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【書評】肯定派も否定派も知らない、国歌「君が代」の意味と歴史

さまざまな議論がなされている「君が代」ですが、その賛否はどうあれ、この歌の正しい意味や歴史はご存知でしょうか。今回、無料メルマガ『クリエイターへ【日刊デジタルクリエイターズ】』の編集長・柴田忠男さんが取り上げているのは、そんな「君が代」について書かれた1冊。「普通の日本人がゼロベースで『君が代』の意味と歴史を知ることができる」という、これまでになかった良書です。

ふしぎな君が代』辻田真佐憲・著 幻冬舎

かつてフランスのオランド大統領が、上下両院議員総会の演説で「我が国はテロと戦争状態にある」と述べた。その後が感動的だった。全員が起立して国歌 La Marseillaise を斉唱したのだ。こういう光景は日本の議会ではありえないだろう。日本という国家も国歌も大嫌いな、野党の多くは退席するだろう。そういう国なのだ、日本は。辻田真佐憲『ふしぎな君が代』を読んだ。「君が代の歴史をじつに丹念に追った労作で、初めて知ることばかりである。これほどみごとな内容に、かる~く「ふしぎな」はないだろう、幻冬舎。ふしぎなのは、マヌケなタイトルをつけた編集者の頭の中だよ。

著者は「君が代」について抱く六つの疑問を通じて、「君が代」の意味と歴史を整理した。それは、なぜこの歌詞が選ばれたのか、誰が作曲したのか、いつ国歌となったのか、いかにして普及したのか、どのように戦争を生き延びたのか、なぜいまだに論争の的になるのか、についてである。著者の目指すところは、普通の日本人がゼロベースで君が代の意味と歴史を知ることである。じつに的を射たアプローチではないか。いささか退屈ではあるが、知ってよかったと思う。そして「我々は国歌『君が代』を今後どうするつもりか」について、肯定論でも否定論でもない第三の道を提示する。結論はこうである。

「君が代」は日本の国歌として受け入れる。だからといって、それは誰も文句を言わずに歌わなければならないことを意味しない。そうではなく、国歌として受け入れるからこそ、我々はその複雑な歴史を学び、マイノリティに配慮しなければならない。「君が代」を愛国や服従の「リトマス試験紙」に用いるなど論外。

具体的には「歌う国歌から聴く国歌に変えてみたらどうかと提案する。歌いたい人は歌う。学校やスポーツなどの儀式で必要な場合、最低限「聴く」ことは求める。肯定論でも否定論でもない第三の道「運用論」である。いい落としどころだと思う。暗愚な文科省は聞く耳もたないと思うが。

どうしても「君が代」が嫌だという人は、求められても起立しないし、聴こうともしないだろう。それでもいいでしょう。オリンピックと「君が代」の関係は切っても切れない。そこでトリビア。日本が初めて金メダルを獲得したのは1928(昭和3)年のアムステルダム大会における、三段跳びの織田幹雄、競泳200m平泳ぎの鶴田義行である。主催者側は日本の金メダルの予想はしておらず、むろん「君が代演奏の準備もしていなかった。急遽演奏された「君が代」は、「さざれ石の」から始まりすぐ終わってしまったという。わたしは正しく歌えないので口ぱくになるが、「君が代」は歌うのも聴くのも大好きだ。

編集長 柴田忠男

image by: Shutterstock

 

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