南インドの大学で講義を行ったメルマガ『ジャーナリスティックなやさしい未来』の著者でジャーナリストの引地達也さんは、南インドならではオープンな空気を吸いながら人口増加とデジタル普及が進む新たな市場について思いをはせています。今回の記事では、南インドのガネーシャ祭に見る宗教を超えた地域コミュニティの結びつきを語っています。
南インドの空気とガネーシャ祭から新しいつながりを考える
猛暑の東京から南インドに移動すると、そこには爽やかな風が吹いていた。
インドは酷暑のイメージだが、避暑地に来た感がある。
タミル・ナドゥ州の首都チェンナイの海岸線では、朝早くにも夕方にも水辺で楽しむ人たちの笑い声が絶えない。
明日はインド全土でガネーシャ祭のメーンの日。
街角の色とりどりの照明や装飾が華やいだ雰囲気を演出する。
昼間に私が訪問した大学では、日本のアニメコンテンツのコミュニケーションの可能性について、2つの特別講義を行った。
真剣に講義を聴き、質問をする学生は、講義後も私に話しかけてくる。
日本のアニメに関心を示す姿勢には、アニメの持つ吸引力だけが理由ではない。
人口が増える社会における若い学生のエネルギーが発出されているようで、受ける私にも爽やかな風を運んでくれた。
それは南インドという特有の空気感もあったのかもしれない。
南インドとは、インドのデカン半島南部に位置する地域を指しながらも、ドラヴィダ人の地とされ、同時に言語・文化も他のインドとは区別された地域としての総称でもある。
州領域では、アーンドラ・プラデーシュ州、テランガーナ州、ゴア州、カルナータカ州、ケーララ州、タミル・ナドゥ州を指す。
インド総面積の19.31 %(635,7801 km2)、インドの人口の20%。
ドラヴィダ人以外にもインド・アーリア人やコンカニ人をはじめとした人々も多く居住して現地の言語を使用している。
政治的には、選挙では独自の投票行動があり、2024年6月のインド下院総選挙は、モディ首相が岩盤を突き崩そうと南部を重要視したことも知られている。
この選挙で与党は大きく議席数を減らし、単独過半数割れとなったのは、南部での苦戦も要因だ。
この独自の政治路線を歩み、経済的に成功してきた南部は北部のヒンディー語を話すインド人民党を中心とした勢力とは違う政治力学が働く。
それは南インドが分離独立する話題も出るほどだ。
この記事の著者・引地達也さんのメルマガ
この南部の街角ではガネーシャ祭りの準備に忙しい。
この祭りはインド全土で行われ、最も人気の高い祭りとされる。
それは宗教の垣根を越えた地域の風習として位置づけられているからだろう。
ガネーシャ神はヒンドゥー教の神様で、サンスクリットで「群衆の主」を意味する。
現世利益をもたらす神、「富の神様」でもある、その姿は象の頭部とふくよかな人間の体、日本では「夢をかなえるゾウ」のベストセラーで広く世間に広まったかもしれない。
この人気の神様の祭りは地域によって期間が違うようで、10日以上や3日間など、出身地が違う人によって故郷のガネーシャ祭りの楽しみ方も様々のようだ。
今、私がいるチェンナイは1日のみで、ほかの地域の人は「ここは1日だけだ」と残念そうに話している。
露店には神様に捧げる花が売られ、大小のガネーシャ像が売られ、次々と買われていく。
この買われたガネーシャは各家庭で歓待を受け、大切な客人として盛大にもてなした後、海に帰すのだという。
チェンナイでは、祭りのすべてを1日で行われるとのことで、海に帰す儀式は明日行われるから、私は今のところ、どんなふうに帰すのかは分からない。
夕方から夜にかけて、ガネーシャ神を送るために、火をともし、祈りの言葉や捧げものを供え、最後にガネーシャ神にお願いをするのだという。
祭りの前日である今日でも、ガネーシャを祀る寺院では、祈りの言葉が断続的にこだまし、寺院の中でいくつも灯された炎に映し出されたような神様は花に囲まれ、神々しい姿となり、人々が恭しく手を合わせていった。
この祭りには宗教は関係がないから、様々な人々が手を合わせる姿を、日本の初詣と重ね合わせてみる。
しかし、祈りの声が朗々と響く中で見ていると、人口が増加する社会で、人々が捧げる祈りにも、学生と同じ強いエネルギーを感じる。
それは、生きようとする人の真摯な願いの結晶のようで、その煌めきにインドの神秘をまたも感じ入ってしまった。
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