アメリカとイスラエルによる突然の攻撃により、混迷が深まるイラン情勢。しかしその本質は、核問題や軍事衝突だけで読み解くことは困難とも言えるようです。今回のメルマガ『冷泉彰彦のプリンストン通信』では作家で米国在住の冷泉彰彦さんが、イランの「神権政治」が維持されてきた構造を分析。その上で、女性の権利やサッカー文化に込められた同国穏健派の希望と、それらを理解できない米国サイドが犯した「ミス」の深刻さを考察しています。
※本記事のタイトル・見出しはMAG2NEWS編集部によるものです/メルマガ原題:イランに関する米国サイドの深刻な無理解
ブッシュに重なるトランプのやらかし。イランに関する米国サイドの深刻な無理解
イランは動揺しています。長年の経済制裁や、今般の米国+イスラエルによる攻撃によって動揺しているのではありません。こうした事象はすべてが結果であって、問題はイスラム共和国建国のルーツにあると考えられます。
1973年に発生したイラン革命は、まるで独裁者であるシャー(皇帝)を、民衆が打倒したような印象があります。ですから、当時も今もこの政変を革命だとして、それで時代が前進したような方向性で理解する人が多いのが事実です。
例えばですが、開発独裁が行き詰まったマルコスのフィリピン、全斗煥+盧泰愚の韓国が行き詰まって民政に移行したのは確かに革命ですが、同じようにこのイラン政変を考えるのは間違いです。例えばですが、親米の保守政権が倒れて公明党=創価学会による中道左派が政権を取ったというような比喩は当てはまりません。
そうではなくて、中国で言えば義和団の乱が勝ってしまって再度鎖国が実現したとか、日本の場合だと神風連と鹿児島私学校が勝ってしまって欧米と断交したというような荒唐無稽なことが起きたと言っていいと思います。
勿論ですが、米国とイスラエルの今回の行動が正当だということを申し上げているのではありません。そうではないのですが、例えばですが、シャーの政権が腐敗していて格差を拡大していた、そこまでは正しいと思います。シャーの追放もいいでしょう。マルコスや全斗煥・盧泰愚のように滅ぶべき運命であったことは覆せません。
問題はやはり僧侶による宗教政治という仮面をかぶった「急進右翼」の政体が成立して、こともあろうに50年近く続いてしまっているということです。本当はこうしたインチキで時代錯誤、統治能力に欠ける政権というのは、建武新政、王莽、細川、野田民主党などのように瞬時に消えてしまうべきものでした。
ですが、生臭坊主どもの悪質なのは、統治はできないくせに、敵を作ることで強圧政治を続ける知恵はあったのです。彼らの敵は、欧米文化、女性の権利、クルド人、イラクのフセイン、そしてイスラエルでした。
革命直後は、「革命が起きたのだから自分たちにも自治を」と望んだクルド人に大弾圧を加えました。またイラクとの長期にわたる戦争を求心力にしました。それもこれも、内部の敵である「欧米消費文化+女性の権利」を叩き潰すためでした。外部に敵を作って結束して、内部の分裂を叩き潰すという手法です。
イラクが敵でなくなると、今度は本格的にイスラエルに挑戦するようになりました。イランにとっては、原理主義をレバノンとガザに輸出してイスラエルと戦うのは、敵を作りたくて作ったのです。それは内部の結束のためでした。とにもかくにも欧米流の消費社会と女性の権利を潰すためです。
この記事の著者・冷泉彰彦さんのメルマガ
戦争も神権政治も望んでいるはずがないイランの女性たち
とにかく、イラン人の望みは「欧米の普通の周辺国」になることです。そのうえで、石油資源を生かして少し良い生活をするのが望みです。そのために、苛酷な独裁を行ったシャーを追放したのに、今度は僧侶が原理主義的な政治を行って、結局は社会は別の閉塞感で覆われてしまいました。
以降は選挙をすると穏健派の大統領が選ばれるが、僧侶の前では穏健な政治は許されないという奇怪な構図が続いたのです。その中でも、僧侶たちが憎んでいるのが2つの問題です。それは、
「庶民がマクドナルドのバーガーを食べること」
「女性が男子サッカーの応援に行くこと」
前者は革命で禁止されました。後者はあまりにも民意が強い要求をしているので、僧侶も押さえきれていないのですが、とにかく僧侶は忌み嫌っています。「夫でも兄でもない男性がスネ毛を出してボールを追う」のを未婚だろうが既婚だろうが、女性が喝采するのは、僧侶からすると、その女性たちを「火あぶりにしたい」ぐらい憎らしいようです。
ムハンマドは、7世紀の隊商社会における砂漠のテント村における「賢い秩序維持の知恵」を説いただけで、1,400年後に女性の尊厳を踏みにじることは考えていなかったと思います。ですが、シャリアに毒された僧侶は違うようです。そして、マクドナルドを食べたい都市住民、男子サッカーを応援したい女性などの声を反映しているのが、国内の穏健派ですが、そのホンネの主張は僧侶の存在とは相容れません。
その結果として、僧侶たちが、特に若き日に穏健派による暗殺未遂に遭ったハメネイは、イスラエルと事実上の冷戦に入ることで国内をまとめてきたのです。ニワトリが先か、卵が先かということで言えば、女性に男子サッカー観戦をさせたくないので、手段としてイスラエルとの緊張関係を生み出しているという順番と言ってもいいと思います。
つまり、サッカーというのはイランの穏健派の希望なのです。女性が自由に男子サッカーを応援する社会、女子サッカーが正当に認められる社会、これが彼らの要求であり希望ですが、僧侶たちがその前に暴力的な力で立ちはだかっているのです。
米国の現政権は、このことを全く理解していないと思われます。W杯出場のイラン代表をあの手この手で「いじめる」のが正しいとか、米国内の情弱に受けるという発想は、イランにおけるサッカーの意味を理解しないから出てきているとしか思えません。
また、米国の独立記念日にぶつけて、イランではハメネイの葬儀を行っています。数千万が参加しているというのは、要するに戦時中の日本がやった提灯行列のようなもので、非公式的な強制性を伴っていると考えるべきです。西側メディアに対して、わざわざ女性にハメネイ追悼と米イスラエルへの憎悪を喋らせているのも、完全にヤラセです。イランの女性たちは、こんな戦争も、こんな神権政治も望んでいるはずがないからです。
この記事の著者・冷泉彰彦さんのメルマガ
間接的に神政政治の延命に手を貸して来たとも言える日本
そう考えると、まるで米国の影でイランと良好な関係を結んできた日本の外交が正しいとか、高市総理はハメネイ国葬に行くべきという話になりそうです。しかし、これも全く適当ではありません。全方位とか、平和外交だなどと言って、神権政治のイランから原油を確保しようと躍起になったこの45年、日本は日本で間接的に神政政治の延命に手を貸して来たのは事実だと思われるからです。
とにかく現在の事態には希望はありません。米国は長年封印してきたイランへの直接介入を、簡単に実行に移してしまいました。そのことが、僧侶たちによる神権政治を延命させることになるのです。そして、攻撃の結果として、イランの女性の尊厳は回復せず、クルド人の権利も虐げられたままです。サッカー文化も抑圧されたままなのです。
この計算ミスは、ブッシュのミスに重なってきます。ブッシュは、チェイニーに騙されてフセイン討伐をやってしまいました。その結果、バカ正直にイラクで公選の民主主義を急いだ結果、イランに近いシーア派とクルド系の連立政権という妙な政体ができてしまったのでした。この計算ミスに、今回の攻撃によって相手を結束させてしまったというミスが重なって取り返しのつかないことになっているのです。イラン情勢についてはこうした観点から考えていきたいと思います。
※本記事は有料メルマガ『冷泉彰彦のプリンストン通信』2026年7月7日号の抜粋です。ご興味をお持ちの方はこの機会に初月無料のお試し購読をどうぞ。メイン・コンテンツ「USAレポート」の「建国250年、分断と虚しい花火」、人気連載「フラッシュバック81」もすぐに読めます。
この記事の著者・冷泉彰彦さんのメルマガ
初月無料購読ですぐ読める!7月配信済みバックナンバー
- 【Vol.646】冷泉彰彦のプリンストン通信 『建国250年、分断と虚しい花火』(7/7)
image by: Erman Gunes / Shutterstock.com