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「通知」に追われる現代人へ。心臓と松果体から考える“静けさと意識”の回復

現代人の慢性的な疲労や不調の背景には、情報過多や絶え間ない刺激によって乱される心身のリズムがあるのかもしれません。今回のメルマガ『施術家・吉田正幸の「ストレス・スルー術」』では、イブラヒム・カリム博士の理論を手がかりに、「心臓」「松果体」「意識」、そして現代人が失いつつある静けさの意味について考えています。

なぜ今、心臓と松果体の関係が問われるのか

近年、心臓と脳の相互作用に関する研究が、あらためて注目を集めている。

米国のハートマス研究所などが長年取り組んできた「心臓と脳のコヒーレンス(同調)」研究では、心拍のリズムが安定し整っているとき、脳波もまた安定した状態に近づくことが繰り返し報告されている。

さらに、生体が微弱な光を発しているという「バイオフォトン」の研究も、決して新しい話ではないが、ここ数年で再び関心が高まっている領域の一つである。

心臓が体内で最も強い電磁場を発する臓器であることは、医学的にもすでに知られている事実だ。

こうした研究の潮流を横目に見ながら、僕はここしばらく、ある一つの理論を掘り下げていた。

エジプト出身の建築家であり、「バイオジオメトリー」という独自の体系を提唱したイブラヒム・カリム博士の理論である。

以前、彼の講演資料を訳した人がいた。訳が直訳的で、本来の意図が十分に伝わっていない箇所が目立っていたという。

ここで改めて、僕自身の身体観と重ね合わせながら、その内容を掘り下げてみたい。

まず前提として、現代人が置かれている状況を確認しておく必要がある。

僕たちは一日のほとんどを、画面と通知と情報の洪水の中で過ごしている。心拍は常にわずかに乱れ、呼吸は浅く、交感神経が優位のまま一日が終わる。

こんな状態が続けば、心臓が発するリズムも電磁場も、整うどころか常にノイズを含んだ状態になる。これは単なる比喩の話ではなく、僕が二十五年以上、施術という現場で身体に触れ続けてきた実感でもある。

緊張が強く、呼吸が浅い人の身体は、どこか歪んだ映像を映し出しているように感じられることが多い。

朝起きてすぐにスマートフォンを手に取り、通知を確認し、SNSで他人の生活を目にし、電車に揺られながらニュースを追う。

この一連の流れの中で、心臓が「整う」タイミングは一度もない。

むしろ絶え間なく小さな刺激にさらされ続け、心拍のリズムはその都度わずかに乱される。

夜になっても頭の中で仕事のやり取りが再生され続け、布団に入ってもなお、脳内の映写機は止まらない。

現代人の多くが「なんとなく調子が悪い」「理由はわからないが疲れが取れない」と感じているのは、こうした心臓と神経系の慢性的な緊張状態と、決して無関係ではないだろう。

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カリム博士の理論の中心にあるのは、「世界は量ではなく、形の質によって動いている」という視点である。

ピラミッド型、ドーム、円、黄金比。

形が変われば風の流れも光の反射も音の共鳴も変わり、僕たちが感じる安心感や緊張感にまで影響が及ぶという。

この考えを土台に、博士は松果体を、そのフィールドを感じ取る器官として位置づけている。

松果体は、縮こまった目のような形をしている。

かつて実際に「目」だったことがある器官だと博士は語る。

だが、もしそれが光を受け取るための器官であるなら、なぜわざわざ脳の奥深く、外の光が届かない場所に沈められているのか。

実はこの矛盾には、進化生物学的な裏付けがある。

多くの脊椎動物の祖先には頭頂部に「頭頂眼」と呼ばれる光受容器官があったことが分かっており、イグアナの頭頂部に残る透明な鱗や、ニュージーランドのトゥアタラというトカゲに現存するほぼ完全な第三の目が、その名残として知られている。

問題は、なぜその器官が外の光の届かない場所へと沈んでいったのか、という点である。

博士はここで、かつて外の光を受け取っていた器官が、体の内側にある光を感じ取るために移動したのではないか、という仮説を立てる。

ここで登場するのが心臓である。

心臓は単なるポンプではなく、電気信号によって動く生体モーターであり、その周囲には脳を上回る強さの電磁場が生まれている。

細胞活動に伴って微細な光が放たれている可能性も指摘されており、もし松果体がこの心臓由来の「内なる光」を感知しているのだとしたら・・・

心臓の状態、感情の揺れ、意図のあり方こそが、僕たちの現実を形づくるプロセスの中心にあることになる。

これは冒頭で触れたコヒーレンス研究とも、決して無関係ではない。

心拍のリズムが整うと脳波も整う。

心臓が発する電磁場が体全体、さらには周囲の環境にまで影響を及ぼしている可能性を示唆する報告も、近年少なくない。

科学がようやく計測できるようになってきた領域と、古代から語られてきたこの種の理論とが、静かに重なり始めているように、僕には見える。

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博士の話はさらに耳へと広がる。

中国医学では、耳を逆さになった胎児の姿になぞらえ、全身の反射区がそこに投影されていると考える。

松果体に対応するとされる点は、博士の言葉では「内なる光の壺」と呼ばれているという。

この呼称が特定の流派で公式に使われているかどうか、僕なりに調べてみたが、明確な裏付けは見つからなかった。

ただ、耳鍼の世界には精神を安定させる「神門」という有名なツボがあり、象徴的にそう語られる文脈があってもおかしくはない。

古代エジプトやシュメールの人々が、ピアスや刺青を単なる装飾ではなく、願いや意図を身体に固定する技術として用いていた可能性がある、という視点も興味深い。

金属や石の固有の振動を、耳という意識の入り口に装着することで、内なるビジョンを活性化させようとしていたというのである。

ここから先が、この理論の核心だと僕は考えている。

博士は現実を、映画館の映写機にたとえる。

スクリーンに映る映像は、スクリーンの中にあるように見える。

だが実際の映像は映写機の中にあり、光がそれを外側に投影しているに過ぎない。

同じように、僕たちが「外の世界」だと思っているものは、脳という映写機の中にあるフィルムが、光によって外側へ投影されたものだというのである。

松果体はそのレンズであり、潜在意識がフィルムであり、心臓が光源である。

心臓が整い、クリアな光を放てば、レンズを通して映し出される映像も澄んでいく。逆に心が乱れれば、フィルムは歪み、光源は弱まり、映し出される現実はノイズだらけになる。

現代人にこの理論が突き刺さるのは、まさにこの部分だと僕は思っている。

僕たちの多くは、心臓を整える時間をほとんど持たないまま生きている。通知が鳴り、締め切りに追われ、比較にさらされ、休む間もなく次の刺激へと意識を持っていかれる。

それは常にフィルムにノイズを重ね続けているようなものであり、映し出される現実が歪んで見えるのも、ある意味では当然のことなのかもしれない。

ストレスが強い人ほど頭の中で妄想を繰り返してしまうのは、脳が内側の歪みを、外に映し出す前に処理しようとしているからだ、と考えると腑に落ちる部分は多い。

では、この慢性的なノイズから抜け出すために、僕たちは何か特別な技術や知識を新たに身につける必要があるのだろうか。

僕はそうは思わない。

むしろ逆で、必要なのは足すことではなく、引くことである。

一日のうちほんの数分でいい。通知を切り、画面を伏せ、ただ呼吸だけに意識を向ける時間を持つ。

それだけで、心拍のリズムはわずかに整い、フィルムに重なっていたノイズの一枚が剥がれ落ちる。

施術の現場で僕がいつも感じているのも、まさにこの「引き算」の効果である。何かを新しく与えているというより、その人が本来持っていたリズムを取り戻す手伝いをしているに過ぎない。

博士はさらに、人間が知覚しているのは世界全体のわずか五パーセントに過ぎないとも語っている。

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これは物理学の話とも重なる。

宇宙において僕たちが物質として認識できる範囲は全体の約五パーセントに過ぎず、残りの九十五パーセントはダークマター、ダークエネルギーと呼ばれる、いまだ捉えきれない領域として広がっている。

松果体が光と意識を感じ取るセンサーであり、心臓が電磁波とリズムの司令塔であるとすれば、この二つの内なる波が揃い、外界のリズムと同期したときに、普段は感知できない残りの領域から、直感やシンクロニシティという形で情報が流れ込んでくる、というのが博士の主張である。

こうした理論を、科学的に証明された事実として鵜呑みにする必要はないと僕は思う。

だが、二十五年以上、施術という現場で身体に触れ続けてきた者として言えることが一つある。

心臓の状態──どれだけドキドキワクワクしているか、どれだけ静けさの中にいられるか──

が、その人が見ている世界そのものを変えてしまう瞬間を、僕は数えきれないほど見てきた。

現代の生活は情報と刺激で満たされていて、僕たちは本来持っていたはずの、創造の源とつながっていた記憶を、少しずつ忘れてしまっている。

取り戻すために必要なのは、何かを新しく手に入れることではなく、余計なノイズを取り除くことである。

沈黙、静寂、そして自然。

施術の場が、数少ない「強制的な静けさ」をつくり出せる空間である理由も、そこにあるのだと思う。

心臓が静かに整い、素直な潜在意識というフィルムが歪みを手放し、松果体というレンズが澄んでいくとき、外の光と内の光が重なり合う場所で、僕たちはようやく、自分自身の現実を、少しだけクリアに観ることができるのかもしれない。

それは特別な誰かにだけ開かれた扉ではなく、静けさの中で身体に耳を澄ませば、誰の内側にも眠っているものだと、僕は感じている。

テレパシック感性──言葉になる前の情報を、身体で受け取る力。

今日話した理論の先にも、それは確かに息づいている。

施術後の手には、今日触れた人たちの体温がまだ残っている。

「よくなりますように…」

本日も施術に精進いたします。

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image by: Shutterstock.com

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医療機器メーカー勤務を経て、2000年7月に整体院にて独立開業。 一日200名以上の整体院に成長。その後7店舗展開。独立専門整体スクール開校し、生徒は全国で活躍している。 15万2000人以上を施術。整体スクールは650名以上の整体師を輩出。現在も施術及び施術指導継続中。 店舗立ち上げから閉鎖まですべて体験し、やりたくないことをやめ、やりたいことにエネルギーを集中させる人生へのシフト。 医療機器メーカー時代に得た生活習慣病に対する知識と経験を踏まえてヴィッシュ整体法を創始。 著書に「集客革命」「でも、大丈夫!!」「ぶっちぎり集客力」すべて現代書林刊がある。 JPMA日本理学手技療法協会代表理事 フィットバランス療術学院 学院長 エネルギー整体Vitsyu-Yoga 院長 趣味はトレイルWalking&Running。愛犬はアメコカ女の子“アビィ”

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【著者】 吉田正幸 【月額】 ¥880/月(税込) 初月無料 【発行周期】 毎週 月曜日

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