返しのチャンスが残っていて、その中でも最大のものは、8月15日の「戦後80年首相談話」で勝負を仕掛けることである。
その勝負には、私のイメージでは、上中下の3策があり、《下策》は、70年安倍談話の抜け穴ボコボコの薄汚い修正主義をきっぱりと否定して、細川を起点にした50年村山、60年小泉の線にまで押し戻すことである。
《中策》は、そこに石破独自の何か――例えばの話、8月6日広島挨拶で述べた「『核戦争のない世界』、そして『核兵器のない世界』の実現に向け全力で取り組む」との覚悟を具体化すべく核禁条約に政府としてオブザーバー参加に踏み切ることを盛り込むとか、村山・小泉でも出来なかった何かを上乗せすることである。
しかし《上策》は、「戦後50年、60年、70年」の延長線上で「80年」を語ろうとすることから一気に飛躍して、「明治維新から160年(正確にはまだ157年だが)」という物差しで歴史を測るという大胆な問題提起にまで踏み込んでしまうことではないだろうか。
参考となる古川禎久衆議院議員の歴史観
その意味で参考になる1つは、元石破派事務総長=古川禎久衆議院議員の歴史観である。彼は「サンデー毎日」8月17・24日号の巻頭に「私の戦後80年談話」を特別寄稿し、次のように述べている。
▼日本は今年、敗戦から80年の節目を迎えます。敗戦に至る歴史を振り返ることで、これからの未来を考える機会にしたいと思います。そのためには、少なくとも19世紀までさかのぼる必要があると私は考えるのです。
▼われらが先人は、西洋列強の植民地化圧力に抗うという悲壮な決意のもとに明治維新を断行し、みずから近代化を目指した。ならば維新の素志は2つで、1つは「日本の独立」、もう1つは「アジアとの連帯」です。
▼西郷隆盛は「西洋は未開の国々を教導するどころか残忍に喰い物にして利益を貪る。これは文明ではなく野蛮だ」と、帝国主義の本質がよく見えていた。“征韓論”のレッテルを貼られた西郷ですが、その真意は真逆で、日朝の連帯、さらには日朝清3国の連帯で西洋帝国主義に抗うのが西郷の本願でした。
▼しかし明治政府は、明治8(1875)年、日本の軍艦がわざと朝鮮国政府を挑発して軍事衝突を引き起こし(江華島事件)、それを口実に日本条約を結ばせた。「天に恥ずべき行いだ」と西郷は怒った。なぜなら、日本のやり方は西洋列強の手口そのもので、自国が西洋からやられたことを、同じ東洋の隣国、永い付き合いのある朝鮮国に対してやった。これが日本の変節、アジアへの裏切りでなくて何でしょう。
▼吉田松陰は、西郷とは違う思想の持ち主で、西洋から日本国を守るには、進んでアジア諸国を切り取り侵略し、領土を広げていくしかないという帝国主義そのものの主張で、その思想は、伊藤博文はじめ明治の指導者に受け継がれ、まさにわが国近代化の基本路線となっていきました……。
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日本を破滅に導いた吉田松陰とその信奉者たる安倍晋三
本誌の熱心な読者の皆さんはご記憶と思うが、本誌は23年6月=No.1211から24年11月=No.1285まで、16回にわたり「民権論」の系譜について断続連載し(未完のまま現在は休止中)、戦前戦後を通じた日本近現代史を「国権vs民権」の2つの大きな政治的・思想的潮流のせめぎ合いとして描くことを模索してきた。
特にその第12回=No.1269『西郷隆盛の「征韓論」、「西南戦争」を定説の色眼鏡を外して見直すと何が見えてくるのか?』で、渡辺京二説を引用しながら「征韓論」という定説とは反対に西郷は実は日朝連携論の立場だったことを述べていたので、上述の古川説に違和感はないだろう。
【関連】「征韓論」と「西南戦争」とは何だったのか。定説という“バイアス”を取り除けば見えてくる西郷隆盛の真実
明治政府は「薩長藩閥政府」と呼ばれるけれども、早くも明治6年のこの「征韓論」をめぐる政変で西郷が下野し、その4年後に西南戦争が起きて西郷が自刃してからは、「薩」抜きの「長州中心藩閥政府」となって片肺飛行で右へ右へと傾いて行った。
そのイデオロギーが吉田松陰の超野蛮なアジア蔑視の侵略征服論で、それにより日本は破滅した。その吉田松陰の考え方は(今までに何度も紹介しているが)彼の次の言葉に示されている。
▼国は盛んでいなければ衰える。だから立派に国を建てていく者は、現在の領土を保持していくばかりでなく、不足と思われるものは補っていかなければならない。
▼今急いで軍備をなし、そして軍艦や大砲がほぼ備われば、北海道を開墾し、諸藩主に土地を与えて統治させ、隙に乗じてカムチャツカ、オホーツクを奪い、琉球にもよく言い聞かせて日本の諸藩主と同じように幕府に参勤させるべきである。
▼また朝鮮を攻め、遠い昔のように日本に従わせ、北は満州から南は台湾・ルソンの諸島まで一手に収め、次第次第に進取の勢を示すべきである。
▼朝鮮と満州はお互いに陸続きで、日本の西北に位置している。またいずれも海を隔て、しかも近くにある。そして朝鮮などは古い昔、日本に臣属していたが、今やおごり高ぶった所が出ている。何故そうなったかをくわしくしらべ、もとのようにように臣属するよう促す必要がある。
▼オーストラリアは日本の南にあって、海を隔ててはいるが、それほど遠くでもない。……草木は繁茂し、人民は富み栄え、諸外国が争ってこの地を得ようとするのも当然なのである。所がイギリスが植民地として開墾しているのは、わずかその十分の一である。僕はいつも、日本がオーストラリアに植民地を設ければ、必ず大きな利益があることだと考えている。(「幽囚録」、奈良本辰也による現代語訳/「吉田松陰著作選」、講談社学術文庫より)
西郷亡き後の長州片肺政権は国権主義から帝国主義へと駆け上って吉田松陰シナリオの通りに国を導き、破滅した。しかしその国権主義の熱烈な信奉者が岸信介であり安倍晋三であり、その害毒は今の日本の進路にとっても大きな妨げとなっている。
他方、民権主義の系譜は、明治早々の中江兆民はじめ自由民権運動家たちから西郷を経て大正デモクラシー、昭和の石橋湛山の「小日本主義」へと繋がるが、上述の古川は超党派議員連盟「石橋湛山研究会」の共同代表の1人であり、また石破をはじめ岩屋毅外相、村上誠一郎総務相、中谷元防衛相、平将明デジタル相、伊藤忠彦復興相と、閣僚の6人が研究会に参加している。
だから石破が頑張りさえすれば、維新から160年の民権主義の流れをたどりつつ安倍的な国権主義を克服していく道筋を説く首相談話を閣議決定することも不可能ではないはずだが、彼にその気迫はなさそうである。
どうせ遠からず辞めるのだから、開き直って暴れるだけ暴れて貰いたいと思うのだが、残念なことである。
(メルマガ『高野孟のTHE JOURNAL』2025年8月11号より一部抜粋・文中敬称略。ご興味をお持ちの方はご登録の上お楽しみください。初月無料です)
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