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NY5番街のど真ん中、10億円コンドミニアムに日本人女性が住めたワケ

知り合いの日本人女性から、NYCのど真ん中に立つ10億円の自宅に招待されたという『NY在住となりの起業家中川扶二夫「誰でもなれる海外起業家論」』の著者・中川さん。なぜ彼女はそこまで成功できたのか、その秘訣がメルマガで詳らかにされています。

ビジネスにとって「仕入れ」が命

先日、友人である青木恵子さんの誕生日会がありました。彼女のご自宅で…、マンハッタンにある高層コンドで…、5番街の51st Street…、5番街のど真ん中です。

高層コンド、しかもマンハッタン…、イメージでは狭そうでしょう? ところが、そこは恵子さんのご自宅! 50人が座って夕食できました(笑)。驚くべき、いや恐るべき広さなんです。しかも、デュプレックス! 下の階にはサウナもあります。

価格が気になりますか? ま、私の勘で言うと…、10億円ですかね、…いやもっと高いかも…。ロックフェラーセンターや先日ローマ法王が来られたセントパトリック教会を見下ろせるビューなのですから。

今回の誕生日会、ゲストもいっぱい。ゲストの一例は吉川国連大使ご夫妻…、これで十分ですね(笑)。

私は27年来の友人であり、、なんとなく恵子さんにご招待頂きました(笑)。でも50人のゲストとの出会いはとても大切でした。実際、吉川大使から大使公邸へのお誘いも受けましたのも、恵子さんありがとうって感じです(笑)。

お、恵子さんは何者かって? はい、この青木恵子さんは世界にチェーンがあるベニハナ オブ トウキョウの創始者である故ロッキー青木さんの奥様なのです。年齢はって? アメリカなので、1988年の初対面の時から、女性に年齢を聞くことができずに…、時が流れ、2015年の今日まで私は本当に知らないのです。でも、今でもとても綺麗で魅力的な方です。

彼女はベニハナ オブ トウキョウCEOとして、北米と南米を除くすべての国の権利を持っています。ハワイ、ロンドン、インド、オーストラリア、マカオ…、25店舗を経営しています。ま、私も、会社として、アムネット、アクタス、アングルプレス、A-kind、Adentope、AVA、拠点として、23拠点を持っていますが…、利益では大幅に負けています(苦笑)。さらに、もちろん、自宅の広さでも完璧に負けています(笑)。

彼女の自宅にいく度に「気合い」が入ります。これぞ、アメリカンドリーム! これぞ起業人の目標だ! 「いつかはこんなところに住むぞ~!」

このように気合いを入れやすいのもアメリカでの起業、ニューヨークでの起業の特徴ですね。凄い方に気軽に会えるのです。日本ほど敷居は高くないのがアメリカのセレブなんです。

その青木恵子さんも実は起業家なんです。

ハワイ大学を卒業後、NYCで活躍している日本人と結婚し、グリーンカードを取得しました。その後、日本での毛皮ブームに乗り大儲け!

その毛皮での儲け方:

バブル前の1987年頃、日本は好景気であり、毛皮が高級品として大人気。なんと、アメリカでの卸価格の7倍の金額で日本では販売されてました。これに目を付けた恵子さんは、毛皮を仕入れて日本で直販することを計画。並行輸入の先駆者なんです。

仲買人を通さず、NYCで仕入れた毛皮をなんとなんと、7倍でなく、激安の2倍で販売したのです。もちろんバカ売れ。そして大儲け! 大盛況の大成功を収めたのです。

さらに凄いのは、毛皮を買い取る資金がなかったので、アメリカの毛皮屋さんから「借りて」日本へ持って行ったのです。なんと借りたのです。

起業の秘訣ですね。やはり、ビジネスにとっては「仕入れ」が命です。

ビジネスは、1.仕入れ、2.企画、3.販売の順番なんです。仕入れが弱いと企画や販売に頼るのですが、仕入れが良いと、何もしなくても売れるのです。

その仕入れが、日本の販売価格の7分の1。しかも、買い取りでなく、借りたのです。これなら、ローリスク&ハイリターンですね。さすが、恵子さんです。

その後、1989年には自分自身のブランドである「アルテッセ」を5番街に設立しました。私が出会ったのはちょうどこの頃です。出会いのきっかけは…、なんとオフィスがお隣さんだったんです。

私も1988年に5番街という世界的有名な住所にName Valueを感じ、5番街のど真ん中にあるオリンピックタワーの9階の小さいさなオフィスで起業しました。同時期、恵子さんもアルテッセを同じオリンピックタワーの9階に開いたのです。

ちなみに、このオリンピックタワーは海運王のオナシス所有のビルで、今でも有名なビルのひとつです。

高級なビルですが、オフィスは低層階の9階であり、小さなスペースだったので、家賃は5,000ドル程度でした。今考えれば決して安くはないのですが…、バブル前の東京から来た私にはあまり高額には感じませんでした。

5,000ドルで5番街の信用が買えるのは安かったですね。そして、恵子さんとの出会いもあったので…。

出会いといえば、同じ9階にクロネコヤマトの宅急便のヤマトトラベルもあったのです。

当時の私は旅行会社(AVAの前身であるOcean Express New York,Inc)を起業していました。この旅行会社ですが、日本から来られる旅行客のためにホテルや送迎を手配する事を仕事としていました。航空券は全く販売していませんでした。

なので、お客様から航空券のお問い合わせがあると、ヤマトトラベルさんから卸してもらい、販売していました。そして、なんと、3年後の1991年には航空券の販売数がヤマトトラベルさんを抜いてしまいました

「お、こんなに売れるとは…。これからは直接航空会社から仕入れた方が儲かるかな~」と思い、アムネットを設立したのです。アムネットとして直接航空座席を仕入れたので、仕入れが強くなり利益もさらも上がっていきました。

5番街の「ブランド」、「仕入れ」命、そして「長い付き合い」が、起業には大切なんです。

image by: Shutterstock

 

NY在住となりの起業家中川扶二夫「誰でもなれる海外起業家論」』より一部抜粋

著者/中川扶二夫
日米での起業家。ノマドライフ家。29歳の時に単身ニューヨークへ渡り起業。現在では全米に6業種6社(20支店)を展開中。毎週水曜配信のメルマガには、起業やトラブル解決法などビジネスヒント満載です。
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