昨年の衆院選から先日行われた参院選までの「3連敗」の責を負うべしとして自民党内から激しい退陣要求を突きつけられ続けるも、依然として続投の意向を表明する石破首相。なぜ石破氏はここまで首相の座にこだわり続けるのでしょうか。今回のメルマガ『高野孟のTHE JOURNAL』ではジャーナリストの高野孟さんが、首相が退陣を拒む理由を複数挙げその各々について詳説。その上で、「安倍政治の悪しき遺産」を精算する重要性を強く訴えています。
※本記事のタイトルはMAG2NEWS編集部によるものです/メルマガ原題:「退陣要求」の十字砲火を浴びてもまだ少しでも頑張るのか石破首相/どうなる?「安倍政治の亡霊」との最終戦争
プロフィール:高野孟(たかの・はじめ)
1944年東京生まれ。1968年早稲田大学文学部西洋哲学科卒。通信社、広告会社勤務の後、1975年からフリー・ジャーナリストに。同時に内外政経ニュースレター『インサイダー』の創刊に参加。80年に(株)インサイダーを設立し、代表取締役兼編集長に就任。2002年に早稲田大学客員教授に就任。08年に《THE JOURNAL》に改名し、論説主幹に就任。現在は千葉県鴨川市に在住しながら、半農半ジャーナリストとしてとして活動中。
日増しに高まる“石破おろし”の声。四面楚歌の石破首相は「安倍政治の亡霊」との最終戦争に打って出るのか
自民党内で「石破おろし」の動きが活発になっているのは事実だが、それを第一面の大見出しで「石破首相、退陣不可避に」と、もう決まったかのように煽り立てているのはマスコミである。
石破茂首相本人は最初から「続投」を口にしていたので、こうなると逆に意地を張って「行けるところまで行って、やれることはやって討ち死にすればいいじゃないか」という心境になっているように見受けられる。そうすべきだと思う。
号外まで刷って街頭で撒くという「狂態」を演じた読売
マスコミには軽佻浮薄の癖があり、政局は荒れた方が面白いし、それで政変でも起きれば血湧き肉躍る大立ち回りとなってなおさら面白いと、興奮気味になるのは分からなくもない。しかし、各紙が23日夕刊から24日朝刊にかけ、こぞって「石破首相退陣へ」と書き立て、読売に至っては号外まで刷って街頭で撒くという狂態まで演じたのは、いかがなものだろうか。
そもそも、昨秋衆院選、今春都議選に続く今次参院選の3連敗という大惨事は、石破一人のせいなのか、それとも誰か別の顔を立てていれば避けられたはずのことなのか。そこをキチンと総括することなしに、自民党内からの派利派欲剥き出しの「石破おろし」キャンペーンに安易に同調することは出来ないはずである。
本誌は前号で、自民惨敗はまずもって石破の責任ではあるけれども、その責任とは、ここまで9カ月の政局過程の中心課題である「脱安倍化」に正面から取り組まずに逃げてしまったことにあるという総括視点を提示しておいた。敗けたのだから辞めろという単純な形式論ではなく、勝った(?)野党も含め、現今の政治過程の中心的課題にどのように対応し得ていたかという、もう少し複雑な内容論で評価しようという問題提起である。
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その立場から考えると、石破がこの間、「脱安倍化」でまともに戦えてこなかったことを少しでも反省して、《麻生太郎・高市早苗の右翼コンビと、形ばかりは解散したもののやる気満々の萩生田光一、世耕弘成ら旧安倍派とが結合して「安倍政治」の亡霊を復活させようとする策謀を阻止するために頑張ることこそ自分の責任の果たし方だ》と考えるのであれば、本誌は当面、戦術的に、石破続投支持で、その点でラサール石井や国会周りで「石破止めるな」デモに集まっている人たちと同意見である。
どうやら「本物」らしい石破首相の安倍派への憤り
さて、しかし、石破はこれまで出来なかったことを(遅まきながらも)これからやろうとするのかどうか。また仮にやろうと思い立ったとしても、これまで出来なかったことがどうして出来るようになるのか、大いに疑念が湧く。しかし、朝日新聞7月26日付「政界激動2025」欄の解説を読むと、なかなかやる気のようなのだ。要旨を拾うと……、
▼「総理はものすごく使命感に駆られて」「野党党首らとの会談で『辞めません』と明言した」(首相側近)
▼「首相が退陣の意向を固めた」との一部報道が伝えられた23日夜、首相は周囲に「古い自民党には戻したくない」と強い口調で語った。
▼首相は「石破おろし」を主導しているのは、派閥の裏金問題の震源地だった旧安倍派だとみて、周囲に「こんなでたらめをやられてたまるか。誰がここまで自民党を駄目にしたんだ」と強い憤りを見せる。
▼参院選で参政党が台頭したことも強く懸念していて、側近によれば、首相の「使命感」の一つとして「参政党が伸びるような社会状況に」「危機感をもって」いるという……。
そこまで言うなら、なぜこれまでそこで戦わなかったのかと思ってしまうが、しかしこれからでも「やる」と言うのであれば、「お願いしますよ。是非ともやって頂きたい」とエールを送らざるを得なくなる。
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