10月27日の衆院選で歴史的大敗を喫した自民党。惨敗の責任を取り小泉進次郎氏が選対委員長を辞任しましたが、「石破下ろし」を予想する声も少なくありません。なぜ自民党はここまで議席を減らすに至ったのでしょうか。今回のメルマガ『高野孟のTHE JOURNAL』ではジャーナリストの高野孟さんが、同党敗戦の理由を考察。さらに厳しい目で公明、維新、立憲、国民民主各党の「体たらくぶり」を指摘しています。
※本記事のタイトル・見出しはMAG2NEWS編集部によるものです/メルマガ原題:石破首相では都議選も参院選も戦えない?/ならば年内にも政変が起きるしかないというかなり高い必然性
プロフィール:高野孟(たかの・はじめ)
1944年東京生まれ。1968年早稲田大学文学部西洋哲学科卒。通信社、広告会社勤務の後、1975年からフリー・ジャーナリストに。同時に内外政経ニュースレター『インサイダー』の創刊に参加。80年に(株)インサイダーを設立し、代表取締役兼編集長に就任。2002年に早稲田大学客員教授に就任。08年に《THE JOURNAL》に改名し、論説主幹に就任。現在は千葉県鴨川市に在住しながら、半農半ジャーナリストとしてとして活動中。
年内に「起きるしかない」政変。石破首相では戦えぬ参院・都議両選挙
自民党の単独過半数を42も下回る191議席という総選挙の結果は、同党の歴史で最悪から2番目の大惨敗である。
自民党は1955年の結成以来、2度の選挙で政権を失っており、その最初は1993年の「政治改革解散」。定数511、過半数256に対して同党は33足りない223で細川護煕政権を実現させた。次が2009年の政権交代時で、定数480、過半数241に対して同党は122も足りない119で、民主党=鳩山由紀夫政権を実現させた。それに比べて今回は、定数465、過半数233に対して同党は191である。
それぞれ定数が異なるので、定数に対する獲得議席の占有率で比較すると、今回は41.1%で、09年の24.8%には遥かに及ばないが、93年の43.6%を下回っていて、予め野党が結束を準備していれば政権交代が起きてもおかしくなかった。
逆に言うと、立憲民主党の野田佳彦代表は、選挙戦を通じて「政権交代」を訴え続けたものの、単独過半数を獲得できるだけの候補者を用意できておらず、そうであるなら他の野党と選挙協力をして候補者の一本化を図るしかないというのに、どちらでもない中途半端に流れ、野党第一党の責任を果たさなかった。
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