トルコは、インフレや地域紛争といった不安定要素を抱えながらも、街には人々の日常が息づき、異国からの訪問者を受け入れる寛容さを持っています。メルマガ『ジャーナリスティックなやさしい未来』の著者でジャーナリストの引地達也さんは、親日と言われるトルコを訪問して感じた現地の人々が語る日本への評価について語っています。
歴史遺産と親日が交差するトルコで見る「公共への夢」
時差のために未明からベッドの上でまどろみながら朝を待ったが、一向に明るくならない。
カーテンを開けて外を眺めるとすでに朝は明けていたが、雨が降っており、空は厚い雲に覆われたままだった。
朝になれば青空のもとでアヤ・ソフィア聖堂の見事な丸みを帯びた屋根と尖塔のコントラスを見られると思ったが見当違いだった。
朝は明けたのだからと、とりあえず外に出て、早朝から人が行き交うイスタンブールの街並みに溶け込んでみる。
雨にも関わらず傘をさす人は少ない。
雨の被弾を避けるのはフード付きの上着か軒先に伸びたひさしのみだが、雨を気にする様子はない。
街の至る所に佇むネコだけは雨を避けた場所で人の行き交いを悠々と眺めている。
著しい経済成長のイメージから、最近ではインフレ抑制と戦争の仲介役の立場が際立つトルコ、そして「強権」と言われるエルドアン大統領だが、現在も経済のコントロールに苦慮しているとの報道が目立つ。
2025年10月のインフレ率は年率33%で、政府・中央銀行の目標値とされる2026年末に年率15%にするまでには道のりは遠い。
2028年5月まで実施される大統領選挙により、与党はバラマキ政策を再開し、財政規律が緩むことが見通されている。
長期で見た場合のトルコ経済は不安定さがつきまとう。
この記事の著者・引地達也さんのメルマガ
一方で、長年、クルド人との紛争に明け暮れたトルコ政府だが、40年にわたり武装闘争を続けてきた非合法組織「クルド労働者党」(PKK)は昨年5月に「歴史的使命を終えた」と武装解除し解散すると発表した。
とはいえ穏健なイスラム教国家は、クルド人のほか、イスラム圏内にも敵はおり、歴史都市は今もなお、テロへの危機を念頭に多くの治安維持の兵士が目立つ。
その歴史都市には地下鉄が開通し、トルコの国際空港と市街地は地下鉄で結ばれ、渋滞知らずの時間通りに目的地に到着するから、少々拍子抜けた気がしないでもない。
入国して私がたどり着いた下町はカフェや食堂が露店に席を並べていて、ドネル・ケバブの値段は観光名所よりも半額ほど。
注文しながら、店の男性と話をすると、日本から来たと聞いた途端に、サッカー観戦後にサッカー場を清掃して帰る日本人サポーターに感動したことを繰り返し語る。
褒められるのは、悪い気はしない。
さらに地下鉄車内で大きなスーツケースと共に乗り込んだ夫婦のうち男性が列車の出発に体勢を崩され、私の足を踏んづけることになった。
男性は、よほど踏みつけた感触があるらしく、私に仕草で仕切りに謝ってくるが、痛みは一瞬だけだったので、私もそんなに大仰に謝る必要はないと仕草で応える。
男性は、英語が話せる傍らの妻にも「謝ってくれと」とお願いして、妻と会話が成立した後に、聞くとイランからの観光客で、私が日本人だと知ると、うれしいそうに「行ってみたい場所」であると伝えて、街が掃除によりきれいであることをこの目で確かめたいという。
トルコ人もイラン人も親日が多い事では有名で、歴史を知るトルコ人の中では日露戦争に勝利した日本にいまだに賞賛する人もいる。
「掃除をする」「きれいな」日本に好意を寄せる言葉に触れると、その「きれい」という表象を考えると、私たちが大事にしている、公共をきれいしようとすることを評価されたようで率直の嬉しさとともに、美しさを保つ公共への貢献は、つまり多くの人にとって心地よい空間にするための行為だと気づかされる。
これら国際的な評価そのものも、目的であるのかもしれない。
私たちは公共をきれいにすることで、誰もが過ごしやすい場所を作る行為を実践しているのだ。
これは爆撃を投下させ、街を汚す行為の対義にあると考えると、「きれいにする」という私たちの公共への考え方は、今、混沌した状況で何らかの貢献の道具にならないだろうか、と夢想してしまう。
この記事の著者・引地達也さんのメルマガ
image by: Nejdet Duzen / Shutterstock.com