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石油の利益を独占する王家にメス。サウジアラビアに異変

海外のメディアで報じられたニュースを中心に解説する、無料メルマガ『山久瀬洋二 えいごism』。著者である山久瀬さんはメルマガの中で、近年変わりつつあるサウジアラビアについて解説しています。

 

サウジアラビアの異変

今週のテーマは、「2000年の歴史の鏡に映る中東の要、サウジアラビアの異変とは」です。

【海外ニュース】

Crown Prince gains power after sweeping purge of Saudi officials 

訳:皇太子はサウジの高官を一掃して権力を集中(ワシントンポストより) 

【ニュース解説】

サウジアラビアに異変がおきています。日本からは遠い話かもしれません。しかし、石油を通して中東問題は日本経済に直結しています。サウジアラビアは、斬首による処刑、女性の社会参加への厳しい規制など、イスラム教の最も保守的な価値を政策にも導入している王国として知られています。

この国は日本とは石油で結ばれながらも、イスラム教の保守的なイメージを象徴する国家として、中世さながらのミステリアスな王国として多くの人の目に映ります。一方、同国は長年動乱の続く中東の中にあって親米国家としても知られています。

しかし、新たに王権を継いだサルマン国王の皇太子ムハンマド・ビン・サルマンへの権力集中が進む中で、そうしたサウジアラビアがより開かれた国家に変貌しようともがいているのです。

そして今、長年石油の利益を独占し富豪として君臨していた王家のありかたにもメスがはいります。

皇太子は昨日、世界のメディアやTwitterなどの株主としても知られるアルワリード王子などの王族とその取り巻きを逮捕追放という大鉈をふるったのです。世界経済にも大きな影響が考えられます。

今回の改革の背景を知るには、そもそもイスラム社会にとってのサウジアラビアとはいったいどのような国家なのかを知っておく必要があります。

ここであえて古代史に目を向けます。古代ローマ帝国以来、西欧社会の脅威は常に中東にありました。ローマ帝国は古代ヨーロッパの超大国でした。そんなローマが拡大したとき、どこを占領して膨張したでしょうか。今のフランスやイギリス、ドイツ、そしてスペインといった西ヨーロッパがローマの版図拡大のターゲットでした。

一方、ローマは中東からアジア方面には拡大できませんでした。どうしてでしょう。

そこには、ペルシャに代表されるメソポタミア文明の恩恵を受けた強力な帝国が存在していたからです。逆に、現在の西ヨーロッパはローマから見れば蛮族の住む未開地でした。ですから、ローマは未開の地を版図にいれ、そこから人員を補給しながら東の脅威に備えたのです。

従って、ローマ帝国が強靭な国家になった後、ローマの戦略的な拠点はローマではなく、東方に睨みをきかせ、迅速な対応ができるコンスタンチノープル、今のイスタンブールとその周辺へと移行していったのです。東の文明、つまりローマから見たオリエントこそが、彼らが常に意識しなければならなかった脅威でした。

ところが、時とともに蛮族の土地とされ、傭兵などの供給源となっていたアルプス以北のヨーロッパが変化します。それらの地域が次第に開拓され、ローマ化が進み、力を蓄えながら、独自に版図を広げ始めたのです。ローマが、自らが支配した辺境の人々に飲み込まれていったとき、社会は大きく変化します。特に、ローマで禁止されていたキリスト教は、ローマを逃れ、そうした地域に広がっていました。

彼らが、ローマとの交流を通し次第に経済力や軍事力を蓄えたとき、ローマ帝国としては東方の脅威に向けて国家を統一させるためにも、彼らと妥協しなければなりませんでした。こうして4世紀末にキリスト教はローマ帝国の国教になったのです。

やがて、中世になると、東方では新たな宗教の元に、強大な国家が生まれました。イスラム教を信奉する数々の王朝です。当時ローマ社会はすでにキリスト教を軸にしたヨーロッパ諸民族の連合体へと変化し、それぞれの地域が自立、独立していました。現在のヨーロッパ社会のはじまりです。

 

後年、ヨーロッパ社会は新大陸にも膨張し、今のアメリカを建設します。このことによって、長い世界史の流れのなかで、ローマをご先祖様とするキリスト教社会と、東方のイスラム社会とがユーラシア大陸の西半分の文明を二分するのです。この東西の対立が、現在も尾を引いているというわけです。

ですから、ヨーロッパ社会とその延長となるアメリカは、常に中東の問題に目を光らせ、必要に応じて鋭く介入します。

これは2000年にわたる東西の対立の中で培われた遺伝子のようなものです。この介入に対抗していたイスラム社会は、15世紀以降オスマントルコがその盟主となりました。彼らは、1453年にはローマ帝国を継承していた東ローマ帝国を滅亡させ、17世紀には当時の西ヨーロッパの中心であったウィーンなどへも遠征しました。

しかし19世紀になってその大帝国が衰微したころに、逆にヨーロッパ諸国は産業革命を経て力を蓄えたのです。欧米の脅威と、衰退するオスマントルコへの民族運動が融合する中、ちょうどキリスト教にとってのローマのように、イスラム教の聖地メッカのあるサウジアラビアが、20世紀にイスラム社会の精神的支柱となる国家として建国したのです。

建国前夜にはオスマントルコの衰亡を企むイギリスなども大きく関与します。ですから、サウジアラビアは伝統的にイスラム右派を標榜する国家でありながら、親米、新ヨーロッパ政策を継承してきたのです。

もちろん、キリスト教がカトリックやプロテスタント諸派に分離したように、イスラム教もスンナ派やシーア派など諸派に分離し対立します。スンナ派の拠点がサウジアラビアであれば、シーア派の拠点はイランです。こうした内部対立はあるものの、世界がキリスト教とイスラム教との対立を軸に激しく争い、混乱を生み出しているのはこうした背景によるのです。

今回のヘッドラインは、そんなサウジアラビアにおきた政変です。スンナ派の盟主とされるサウジアラビアの今後は、今中東でおきている様々な政治問題にも微妙な影響を与えるはずです。だからこそ、あえて2000年にわたる東西交流と対立の歴史を紐どきながら、今回のサウジアラビアの情勢を注視してゆきたいのです。

 

image by: shutterstock

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【著者】 山久瀬洋二 【発行周期】 ほぼ週刊

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