高市首相の「台湾有事は日本の存立危機」発言を機に、国内外で「反日キャンペーン」とも言える動きを繰り広げる習近平政権。その背景には「歴史認識」という大きな問題が横たわっていることは否定できません。今回のメルマガ『冷泉彰彦のプリンストン通信』では作家で米国在住の冷泉彰彦さんが、日清戦争や沖縄を巡る「攻防」等を整理し、両国の歴史認識の食い違いについて解説。さらに中国の「日本孤立化トラップ」に対して、高市政権がいかに対処すべきかを考察しています。
※本記事のタイトル・見出しはMAG2NEWS編集部によるものです/メルマガ原題:日中関係における「歴史認識」を考える
議論を避け続けたツケ。日中関係が歴史認識で袋小路に入った理由
どうも、日中関係が芳しくありません。勿論、今回の場合も時間による解決に期待するというのが、最も現実的な態度と言えます。そうではあるのですが、良い機会でもあるので日本として、日中関係という課題にどのような態度で臨むのか、詳細な議論をしておくことは意味があると考えます。
以下は、リアリズムに基づいた議論の有効性を高めるための「叩き台」としてお示しするもので、結論でもなければ、強いこだわりがあるわけでもありません。様々な観点から検討していただいて、相当な期間の使用に耐える「コンセンサス」へと叩き上げていただければと思います。
「ダークサイドの起点」はどこにあったか
戦後処理の作業の中で、日本は基本となる4つの島とその周辺の島嶼以外の土地を放棄しました。後に、奄美が、そして小笠原、沖縄が返還されて現在の形になっています。そのことは、サンフランシスコの平和、連合国の国際連合への改組、日米安保の3点セットと一緒になって戦後日本の「国のかたち」を構成しています。そのことは、動かせるものではないし、動かす必要もないと考えています。
では、同じく戦後の、そして現在の視点から遡って、明治大正から昭和初期の日本について、どこまでは正当化ができ、どこからはダークサイドに落ちたと考えるか、これはポツダム宣言でもサンフランシスコ講和にも出てきません。いわゆる戦後談話の類でも具体的な言及はないと思います。
しかしながら、これは定義しておく必要を感じます。その場合の境界はやはり、「21ケ条要求」(1915年)」になるのではと考えます。第一次大戦終結を受けての旧ドイツ利権の継承という、ほとんどウィルソン・ドクトリン違反の時代錯誤、そして満蒙権益の確認、中華民国への顧問派遣といった条項には、どこを取っても正当化できる部分はないからです。
これは、日清日露とは構造が違います。日清日露はいずれも、朝鮮半島を「力の空白にしないし、欧州列強には渡さない」という日本の存立の大前提を守るという大義がありました。ですが、21か条の権益がカバーしている部分は、地政学的に日本の存立基盤ではないからです。仮に山東省が英独仏などの拠点になって、そこが軍事要塞化したとして、そのことがストレートに日本の独立を脅かすことにはならないからです。
この記事の著者・冷泉彰彦さんのメルマガ









