自民党大会でロックミュージシャンが「燃えろ、サナエ!」と熱唱し、高市首相が両手を振り上げて大はしゃぎする——。その裏で、憲法学者も「立法事実がない」と認める国旗損壊罪の新設が進み、イギリス紙には「虐待的な日米関係」と断じられています。「愛国」という物語で現実から目をそらし続ける政治の危うさとは何か。今回のメルマガ『小林よしのりライジング』では、漫画家・小林よしのりさん主宰の「ゴー宣道場」参加者としても知られる作家の泉美木蘭さんが、ネトウヨ政治の病理を容赦なく解剖しています。
※本記事のタイトルはMAG2NEWS編集部によるものです
現実から目をそらすネトウヨ政治と『愛国』というクスリ
4月12日(日曜)に開催された自民党大会で、ロックミュージシャンの世良公則が、ツイストのヒット曲『燃えろいい女』を熱唱したと話題になっていた。 動画を見たが、世良は、サビの部分を「燃えろ、いい女! 燃えろ、サナエ!」と言い換え、「まぶしすぎる お前との出会い」という歌詞では、高市早苗を指差すという演出を繰り出していた。 曲終盤は、会場とのコール&レスポンスで大盛り上がりとなり、世良の「燃えろ!」に続いて、自民党員たちが「サ・ナ・エーッ!」と大絶叫。舞台上の大型スクリーンには、両手を振り上げて大はしゃぎする高市の姿が映し出されていた。
こういうのを、権力におもねる人という意味で「太鼓持ち」「男芸者」と呼ぶのではないのだろうか。お座敷太鼓がドラムに、三味線がギターに変化しただけの話だ。 権威に対する違和感や抑圧への破壊衝動を爆発させるための音楽がロックンロールであったのに、ここまで権力絶賛に成り下がるなら、もはやロックは死んだと言うしかない。
さらに、スピーチで参加した日本維新の会・吉村洋文代表のYouTubeでは、高市が吉村に対して「褒めちぎるんだ。私を」「歯の浮いたようなお世辞でもいいから、私を褒めちぎって」と耳打ちする映像が公開されていた。
ゆるんだ雰囲気のなかで、高市が「私を褒めて…」という空気を自ら作りだしている、不気味な場面だ。撮影者も支持者も、せいぜい「自民党総裁と維新代表の、関西風でちょっと笑える一幕」程度にしか受け取っていないのだろう。だが、その軽さと鈍感さが日本を現実から引き離し、かなりマズい方向へ押し流しているのだからイヤになる。 しかもこの自民党大会で掲げられた「立党70年新ビジョン」という宣言書がまた、うんざりする内容だった。
「現実から目をそらします」宣言
自民党が発表した宣言には、「保守たるものとは」という感覚でこれでもかと美辞麗句が並べられている。まず2度見したのはこの部分だ。
わが党が維持してきた保守とは、一つの「態度」である。昨今、高言に急進的な変革を求めたり、異なる意見を排除したりする言説の傾向が見られるが、こうした態度をわれわれは保守とは考えない。…(中略)…断固として極左、極右の全体主義、権威主義的な国家の姿を追求する勢力とは対決しなければならない。 「立党70年 自民党の歩みと未来への使命」より
保守とは「態度」のことでもあるというのは、「ゴー宣道場」でも議論されたことがあるし、ブログでもいろんな形で書いてきた。歴史のなかで醸成された良き慣習や常識、文化を重んじつつ、現状の問題に対してどう判断をつけていくのか。その過程で思い悩んだり、学んだり、考えを改めたりもする──そうしたバランス感覚のことでもあった。 変革を求める異なる意見に対しても、時代の要請に応じて反応し、咀嚼し、必要に応じて自らをアップデートしていく。その柔軟さもまた、「態度」に含まれるはずだ。 ところが、ネトウヨ高市自民党は、日本の歴史も常識も文化もまともに知らず、自分たちにとって居心地の良い「夢の日米同盟」「〈強い日本〉という幻想」「あの懐かしき明治時代」「俺たちの愛する男尊女卑の世界」にしがみついて、それを脅かす現実や異論を「極左のデマ」「敵対勢力」と言って排除しているだけだ。 しかも、「全体主義」とも「権威主義」とも対決するどころか、自らそれを作り出し、利用している。 自民党の言う「保守の態度」とは、現実に向き合う姿勢ではない。現実から目をそらし、都合のよい物語に閉じこもるための逃避にすぎない。
先人から受け継がれてきた日本の「国柄」を体する存在が、2600年以上続く日本の皇統である。わが国の皇統は国民との信頼と敬愛によって結ばれ、国民生活の安定を願う祈りとともに連綿と続く日本の歴史そのものである。この歴史と伝統を受け継ぐことは保守思想を体する政党として、果たしていかなければならない基本的使命であり、また多くの国民の希望でもある。
「多くの国民の希望」とは、天皇陛下のお子さまである愛子さまに、次の代を継承していただきたいという自然な願いだ。 ところが、それを排除して、永田町に巣くう政治家の男尊女卑観念にしがみつき、皇位の継承を「男系血統の接続」という不敬な血の話にすりかえる。そうして皇室に対する信頼も敬愛も崩壊させてしまおうとしているのが、ネトウヨ高市自民党である。
わが党の「保守政治」とは単なる懐古主義ではない。20年に1度、式年遷宮を繰り返し、1300年以上にわたって続いてきた伊勢神宮。その理念は「常若(とこわか)」に表現され、古くから続く長い伝統を守るため、常に新しい姿に作り替えることで、みずみずしい生命力を今日まで伝えてきた。これこそが、わが党が示すべき保守政治である。
自民党のどこが「常若(とこわか)」で、どこに「みずみずしい生命力」があるというのだろう。令和の現代になっても、明治時代の男尊女卑にしがみついているのだから、懐古主義の象徴だと思うが。 「常若」とは、その時代の現実に合わせて、常に変化し、アップデートしながら、伝統を若々しく生命力あるものとして守っていくという思想だが、ネトウヨ高市自民党がやろうとしているのはその真逆だ。 「《伝統》とは、明治時代のじいさんの形状に固定することである!」 と言わんばかりの発想である。 じいさんはとっくに死んでいるのに、そのデスマスクを後生大事に磨きつづけるのが「保守」だと思っているのだろう。一滴のみずみずしさも生命力も感じない。
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“愛国ごっこ”で問題を作る政治
他にもうんざりする文章が山ほど書かれていたが、要するに「立党70年、自民党は現実から目をそらします!」という宣言である。 だが、目をそらし、居心地の良い幻想にしがみつきつづければ、現実とのズレや歪み、空虚感、引き裂かれるようなコンプレックスが必ず生まれる。その痛みを埋めるために処方されるのが、ネトウヨの大好物である「愛国」という物語だ。 4月9日、高市肝入りの「国旗損壊罪」について自民党本部会合が開かれ、その席で、岩屋毅前外相が「立法事実がない」「政治的なアピールのための立法」「憲法が保障する内心の自由、表現の自由、最も守られるべき憲法法益に照らして適切ではない」と異議を唱えたという。 まったくその通りだ。実際に国旗損壊が社会問題になっているわけでもないのに、わざわざ取り沙汰して刑罰を設けようというのだから、高市は「愛国の演出」のために問題をでっちあげているとしか言いようがない。 浅はかなネトウヨ的権力欲を燃やして、「愛国の旗手」を気取りたがる。程度の低い、幼稚な自己満足。さながら”愛国ごっこ”である。 そもそも、「日本」「国旗」への思いがそれほど強いと言うのなら、まずは日本の象徴たる天皇に真摯に向き合うべきだ。ところが高市は、天皇を軽んじて、そのお言葉を拝聴することも、お気持ちを忖度することもしない。国旗損壊どころか、皇統断絶、天皇制崩壊という日本史上最悪の罪を犯そうとしている。
孤立深める高市の「強い日本」幻想
雑誌では、高市が、周囲に「何としても日本の存在感を示さなあかん」と言って、トランプの要請に応じてホルムズ海峡へ自衛隊を派遣しようとしていたことが報じられている。イランと戦争する気だったのだ! 現実の世界の変化も、後先どうなるかも、憲法も制度も冷静に見極められず、ただただ「存在感」を示すために「強い日本」を演じたいという衝動だけが先走っているのだから、高市早苗が首相であること自体が、日本の存立危機事態だと言える。
だが、自衛隊派遣については、会議の席でコバホークこと小林鷹之政調会長に猛反論されたり、側近らに諫められたりする出来事があったらしい。高市はすっかり孤立を深め、疑心暗鬼に陥っているという(月刊誌『選択』4月号)。 官邸では1人で小部屋に閉じこもり、タバコを吸いまくりながら電話も無視して過ごしているので、周囲も連絡がとれずに困っているという話もある(『週刊文春』4月16日号)。 2月には、「トランプ氏に会うため」に2度歯科に通って、数時間かけてタバコで黒ずんだ歯をホワイトニングしていたという話まで流出していた。 予算委員会を欠席して批判を浴びておきながら、トランプと会うために歯を白くしていたとは言葉を失うが、こうしたイメージダウンにつながる情報が次々と漏れてくること自体、官邸内に高市に対する不信感と苛立ちが広がっている証拠でもあるのだろう。
そりゃ世良公則に「燃えろ、サナエ!」と歌ってもらえば、さぞ気分も高揚したことだろう。維新の吉村に「私を褒めちぎって」と耳打ちしたのも、内面の不安を隠しきれない人間の言動だと思えば合点がゆく。 このような中で、高市にとって党内を固められる格好の材料が「旧宮家系男系男子の養子案」になってしまっている。愚かなネトウヨとサナ活民の圧倒的支持を背景に主導権を握り、皇室典範を改正して喝采を浴びたいという、浅ましい自己顕示欲である。
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英『フィナンシャルタイムズ』が断じた「NOと言えない日本」
日本の「存在感」を示すために、高市はトランプと一体化してイランと戦争するつもりだったわけだが、それを身内に諫められたからといって、憲法9条に頼ってごにょごにょと自衛隊派遣を断ったり、アメリカにゆすられるまま、カネと日本企業を差し出したりする必要などなかった。(第394回「『対米投資80兆円』という”日本ゆすり”」に詳報) 単に「イラン攻撃は国際法違反である」と堂々と言えばよかったのだ。 実際、「世界中に平和と繁栄をもたらせるのはドナルドだけ♪」と媚びてみせてからわずか2週間後、そのドナルドは「戦争に参加すると思っていた同盟国が参加しなかった」「誰が助けなかったか知ってるか? 日本だよ」と発言し、「日本には5万人の米軍が駐留しているのに」とイヤミまで付け加えている。 一方、アメリカに対して「国際法違反の戦争には協力しない」と真正面から猛抗議したスペインは、トランプから脅されはしたものの実際の制裁は行われず、その後のEU諸国の動きにも影響を与える存在となっている。 高市の媚米は失敗した。それが現実である。
イギリスの経済紙『フィナンシャルタイムズ』は、一連の出来事を分析し、日本を「トランプにNOと言えない国」と論評している。
記事では、高市がいくら媚米外交を展開してもトランプから非難されているという事実を「高市首相にとっての危機」とし、日米関係を「ほとんど虐待的な関係になりつつある。日本が相手を喜ばせようとすればするほど、扱いは悪くなる」「これは用心棒ビジネスだ。日本は恐喝から逃れられない」と分析している。 また、イラン攻撃に関してはトランプから挑発や非難を受けている一方で、高市の台湾有事発言で中国を激怒させた件についてのトランプの反応は、「耳をつんざくほどの沈黙であった」と表現した。 ゾクッとする書き方だ。 沈黙とは、単なる無言ではない。日本には、実は「現実」というけたたましい警告音が鳴り響いている。だが、その警告音に耳を塞ぎ、「日米同盟」という幻想の中にしゃがみこんでいようとする姿勢を、海外紙に的確に見抜かれているのである。 そして記事は、1989年に刊行された『NOと言える日本』(石原慎太郎と盛田昭夫による共著)に触れ、「すでに絶版で再刊される価値すらなくなっている」とし、2026年の日本はその真逆となって、「高市早苗は『NOと言えない日本』を率いている」と指摘している。 このぐらいの指摘は、日本のマスコミにこそやってもらいたい。
幼稚で浅はかな自己顕示に執着して「存在感」と「強い日本」を演出しようとするものの、現実の世界ではまったく通用していない。そして、「対米依存症」という病理が引き起こす苦痛を和らげるクスリとして、高市早苗は「愛国」という物語を持ち出している。このクスリは中毒症状が強く、摂取すればますますネトウヨまっしぐらだ。 「クスリやめますか? 人間やめますか?」 「ダメ、ゼッタイ。ネトウヨは妄想から抜けられなくなる恐ろしい病理です」 こんなネット広告を打ちたくなるほどだ。日本の行き先は、現実を見られるかどうかにかかっている。(『小林よしのりライジング』2026年4月14日号より一部抜粋・敬称略。このほか、小林よしのりさんの記事「ゴーマニズム宣言」はメルマガご登録の上お楽しみください)
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