玉木にも神谷にも“敗北”。衰退の一途を辿る明日しか見えぬ野田立憲「参院選の敗因」を総括する

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今般の参院選で、大方の予想通りの敗北を喫した自公両党。本来ならば大きく議席を伸ばすべきだった野党第一党・立憲民主党ですが、結果は改選議席の維持にとどまりました。その「敗因」はどこにあったのでしょうか。今回のメルマガ『高野孟のTHE JOURNAL』ではジャーナリストの高野孟さんが、昨年9月の時点ですでに見えていた立憲の「終焉の兆候」を紹介。さらに彼らが参院選挙戦で犯した致命的なミスについて詳しく解説しています。
※本記事のタイトルはMAG2NEWS編集部によるものです/メルマガ原題:この9カ月は一体何だったのかを思うと全く虚しくなる参院選結果

プロフィール高野孟たかのはじめ
1944年東京生まれ。1968年早稲田大学文学部西洋哲学科卒。通信社、広告会社勤務の後、1975年からフリー・ジャーナリストに。同時に内外政経ニュースレター『インサイダー』の創刊に参加。80年に(株)インサイダーを設立し、代表取締役兼編集長に就任。2002年に早稲田大学客員教授に就任。08年に《THE JOURNAL》に改名し、論説主幹に就任。現在は千葉県鴨川市に在住しながら、半農半ジャーナリストとしてとして活動中。

石破首相が続投へ。すべてが虚しくなる参院選で繰り広げられたポピュリズム合戦とその結果

石破茂政権の発足からこの参院選まではひと連なりの政局過程であり、客観的に見ればそこでの中心課題は、2012年12月以来の第2次安倍政権とその亜流に過ぎなかった菅義偉と岸田文雄の2つの政権とが残した「安倍政治」の悪しき遺産を徹底的に暴き立て、その害毒を浄化することにあった。

石破は、その12年近い期間を通じておおむね非主流ないし反主流を通してきた稀有な存在であり、たまたまの巡り合わせで総理大臣の座に就いたからには、蛮勇をふるってそこに切り込み、自民党の脱安倍化を通じての「ニュー自民党」への再生の旗手として自己を演出すべきだった。

しかも彼には、石橋湛山の「小日本主義」への共感という(どこまでの深さのものかは実はよく分からないとはいえ、一応)思想的ベースがあり、それに基づく自民党内のリベラル派から立憲民主、国民民主など野党にまで広がる人脈ネットワークもあって、いざ政界大再編ともなればそれも大きな武器となるかも知れなかった。

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