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「アニメに描かれた未来」を16年前に考察。何が実現していたか?

スマホやAIなどの技術が発展した今、一昔前までは「アニメの中の近未来」でしか存在しなかったものが実現している例は少なくありません。アニメ・特撮研究家で明治大学客員教授の氷川竜介さんは、まぐまぐの新サービス「mine」で無料公開中の、氷川さんの記事の中で、「アニメの描いた未来予測」と「実現化」のギャップを紹介。この記事は16年前の2001年に書かれたものですが、実現すると予測されていたものが現在いくつも当たっていることに驚きます。何が実現化できて、何ができなかったのか? 今後、数回にわけて同シリーズの原稿をご紹介します。

※以下は2001年11月に書かれた原稿です。

パソコンを新調し、回線も常時接続を活かして、いろいろ探していたら「インターネットラジオ」にハマってしまいました。米国をはじめとする全世界のラジオ局から配信されている放送で、ジャズ専門、ヒットチャート専門などあるのがうれしいです。某国にはアニメ専門局があって、ずっと日本語の歌がかかっていたりしてビックリ。世界中の電波が一気に集まってきたみたいなイメージで、妙にうれしいです。

アニメで描いた未来と現実のギャップ

21世紀最初の年も早いもので、もう終わり。やがて新しい年が明けます。

2001年と言えば、かつては未来の代表イメージの特別な年だっただけに、それが過去になっていくのは寂しい気持ちもあります。な~んて、ネガティブなことだけでは面白くないですよね。そこで、これをきっかけに「アニメの描いた未来」について、少々考えてみたいと思います。

アニメで描かれた未来と現在──それには当然ギャップがあります。でも、ハズしていることや時代錯誤感を笑うだけではもったいないですよね。「未来予測」というものを通じて、何か新しいものが見えてくる、そう思った方が楽しみが広がりそうです。予測と現実の差から、現在も逆照射されて意外な実像をさらすかもしれませんし、2002年から発信する新たな未来像も、あんがいそういった行為の中から見えてくるかもしれませんね。

さて、90年代前半くらいまでのSFアニメ、特にリアルっぽさをどこかに持った未来世界の作品を今の目で見ると、妙な違和感が漂っていることに気づきます。その未来には、「携帯電話」も「Eメール」もないからです。

20世紀も終わりに近い90年代の後半からの数年間。暮らしが変化していくなかで、一番激しい変革は「通信」の世界だったのではないでしょうか。ことにインターネットの発達と携帯電話の普及はめざましいものでした。同時発達したこの2つが融合したiモードのようなものが、現在進行形でまた新しいステージを切り開く──いまはそういう時代です。

筆者は18年ほど通信の技術者として電話機やISDN機器、携帯電話用TAを自分で設計していたこともある人間でして、ちょっとそういう珍しい視点も交えて、アニメの描いた未来通信の話をしてみましょう。

『マクロス』に登場する「未来の電話」

1982年、アニメ史に残るヒット作が誕生しました。『超時空要塞マクロス』です。続編が何本もつくられ、ごく最近でも、現実の航空機の模型メーカーとして名高いハセガワが、初めて架空世界のキャラクターものに参入するにあたって、マクロスに登場した戦闘機バルキリーを採用しました。この事例が示すように、ある意味でリアルな世界観を大事にしたロボットアニメです。

1999年に宇宙から落下してきた異星人の宇宙船マクロスを、人類が改造したことで、全宇宙をめぐる大戦争に巻き込まれる。その中で、三角関係のラブコメが演じられて、歌が宇宙を救う──という、百文字程度で書くとなんだかさっぱりわからない物語だったりしますが(笑)、その舞台は2009年。意外と今から近くなってしまいました。

ここで『マクロス』に登場する「電話」に、ちょっと注目してみましょう。一見して判る不自然さは、どこにあるでしょうか。そう、送受話器──ハンドセットにコードがついていることですね。このコードのことは専門用語でカールコードと言います。伸縮できるようラセン状にカールしているから、そう呼ばれてます。

現在、大半の家庭用電話機はコードレス電話機になっています。だから未来な感じを出すならハンドセットはコードレスではないのか?

というところに起因する違和感ですが、実は『マクロス』の中でも、場面によってはコードレス電話になったものも登場します。ところが──それはそれで、また違和感があったりします。どうもハンドセットだけがコードレスになったものらしく、ダイヤルがついていないのです。実はこういったコードレス電話機もあるのです。この種のものは「カールコードレス」と言います。

もちろん、コードレス電話機自体の発想は古くは60年代くらいからあって、70年大阪万博でも電気通信館で試作品が展示されていました。筆者はそれを見ようと駆けだして転んで骨折、生まれて初めて救急車で運ばれるという経験をしたので(笑)、忘れようがありません。

『マクロス』の時期は、それからだいぶ経っていますが、表現としてはコードのある電話機を使っていたわけです。未来を感じさせるはずのデザインが、コードで台無しになってしまった──と言ってしまうのは簡単ですが、果たしてそう単純なのでしょうか?

コードレスも難しい側面がある

結果論的ではありますが、意外に正解なのかもしれないなと思ったのが、公衆電話のコードです。かつて月刊アニメージュの表紙(1983年7月号)を飾った早瀬未沙の名画も、コードつき公衆電話でした。

ご存じのように、公衆電話には、今でもコードがついています。現在、無線LANの帯域を使った新しい無線技術「Bluetooth」が登場しており、パソコンとその周辺機器を中心に、近距離でコードで結ばれているものをどんどん無線化しようとしています。これを使えば、カールコードレスが従来よりも簡単に出来るようになります。だが、そうなったとしてもおそらく公衆電話のハンドセットはずっとコード付きでしょう。

それは技術屋的発想で考えれば、カールコードレスにしたハンドセットを公衆の場に置くことを想像したとたん、たちまちいくつもの問題が即座に脳裏に浮かぶからです。ハンドセットへの給電と充電をどんな手段で確保するか、電池切れのときにはどうするのか、電波の帯域の空きが常時確保できるか、通話品質は保証できるか、信頼性や耐久性は無線化で劣化しないか──家庭での使用では問題にならないことが、公的なものになったとたんに急速に課題となり得るわけです。こんなテーマが山積みの上に、最大の問題である「盗難をどう防止するか」が、どうしても解決できないと思います。

携帯電話がこれだけ発達し、公衆電話の数そのものが減りつつある現状、誰も望んでいないのに、わざわざこの困難を乗り越えてカールコードレスにするわけがありません。

唯一考えられ得るのが、ユーザが持つ自前の無線のヘッドセット(ヘッドホンにマイクが付いたような機械)をつなぐ、という接続形態です。現在でもデータ通信用に赤外線(IrDA)がついた公衆電話がありますから、時間の問題でデータ通信ユーザ向けに、ブルートゥース・インタフェース付き公衆電話も登場するでしょう。ブルートゥースの規格の中には、ヘッドセット・プロファイルというものもありますので、そうなれば技術的にヘッドセットを認識させて通話することは、できないことではありません。

とは言うものの、これとて認識、認証をどうするかという制度的な問題から、そもそもカバンの中からゴソゴソとマイ・ヘッドセットを出して公衆電話で通話なんかする気になるか? という心理的文化的問題まで障害は無数にあって実現困難なのには、かわりはなさそうです……。

腕時計型通信機は逆に現実に近いが…

このように、電話のコード1本とっても、ついているかいないか、その描き方が未来予測的に合っているのかいないのか、論じることは非常に難しいわけです。ことにこれだけ技術が発達して、ふとした組み合わせがブレイクスルーをもたらして生活を変革する可能性が大きくなったこの時代、未来を舞台にしたSFアニメをつくるのは、本当に大変ですよね。と、他人事みたいに言ってはいけませんが……。

そういう考えをめぐらせていると、面白いことにも気づきました。

昨年の暮れに、NTT docomoがアニメや特撮を題材にした広告を打ちました。そこでは、『スーパージェッター』のタイムストッパーや、『ウルトラセブン』のビデオシーバーなど、腕時計型の通信機の映像が引用されていました。現実世界の携帯電話の世界が、その夢に迫っているというイメージ広告だったのです。

ここで引用された作品の大半は60年代中盤から後半、高度成長社会の夢を託して生まれたものです。そのはるかな未来の産物と思われたものは、現実に近づいています。ところが、マクロスのような作品では、ジェッターやセブンよりもあとの時代に作られた作品なのに、腕時計型通信機のようなものは登場していません。当時の視聴者により親近感とリアルな感じをもたらすために、排除されたのでしょうか。

それで未来像としては、結果的にかえって現実とのギャップが出来てしまい、35年前の未来像の方が20年前のものより近いという現象が発生した──これはいったいどういうことなんだろう、と思ったのです。

しばし「アニメの描いた未来」についていろいろ考えてみるのも、面白そうですね。

《付記》技術的にはいろいろズレが生じましたが、当時の雰囲気ということで。Bluetoothは予想どおり、普及にかなり時間を要しました。

image by: Shutterstock

 

氷川竜介

氷川竜介

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1958年兵庫県生まれ。アニメ・特撮研究家、明治大学大学院客員教授。東京工業大学卒。文化庁メディア芸術祭審査委員、毎日映画コンクール審査委員などを歴任。日本SF作家クラブ会員。海外での展示会・映画祭での講演経験多数。文化庁向けに「日本特撮に関する調査報告書」「日本アニメーションガイド ロボットアニメ編」を執筆。主な編著、参加書籍:「20年目のザンボット3」(太田出版)、「世紀末アニメ熱論」(キネマ旬報社)、「アキラ・アーカイヴ」(講談社)、『細田守の世界――希望と奇跡を生むアニメーション』(祥伝社、2015年)、「ニッポンのマンガ*アニメ*ゲーム from 1989」(国書刊行会)など。

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