1998年の「アジア通貨危機」以来、28年ぶりに実施された日米による円買い協調介入。円安阻止を急ぐ日本側の事情は理解できる一方で、なぜアメリカは異例とも言える対応に踏み切ったのでしょうか。今回のメルマガ『冷泉彰彦のプリンストン通信』では作家で米国在住の冷泉彰彦さんが、日米それぞれが抱える経済政治上の複数の事情を分析。さらに米国側の決断のカギを握ったとみられるベッセント財務長官の経歴と市場観から、トランプ政権が協調介入に乗った動機の読み解きを試みています。
※本記事のタイトル・見出しはMAG2NEWS編集部によるものです/メルマガ原題:円買い協調介入、米側の動機
28年ぶりに抜かれた「伝家の宝刀」。円買い協調介入、米側の動機
円安が続く中で、日米は遂に「伝家の宝刀」とも言うべき協調介入を行いました。1998年以来、実に28年ぶりの事態であると言えます。ちなみに、為替に対する政府の介入というのは、それ自体が変動相場制に対する挑戦であり、形式論から悪口を言おうと思えば「為替操作(マニピュレーション)」という非難も可能です。ですから、多くの場合は関係する当局からは正式な発表は行われないことになっています。
発表が必要な場合でも、間接的な言い回しになるのが普通です。そうなのですが、今回の協調介入に関する米国側の対応は異例でだと思います。ベッセント財務長官は協調介入の事実を堂々と認めて説明もしているし、それどころかトランプ大統領自身が専用機内の「囲み取材」にあたって大統領自ら円救済を行う旨の発言を行っているからです。
大統領自身の発言まで引き出したのですから、日本側の片山財務相とすれば、これはもう最大限の対応を引き出すことに成功したと言えるでしょう。ちなみに、介入の効果としては本稿の時点では一進一退です。介入直後は一旦155円台まで円高となりましたが、その後はズルズル下げており、157円前後で小刻みな追加介入がされた可能性がありますが、本稿の時点では上げ基調への転換は起きていません。
そんな状況ではあるのですが、この協調介入について、米側がそこまでの対応を決断したというのは、注目に値します。その背景をどのように考えたら良いのかというと、多くの要素が絡み合った上での判断であり、これを読み解くのは難しいのは事実です。
ところで、ここまでに至る経緯ですが、昨年10月の高市政権発足以来、俗に言う「積極財政」が国際市場に嫌われる中で、円はズルズルと下げてきていました。そんな中で、5月の連休中に政府日銀は数回にわたる大規模介入を行い、そのことを公表しました。介入総額は11兆円と言われています。この5月のタイミングでは160円台への突入防止であったわけですが、介入の効果により1ドル156円台を巡る攻防へと、一旦は移動しました。
けれども、その後の市場でもズルズルと円は下げ、6月から7月になると1ドル163円から4円という水準まで下落しました。7月31日より、日米が協調介入するに至ったのは、こうした事態を受けてのことです。とりあえず、日本側の動機としては次の2点が指摘できます。
(1)これ以上円安が進むと、輸入品の高騰がインフレを悪化させて国民の実質的な生活水準が下がる。結果的に政権への不満が増大する
(2)円への不信任は国債への不信任につながり、国債金利が上昇すると国債費が膨張して予算が組めなくなる
直接的にはこの2つが大きな問題になります。(1)の物価問題に関しては、対策として「食料品消費税の減税+給付」が検討されているわけですが、仮に円安が暴走すると対策が追いつかなくなります。一方で、この対策は財政規律に反するので円安要因となります。
この記事の著者・冷泉彰彦さんのメルマガ
トランプ政権が協調介入に乗ってきた相当に複雑な事情
更に、これは政権が強く意識しているとは思えないのですが、国の運営の本質的な部分として、円安が加速することは次の2つの悪影響を伴います。
(3)日本経済の中で、グローバル経済にリンクしている部分(多国籍企業、商社、金融、オルカン投資家など)と、純粋に日本経済だけに依存している部分(国内市場向けの産業、年金生活者、公務員、国債や預金への投資)との格差が拡大。その結果として、不公平感や更には治安の悪化の可能性がある。
(4)インバウンド観光客の購買力と、国内の購買力の格差が更に拡大して、二重価格の横行や、インバウンド嫌悪など社会が不安定化する。
こうした問題に加えて、時季的な問題もあります。
(5)円安を是正するために、円高に振ると、今度は日本の多国籍企業が海外で稼いだ収益が縮んでしまうし、海外で形成された株価も円建てになると下がってしまう。けれども、今は8月で3月決算企業の決算期までは半年以上ある。また次の賃上げまでの時間もある。だから一時的であれば円高に振っても問題がない。
ということで、やるなら「今」という判断に至った理由としては色々と合理的な点はあるわけです。そして、何よりも一番の理由は、
(6)「消費減税と給付」を実行する判断のプロセスで、ドンドン円が下がってしまうと、減税+給付ができなくなる。それどころか、政権の失速あるいは突然死につながりかねない。今、この数週間で良いので円安を止めておきたい。
ということなのでしょう。さて、ここまでお話した日本側の事情については、比較的理解ができるわけですが、では、どうしてアメリカ側がこの流れに乗ってきたのか、こちらは相当に複雑な事情があるように思われます。以降は、ここまで日本側の事情について、使ってきた連番に続けてアメリカ側の事情を列挙していきたいと思います。
(7)何よりも、トランプ政権としては、11月に迫った中間選挙に勝ちたい。とにかく、下院の過半数が民主党に行って、上院で多くの造反が出ると弾劾されてしまうので、一人でも自派の勢力を拡大しておきたい。したがって、10月までの期間に顕著な景気の後退が発生しては困る。株価を維持し、雇用を崩さずに行きたい。
この問題が最大のテーマです。この7番目のテーマには派生的に次のような問題がぶら下がっています。
(8)株価を崩壊させ、景気を壊す要因としては、AIバブルの崩壊がある。これを防止するため、まずはSpaceXを強引に上場させたものの、上場後高値の半額まで売られてしまったが、これを何とか戻したい。そしてOpenAi、Anthoropicの上場も成功させたい。そうでないと、彼らに貸し込んでいるノンバンク融資が怪しくなって危機が露見する。
(9)米国債の金利が上昇しては困る。国債金利の上昇は市中金利を引き上げ、不動産ローン、クレカローンの金利が上がれば消費者はインフレに加えて金利高に苦しむ。また、債券安と株安の二重苦が発生してしまう。
(10)米国では不動産バブルが発生している。コロナ禍以降の郊外住宅需要の拡大に加えて、中国の不動産バブル崩壊の影響で不動産投資マネーが流入して、NYなどのタワマン+オフィスは高値圏となっている。このバブルが崩壊すると、金融危機に発展しかねない。
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「円安も高金利もイヤ」と反応する米団塊世代の習性
この中で、最も本質的な問題は(8)のAIバブル崩壊です。この問題は非常に複雑な構造をもっており、まず現在は「AI投資ブーム」だけによる経済の牽引は終わっています。依然として投資は続いていますが、「AIの実用化とマネタイズ」という2番目のフェーズに既に入っています。特にB2BのAIについては、有償でもどんどん利用が拡大している中で、ビジネスの競争は激しくなっていますが、投資が回収できるほどのマネタイズになってはいません。
その一方で、本当にAIなりAIエージェントが生産性を向上させるのかという本質的なメリットが立証されたのかというと、そこは疑問がまだまだ残っています。ですが、AIによる人間の仕事の置き換えは進んでおり、一部の大卒労働市場における就職氷河期というのは現実となっています。
そんな中で、AIのビッグ3、つまりSpaceX、OpenAI、Anthropicに加えて、クラシックなシリコンバレーのGAFAMは猛烈なAI投資を続けています。更に、半導体市場もAI関連が主導しており、株価は全体的にかなり買われている状態です。ですから、非常に危ない橋を全員で渡っているという状況があり、一つ何かが崩れると全体がガラガラと崩壊するという状況かもしれないのです。
仮にAIバブルが崩壊するとしたら、まずは株価の暴落に始まり、これに消費の減退、雇用の低迷、そしてクレカ債権の不良化、ノンバンク危機が加わるでしょう。そうなれば2008年のリーマン・ショックの二の舞ですし、仮に全体が崩壊した場合は2008年より事態が悪化するという意見も出始めています。
この1(7)にぶら下がった(8)から(10)の問題というのは、そんなわけでアメリカの現政権にとって喫緊の課題と言えます。その一方で、トランプ氏自身のイデオロギーとしては、これとは別の観点を持っていると言えます。それは、
(11)自分の支持者は、「景気を良くするのには市中金利を下げるべき」だと思っているし、「アメリカの製造業が栄えるにはドル安が良い」と思っている、という強い思い込み。
です。これはもう団塊世代の宿命のようなもので、特に80年代に金利高に苦しんだ自営業の経験、そして同じく80年代に日本の自動車とエレクトロニクスに「やられた」トラウマを背負っているからです。ですから、面倒な経済学とかそういう話ではなく、直感的に「円安はイヤ、高金利はイヤ」という反応をする習性があるわけです。
さて、今回の協調介入に関する日米の事情を整理してみたわけですが、日本側の事情としては比較的分かりやすいと言えます。高市政権が危機を突破して延命するには、確かにこのような道筋しかないのは理解できます。減税と給付を「しない」という判断もあり得ますが、その場合は野党が攻勢に出てくるわけで、ならば「やってしまう」ということになったのでしょう。
その場合に、減税と給付を決めた途端に国際市場から「超円安」を突きつけられては政権は死んでしまいます。ですから、ここを「勝負どころ」と見て、伝家の宝刀である協調介入を、それもトランプ発言まで引き出したというのは、フル仕様の対策投入ということになると思います。
問題は、これに米国がどうして乗ったのかという点です。高市=片山ラインに対して、米国側がどうして協調介入に乗ったのか、こちらは今ひとつスッキリした説明がしにくい部分があります。(7)以降のそれぞれのポイントは深刻であるものの、何かをミスった場合に政権が突然死するというわけではありません。また、現状を総合的に見てみますと、リーマン級の大暴落が「切迫している」とまでは言えません。
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純粋に市場原理の延長で動いているベッセント財務長官
にもかかわらず、アメリカが協調介入に乗ってきた、その説明のカギを握るのはやはりスコット・ベッセント財務長官の存在です。トランプ政権の閣僚というと、特にこの第二期の政権に参画したということになると、かなり変わった経歴の人物という印象があるかもしれません。ですが、ベッセント氏というのは、ウォール街においては、本流中の本流を歩いてきた人物です。
具体的には、まずジム・ロジャースの弟子であり、後にはジョージ・ソロスの弟子でもあります。いわゆる現代におけるアメリカの「3大投資家」のうちの2人に薫陶を受けていることになります。特にソロスとの関係で言えば、ソロスのオペレーションの責任者として勤務した時期が長く、非常に深い関係と言えます。後に、自立してヘッジファンドを設立し、成功したのですから、ベッセント自身がメジャーな投資家と言えます。
つまり、ウォール街の、そして金融市場の申し子のような存在だと言えます。FRB議長になったウォーシュは、リーマン危機に際して金融システムを守るために戦ったわけで、どちらかと言えば監督者の立場です。また商務長官のラトニックは、ウォール街のメジャーなプレーヤーということでは共通していますが、ラトニックは投資銀行カンター・フィッツジェラルドの責任者を長く努めたことから見ても、株ではなくコモデティの分野の人物です。
ちなみに、ラトニックが責任者をしていた、投資銀行カンター・フィッツジェラルドというのは、その本社がWBC(世界貿易センタービル)にあって、911テロで被災。主要なメンバーの多くを亡くすという悲劇に見舞われています。ラトニックは兄弟を含む多くの同僚を失った際の責任者であったので、アメリカに対して、そして世界に対して特別な感慨を持っていると思います。ですが、それと現在商務長官としてやっている「アメリカ・ファースト関税」政策との関係は不明です。
そんなウォーシュやラトニックとは異なって、ベッセントという人は常にウォール街のメジャーな投資家であったし、そして様々な局面で勝ち抜いてきている人物でもあります。とにかく徹頭徹尾「株」とともに生きてきた人物であり、だからこそ、今回も「純粋に市場原理の延長で動いている」と見ることができます。
ちなみに、ベッセントは、2013年という「アベノミクス初期」に、円の下落に投資して、見事に的中させています。報道によれば、3ヶ月間で1.2ビリオン(1,800億円)の利益を上げたというのですから、これはなかなかです。例えばですが、98年のアジア通貨危機においてはソロスと行動していたわけですし、アジアの変動を読んで巨額のマネーを動かすということでは、過去30年間第一線にいた人物だとも言えます。
ベッセントが「株の申し子」であり、そして「アジアの激動に常に投資をしてきた」人物だということから、今回の協調介入に関しては次のようなことが言えると思います。
1つは「アメリカの株と景気と雇用を守る」という意味で、今回の協調介入は「必要な手」だと思っているであろうということです。そして2つ目は、「日本の立ち位置を正確に理解して」の上の行動だと思われます。そして3つ目としては「米国としては絶対に損はしない」計算がありそうです。
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ベッセントが利用した「トランプ個人の思い込み」
現在のアメリカの経済は、非常に入り組んだ状況です。ガラスのように脆く、どこかを押せば崩れるというイメージとは少し違います。ですが、複雑にもつれた糸が入り組んでおり、どこを引っ張れば全体が動くのか、大変に分かりにくい状況だということは間違いありません。そんな中で、ベッセントは「日本は追い詰められたら米国債を叩き売る」という噂をピックアップして、上記の中の(9)の問題をまず打ち立てたのだと思います。
そのうえで、円安は良くないというトランプ氏個人の思い込み(11)を利用して、大統領を説得して、(7)を実現するために果敢に動いたのでしょう。実は言うほどのリスクは取っていないのですが、それはともかく、どうしてアメリカが今回の介入に乗ってきたのかということへの、一つの回答としては以上のようなストーリーを描いて事態を見ていきたいと思います。
※本記事は有料メルマガ『冷泉彰彦のプリンストン通信』2026年8月11日号の抜粋です。ご興味をお持ちの方はこの機会に初月無料のお試し購読をどうぞ。今週の論点「DSAの現在地、ミシガンとウィスコンシンの現状」、人気連載「フラッシュバック81」もすぐに読めます。
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