人生百年時代を迎え、働き方や生き方を見直す人が増えています。そうした中、今なお挑戦を続ける二人のリーダーが、「LIFE SHIFT:人生百年時代を迎えて ─ 今なお挑戦し続ける理由」をテーマに語り合いました。ソニー元社長の安藤国威さんと、Google日本法人元社長の辻野晃一郎さんです。今回、辻野さんが「聞き手」として安藤さんをゲストにお迎えし、さまざまなテーマについて存分に語りました。メルマガ『グーグル日本法人元社長 辻野晃一郎のアタマの中』では今年5月から5回にわたって、メルマガ創刊3周年記念企画として、ソニー元社長の安藤国威さんとメルマガ著者の辻野さんによる特別対談を公開。その対談の第一回をご紹介いたします。今回は、安藤さんがソニーに入社した1969年当時の様子から、井深大さん、盛田昭夫さんとの思い出までを振り返ります。
※本記事のタイトルはMAG2NEWS編集部によるものです
【安藤国威 × 辻野晃一郎】LIFE SHIFT:人生百年時代を迎えて ─ 今なお挑戦し続ける理由
辻野: 安藤さん、あらためまして本日はありがとうございます。事前にお伺いしたいことをお伝えしていますが、それらに囚われることなく、いろいろなお話を伺いたいと思っています。
安藤: 今日は時間もたっぷりあるので、お互いにやり取りしながらじっくりお話しましょう。
外交官志望からソニーへ、入社の決め手
辻野: まずお伺いしたいのは、やはりソニー関連のことなのですが、安藤さんがソニーに入られてから今日に至るまでのソニーの変遷を、どのようにご覧になっていますか?
安藤: そうですね、僕が大学出た年というのは、学生時代に留学していたものだから、3年くらい遅れて、ちょうど1969年の安田講堂立て籠り事件があった年で学生運動が盛んだった時期なんです。だから、ちゃんとした卒業式もなくソニーに入社したんだけど、もともとは、母親の希望もあって外交官になろうと思っていました。でも、3年生で受けた時に試験に落ちて、4年生になってから再び試験を受けようとしていたときに、「また落ちたらどうするんだ」と言われ、それもそうだなということで、ソニーとNEC(日本電気)とキヤノンの入社試験を受けました。
NECはこれから海外本格進出とか、キヤノンはカメラで有名で次はコピー機をやるんだとか、ソニーは前の年にトリニトロンを発表したばかりとかで、どこも元気な会社で面白そうだったんだけど、留学時代に、ニューヨークの5番街で日章旗を掲げているソニーのショールームを見掛けたことがあって、1965年くらいのことなんだけど、トランジスタラジオとか、5インチのトランジスタテレビとか、限られた商品しかないのに、今のアップルストアのように、店内は人で一杯でどんどん売れていて、それがとても印象に残っていたんです。
辻野: そのニューヨークのソニーショールームの話は、今話題の出光興産の日章丸事件の話と並んで、戦後自信を失っていた日本人に再び勇気と希望を与えたエピソードとして語り継がれていますよね。
安藤: なるほどね。僕も「あ、こんなところに日章旗がある」って、もうそれだけですぐにショールームに入りましたよ。で、後で調べたら、盛田さん(ソニー創業者の一人盛田昭夫氏)はもう1962年にオープンしてるんだよね。5番街と、シャンゼリゼ(パリ)と、後ロンドンにもショールームを作っていて、そして1966年に東京の銀座にソニービルを作った。だから、盛田さんのブランド戦略はまず海外で、日本は後だったんだね。まだ売るものがそんなにないのにね。
その頃、日本では、ソニーは「軒先メーカー」なんて呼ばれてた。冷蔵庫、洗濯機、テレビが三種の神器なんていわれたけど、そもそも白物(冷蔵庫、洗濯機など)は持ってないし、カラーテレビもクロマトロンで大失敗して、自分で店を持てるわけでもないし、大きなお店の軒先にテープレコーダーとかトランジスタラジオとかを置かせてもらっていたようなレベルで、本当にトリニトロンが成功した後でソニーショップが出来たわけですよ。ですから、僕が入社する前の年、1968年の売上はたった712億円だったんです。その頃、松下は8000億円でね、日立、東芝は1兆円を超えていた。
メーカーに行くっていうと、八幡製鉄(現日本製鉄)とか住友金属(旧住友金属工業、現日本製鉄)みたいな重厚長大が当たり前の時代で、ソニーに行くって言うと、「なんだ、弱電か」なんて言われていた時代。それでもね、僕の人生を決めたのは、ソニーに行ったら、他の会社だといきなり役員面接ですぐに入社してくださいみたいになるんだけど、ソニーは強気でね。係長くらいの人が出てきて、「今度正式に試験を受けに来なさい」というような感じで、「下っ端がこんなに威張ってる会社はいいなー」、なんて思いました。そういうところが他の企業とはまったく違ってましたね。
でも、いざ入社してみると、ものすごくつまらなくて、後はいつ辞めるかばかり考えてました。ところが、私が配属された「業務部」というところは、法律とか特許とかが担当のスタッフ部門で、会社が小さかったからそこに渉外的な仕事もあって、僕は法律面での仕事をしていたんだけれども、ある時盛田さんが、「ニクソン政権になって、キッシンジャー国務長官がハーバード大学から若手の優秀な連中を大勢リクルートしてきて使っている。自分のスタッフも20代の若手を連れてきて育てたい」というようなことを言ったらしい。そこで、僕はたまたま近くのスタッフ部門にいたものだから、行けと言われてね。盛田さんと面接をしてカバン持ちをすることになった。盛田さんと井深さんは部屋が並んでいていつでも行き来が出来るようになっていたんだけど、盛田さんのサポートをするようになると、同時に井深さんの方からも頻繁に声が掛かるようになって、海外出張について行ったりスピーチ原稿を書いたりするようになりました。
そのとたんに、それまでのつまらないという思いは一瞬で消えて、井深さんや盛田さんはこんな風に考えてるのか、とか、ソニーという会社は井深さんと盛田さん以外は、役員とかも関係なくみんなフラットで、別に誰に対してでも言いたいことを言って、やりたいことやっていいんだ、ということがよくわかった。
辻野: なるほど、安藤さんが最初にソニーを意識したのはニューヨーク5番街のソニーショールームを見た時で、その後ソニーに入社して井深さんや盛田さんの薫陶を直接受けるようになって、その辺から俄然ソニーが面白くなったということですね。NECとかキヤノンの印象はどうだったんですか?
安藤: もうね、当時からね、NECがいい例ですけれども、「この会社って、抜擢人事とか、どうやったら若くして上に行けるんですか」と聞いたら、「みんな優秀だからみんな一緒で抜擢なんかないし、あるとすれば住友銀行(現三井住友銀行、NECは住友グループ)のお偉方のコネ入社の人なら早く出世するかもしれない」というような返事でね。それ聞いて、「何だこの会社は」と、呆れちゃって行くのをやめました(笑)。
ソニーは銀座のソニービルが本社なのかと思っていたら、五反田の例の汚い建物でね(笑)、「あー、メーカーっていうのはこんなもんなのかな」なんて思ったよね。でも当時から「人がやらないことをやる」とか、「困難だから挑戦する」とか、まさに設立趣意書にある通りで、盛田さんなんかは、何に対しても、口を開けば「これはどこがユニークなんだ」と必ず聞くくらいでね。
井深大と盛田昭夫、二人の素顔
辻野: 盛田さんと井深さんの第一印象はどうだったんですか?
安藤: そうですね、盛田さんは僕が入社した当時は副社長だったんですが、副社長時代は非常にピリピリしていて怖かったですよ。でも、盛田さんが社長になって井深さんが会長になってからは、盛田さんは社長らしく非常に穏やかで優しくなって、むしろ大賀さん(大賀典雄氏:後の社長・会長)が怖かったですね。
井深さんは優しいエンジニアというイメージがありますけど、でも実は非常にはっきりとした厳しい人で、後に中期計画を作って持って行ったときには、「今君はこんなことをやっている場合じゃない!」なんて怒られて、レポートを目の前でビリっと破って捨てられちゃってね。それくらい厳しい人でしたね。ただ、心根はとても優しい人で、例えば、井深さんがスピーチをするので一緒に車に乗って出かけて、夕食のときに、井深さんがご飯を持って急にどこかに行こうとするんですよ。「どこへ行くんですか」、と尋ねると、「いや、運転手がおなか減ってるんじゃないかと思って、自分はもうこれ食べないから持っていくんだよ」という感じで、何かカッコつけてるとかそういうことは全くなくて、本当に気持ちの優しい人でしたね。
ただ、やはり仕事の面では実に厳しくて、これは盛田正明さん(盛田昭夫氏の弟)から聞いた話ですが、ある日井深さんに呼ばれて、「君、これを調べてくれ」と言われて、一生懸命調べて、もう少し完璧にしようと思ってすぐに報告せずに2日後位に報告に行ったら、井深さんは「あ、あれはもう終わってるからいいよ」と冷たく言われたそうで、とにかくそれくらいすごくはっきりした人でしたよ。
まあ、彼の有名な言葉はいろいろとありますが、僕が一番好きな井深さんの言葉は、「エンジニアのたわいのない夢を大切にしろ」という言葉でね。「たとえ新人エンジニアのちょっとしたアイデアであっても、それがとてもいいヒントなんだ、そういうのを大事にしないといけない」というようなことをよく言っていた。まさに設立趣意書にある「真面目なる技術者の技能を、最高度に発揮せしむべき自由闊達にして愉快なる理想工場」ということをその通りにやっている人でしたよね。
「エンジニアの夢を大切にしろ」の教え
辻野: 井深さんと盛田さんの語録はたくさん残っていますけど、安藤さんの心に一番残っているのが「エンジニアのたわいのない夢を大切にしろ」というものだったということですが、私の場合は、「上司に反対されたくらいでやめるんなら最初からやるな」という言葉が残っていて、それがいつも自分にとっては励みになっていました。
まさに安藤さんと一緒にVAIOをやっていた時に、最初のころデスクトップが非常に調子が悪くて、いろいろと新しいモデルを提案してもなかなか安藤さんが首を縦に振ってくれなくて、「こんなモデルはやめた方がいい」というようなことをおっしゃっていて、その時にもこの井深さんの言葉が凄く背中を押してくれました(笑)。
結局、安藤さんにひどく反対されたんだけどそのまま商品化したニューモデルがヒット商品になって、そしたら、あんなに反対していた安藤さんが凄く喜んでくださって、「これこそ私が望んでいたデスクトップパソコンだ」とみんなの前で大絶賛してくれたことがありましたよね。それがとても嬉しかったのですが、その時に、「あ、井深さんが言っていたのはこういうことなんだな」ということがわかった気がしたんです。安藤さんが反対していたのは、結局自分が試されていただけだったんだ、ということで納得したのを覚えています。
安藤: そう、どこまでも叩くみたいなところがあったね(笑)。
辻野: スティーブ・ジョブズも、下から上がってくる提案を最初はすべて全否定して、それでも食らいついてくる奴の話だけを聞いたと言われていますし、まさにそういうことだよな、と。
安藤: あと、僕が井深さんのことで印象に残っているのは、トランジスタや半導体の将来性について、大きな産業になることを最初から見抜いていたのかということを聞いたときに、「いやいや、自分は、ウエスタンエレクトロニック社が、トランジスタを商品化したものの、どう使っていいかわからないというようなことを言っているのを雑誌で読んで、なるほど、じゃあ、ラジオに使ってみようということを考えたんだけれども、でもそういうことよりも、自分が一番気にしていたのは、テープレコーダーの次の目標設定をどうしようかということだった。当時300名くらいの社員の中で30名とか50名とかいた学卒エンジニアたちが奮い立つような目標は何かということを考えていたときに、『これだ!』と思ったのがトランジスタだったんだよ」ということを言っていました。
「エンジニアに高い目標を与えることはとても大事だ」ということですが、当時でもエンジニアがみんな奮い立つような目標というのは案外そんなにいくつもあるものではなくて、外貨が貴重だった時代に国を説得してまで外貨を出してもらってトランジスタのライセンスを取得するということにつながったんですが、そういう目標設定の重要さを、井深さんが強く意識していたということが背景にあるんですね。
辻野: 私の世代で一番印象に残っているのは、マネジメント会同(ソニーが毎年一度世界中の幹部社員を集めて終日行うグローバル戦略会議)で、「パラダイムシフト」をテーマにさまざまな分野に渡って白熱した議論をした年に、たしか1992年だったと思いますが、かなり弱っておられた井深さんが車椅子で参加した時のことです。会の終わりに総括コメントを求められた井深さんが、「今日はパラダイムシフトがテーマということだったので、無理を押して楽しみに参加させてもらったが、パラダイムシフトというのは、コペルニクス的スケールの世界的価値観の大転換のことを言うのであって、今日の話はパラダイムシフトの話でも何でもなかった。アナログだのデジタルだのというのはただの道具立ての話に過ぎない」と一喝されたことです。「今日は丸一日中身の濃い良い議論が出来た」と、達成感と充実感に浸って高揚していた我々のアタマをガツンと一撃されたような衝撃を受けたことを良く覚えています。
安藤: そうだったよね、僕もその場にいたのでよく覚えているけど、あれは後に記事にもなって、今でも大事に取っています。出井さんがまだ社長になる前で、事務局的なトップをやっていて、彼なんかもショックを受けたという話をどこかに書いていましたけど、「さすが井深さん」という感じで、みんなの心に残ってますよね。
盛田さんの指示で現場の大崎へ
辻野: そして、その頃はまだグーグルなんかは影も形もなかったんですが、今でいうGAFAMのようなプラットフォーマーの出現を予見するようなこともおっしゃっていたんですよね。やはり只者ではなかったですね。一方、盛田さんの話ではどんなことが思い出されますか?
安藤: 盛田さんは私の直属の上司だった期間が長いんですが、盛田さんのスタッフを3年くらいやった後、念願かなってアメリカに赴任することになったんです。そしたら盛田さんが、「いや安藤君、あなたは今アメリカに行く必要なんかない」ということで、「ソニーはメーカーなんだから、モノづくりの現場を経験しろ」と言われて、「自分が今すぐ吉田さん(吉田進氏:当時のテレビ事業の責任者)に電話するから、大崎(当時のテレビ事業の拠点)に行け」ということで、それで大崎工場の計画室という部署に行くことになった。1974年くらいのことで、ソニーがサンディエゴにテレビの工場を作ってトリニトロンの海外展開を始めた時期で、海外とやり取りする要員が必要だったんだけど、そこで初めて現場の人たちと触れることになったんです。
辻野: アメリカ行きはキャンセルになったんですか?
安藤: アメリカ行きは、もう、すぐキャンセルになって、そこに3年くらいいたんです。そしてその後1976年からようやく実際にアメリカに行くことになったんだけど…。なんか、自分の話ばかりして申し訳ないね。
辻野: いやいや、今日は安藤さんのお話を伺うのが目的ですから。大崎の吉田さんの下での経験はやはりその後役に立ったんですか?
安藤: ものすごく役に立ちました。当時ね、トリニトロンを作った三銃士などとも言われてますが、吉田さんと、大越さんと、宮岡さんが有名ですが、テレビ事業を率いる吉田さんは当時常務だったかな、吉田天皇などと呼ばれていて、怖いんですよ。若いエンジニアたちは震え上がってるんだけど、でも僕自身は技術者でもないし、彼の偉さがわからないんだよね(笑)。それをいいことに、言いたい放題言っていたんです。当時は、国内、米州、欧州、アジアなどの一般地域というように、世界の地域ごとに、春と秋の年2回、ラインナップ会議を計8回、国内以外はすべて英語でやってました。
辻野: あ、当時から既にグローバルなラインナップ会議をやっていたんですね。
米国社長ハービーとの衝突
安藤: そう、でも、エンジニアたちは口がうまくないから、各地域の営業などからいろいろ言われても反論できないんですね。それで僕が事業部側を代弁する役回りで、当時30歳そこそこだったんだけど、各地域の連中とやり合っていたわけです。そしたらね、ハービー・シャインというアメリカの社長が、「安藤は反発ばかりしてなかなか言うことを聞かないから、こっちのスタッフとして連れてこい」ということで、今度はハービーにスカウトされてアメリカに行くことになったんです。そしてマーケットプランニングの仕事を3年くらいしてたんだけど、アメリカの内情がわかってくると、「ハービーは社長にはふさわしくない」というようなことを盛田さんに直言しに行ったりしてました(笑)。で、そうこうするうちに、盛田さんが保険の事業をやると言い出して、それで日本に戻って保険事業の立ち上げを始めたんですよ。
辻野: ハービー・シャインは何が問題だったんですか?
安藤: ハービーはね、もともとCBSソニーレコードを作った時の、CBS側の責任者だったんですよね。ですから、大賀さんとはツーカーだったんです。レコードでは大成功したんだけど、彼は、もともとハーバードのロースクール出身の秀才でね、非常に優秀な男でした。ただ、とにかくお金に細かくて、当時はアメックスの年会費が5ドルだったんだけど、たった5ドルの出費に関して細かく調べて文句を言うようなタイプでしたね。ブルックリンの雑貨屋の息子だったらしいんだけど、小さい頃から父親を手伝って店番とかをしていて、万引きや支払いをごまかす客がたくさんいたものだから、絶対にごまかされないように父親に厳しく仕込まれたそうなんです。
辻野: マイクロマネジメントだったんですね。
安藤: そう、超マイクロマネジメント。しかし決定的だったのは、ベータマックスを導入するときに、「こんなものはアメリカでは絶対に売れない」と言ったんですよ。今でもよく覚えていますが、「市場調査の結果アメリカでは200台しか売れない」なんて言っていた。片や、盛田さんは、ベータマックス訴訟を受けて立っていた大変な時で、社運を賭けた新商品として力を入れているのに、この態度なのでさすがに腹に据えかねて結局解任したんだと思いますけどね。(つづく)
※この対談は次回【第二回】に続きます。
※ 本記事は辻野さんのメルマガ『グーグル日本法人元社長 辻野晃一郎のアタマの中 』の一部抜粋です。この機会にぜひご登録をご検討ください。
この記事の著者・辻野晃一郎さんのメルマガ
辻野晃一郎さん関連イベント情報
【会場またはオンライン参加】元グーグル日本法人社長・辻野晃一郎が、なぜ今「水素」なのか―人生100年時代の健康とヘルスケアを考える
※本イベントは、五反田TOC・まぐまぐ本社での会場参加と、Zoomによるオンライン参加のハイブリッド開催です
元グーグル日本法人代表取締役社長として、長年テクノロジーや経営の最前線に携わってきた辻野晃一郎氏。
そんな辻野氏が、現在強い関心を寄せているテーマのひとつが「ヘルスケア」、そして「水素」です。
なぜ、テクノロジーや経営の世界を歩んできた辻野氏が、いま健康や水素に注目しているのか。
本セミナーでは、辻野氏自身の体験や現在の取り組みをもとに、
・なぜ今、ヘルスケアに取り組んでいるのか
・人生100年時代に、健康をどう考えているのか
・数ある健康分野の中で、なぜ「水素」に着目したのか
・水素について調べ、実際に取り組む中で感じていること
・これからの健康とテクノロジーの可能性
などについてお話しいただきます。
会場参加の方には、セミナー終了後に実際の水素マシンによる水素吸入を体験していただく時間も設ける予定です。
「水素という言葉は聞いたことがあるけれど、実際にはよく分からない」
「なぜ辻野さんが水素に取り組んでいるのか知りたい」
そんな方にも、まず水素について知っていただくきっかけとなるイベントを目指します。
開催概要
開催日:2026年11月14日(土)
時間:14:00~16:00予定
※会場受付開始 13:30予定
会場
株式会社まぐまぐ 本社
〒141-0031
東京都品川区西五反田7丁目22番17号
TOCビル10階1号
アクセス
・JR山手線・都営浅草線「五反田駅」より徒歩約8分
・東急池上線「大崎広小路駅」より徒歩約5分
・東急目黒線「不動前駅」より徒歩約6分
会場定員:30名
参加方法・料金
会場参加:2,200円(税込)
Zoomオンライン参加:1,100円(税込)
お申し込み
https://peatix.com/event/5204900
※日程が合わなくても安心の見逃し配信対応
※会場参加の方は、セミナー終了後に水素吸入体験にご参加いただけます。
※水素吸入体験は希望者を対象に実施します。参加人数によっては、体験時間を調整したり、体験いただける人数を制限させていただく場合があります
※Zoom参加の方はセミナー部分のみのご参加となり、水素吸入体験は含まれません。
当日の予定
14:00~ オープニング
イベントの趣旨、本日の流れをご案内します。
14:05~ 辻野晃一郎氏 講演
テーマ:
「なぜ私は今『水素』なのか?
人生100年時代の健康とヘルスケアを考える」
辻野氏がこれまでのキャリアを経て、なぜ現在ヘルスケアに取り組んでいるのか。
そして、その中でなぜ水素に注目するようになったのか。
ご自身の経験や現在の活動を交えながらお話しいただきます。
15:05頃~ 質疑応答
参加者の皆さまからの質問に辻野氏がお答えします。
15:35頃~ 水素マシンの紹介・体験
※進行状況により時間・内容が変更となる場合があります。
こんな方におすすめです
・健康やヘルスケアの最新動向に関心がある方
・「水素」について一度きちんと話を聞いてみたい方
・人生100年時代の健康について考えたい方
・仕事を続けながら健康を維持することに関心がある方
・辻野晃一郎氏がなぜ現在ヘルスケアに取り組んでいるのか知りたい方
・新しい技術やサービスが社会をどう変えていくのかに興味がある方
image by: 『グーグル日本法人元社長 辻野晃一郎のアタマの中 』