「安倍政治の亡霊」を断ち切る覚悟。今さら“怖いものなし”の石破茂が右派との最終戦争の末「戦後80年談話」で堂々と遂げる“戦死”

 

「戦後80年」という石破首相が辞めないもう一つの理由

7月26日付毎日のコラム「土記」で伊藤智永が、「もう一つの辞めない理由」と題して書いている(〔〕内は引用者による補足)。

▼石破氏は胸の内に、いま辞めるわけにはいかないもう一つの宿題を抱えているに違いない。それは自民党〔がどうしたという〕より〔ずっと〕大きな〔問題である〕敗戦の総括、すなわち日本国の戦後80年には、自分が首相として見解を表明しなければ、という使命感ではないか。それを果たさずには、と腹を決めているのだろう。

▼石破氏は……戦争への反省に人一倍強いこだわりがある。原点は、政治の師である田中角栄首相と、その親友だった父・石破二朗元自治相の体験だ。

▼20歳の初年兵として旧満州へ送られ、軍隊内のリンチや極寒の冷気で体を壊して帰国し、九死に一生を得た田中氏は「この国は戦争体験者がいなくなった時が怖い」が口癖だった。

▼官僚としてインドネシア・スマトラ島の占領行政を担当し、敗戦で2年間抑留された父……から石破氏は「非戦・反ファシズム・リベラル」の信条をくみ取ったという。

▼石破氏は〔今年〕1月、国際シンポジウムで「今年は敗戦後80年。あえて敗戦と言う。終戦ではことの本質を間違える。今を逃して戦争の検証はできない」と述べている。〔また〕7月20日夜、TBS番組で、第2次大戦の日本軍死者について「兵隊さんで亡くなった方々の6割は戦って亡くなったわけじゃない。病死や餓死だった。過去の直視を忘れてはならんのだと思っています」と語った。

▼「台湾海峡で戦争になれば日本は潜水艦や軍艦で戦う」(麻生太郎元首相)といった不見識には〔石破氏は〕憤まんやる方ない思いだろう……。

正直いって、これはいささか褒めすぎというか、石破の平和・リベラル指向を過大評価しすぎているように思う。

彼は1993年の政治改革国会の後、自民党を離党し小沢一郎の新生党、後に新進党に参加し、無所属を経て97年に自民党に復党するが、たぶんご本人の意思を反映していると思われるWikipediaの記述では、自民党からの離党は河野洋平総裁の改憲封印への反発からであり、小沢との決別も改憲や集団的自衛権の議論がまったく行われないことへの失望からだと説明していて、その限りでは旧自民党的なタカ派そのもので、麻生・高市と親和してしまう。

しかしこれは、自民党を勢いよく飛び出して後にしおらしく復党を果たした「出戻り組」によくある弁解術で、自分は軽挙妄動して出たり入ったりしたのではなく、石破の場合で言うと「改憲と集団的自衛権解禁」という1つの軸に従って身を処したのであると言う「後付け理屈」である。

伊藤は、石破が「軍事オタク」だとヤユされるのは不当で、「本当に戦争をなくすには軍事を知ることが必要だ」という考えによるものだと綺麗に整合させようとしているが、私に言わせれば、石破における平和・リベラル志向と改憲・集団的自衛権解禁のタカ派志向とは上手く整理できず、一部は論理的に破綻さえ起こしながら彼の中で相剋している。

それはともかくとして、ここで彼が辞めてしまい、その平和・リベラル志向が発動される機会を得ないまま8月15日が何も起こらないまま過ぎてしまうよりも、伊藤が期待するような出来事が何か勃発するのであれば、それに越したことはない。

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