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シリア攻撃と「火垂るの墓」で考える、メディアのあり方

米英仏がシリア攻撃に踏み切った際、異例だったことは、本来なら極秘である攻撃の詳細がメディア上で「公開」されたことでした。メルマガ 『ジャーナリスティックなやさしい未来』の著者でジャーナリストの引地達也さんは、先日亡くなられた映画監督、高畑勲さんのアニメ映画の代表作「火垂るの墓」を引き合いに出しながら、平和実現に向けたメディアの役割について記しています。

シリア攻撃と「火垂るの墓」に見る、メディアのあり方

先日、米英仏がシリア攻撃に踏み切った。105発ものミサイルを「化学兵器工場」3か所に打ち込み破壊したという(アサド政権側は「ほとんど迎撃した」と発表している)。国連決議を経ないまま「人道的介入」(英国)を理由に攻撃を正当化しているが、今回は攻撃の詳細を「公開」する異例な対応が行われている。攻撃の正当性を示し、国際世論を味方につけようとの意図だが、メディアの役割という観点からは、熟慮が必要なケースとなりそうだ。

米国防総省は4月13日(米国時間)の攻撃直後とその翌日に記者会見を行い、105発の内訳を米85発、英仏20発と明らかにし、標的施設の状況などを、画像を示して説明。同省ホームページにはシリア攻撃に関する特設ページ」で、巡航ミサイルの発射映像や標的の衛星写真などを公開した。

米国がイラク攻撃に踏み切った湾岸戦争では、米国による「攻撃の正確性を映像で伝えることに成功するなど情報戦メディアコントロールは米国の得意な分野である。シリアと後ろ盾のロシアが「主権国家への侵略行為」と非難するのは予想していただろうから、対応策としていち早く準備していたような印象だ。

懸念されるのは、105発の攻撃により民間人の犠牲者がいなかったのか、もしいた場合に、その現実は世界に届けられるのか、という問題である。

シリアが「化学兵器を使用したとされる子供が苦しむ映像が、今回も攻撃前に世界中で見られ、その何かしらの力で一般の人々は感情的な扇動を受けているような気がするが、子供が苦しむ映像に感情が揺さぶられない人はいない。仕組まれたものだとしても、私もすぐにでも救い出したいと強く思う。じゃあ、攻撃はよいのだろうか

先日亡くなられた映画監督、高畑勲さんの代表作のひとつであるアニメ映画「火垂るの墓」は、戦火の中を生きる少年と妹の物語を通じて反戦の決意を確かなものにしてきた野坂昭如氏原作国民的作品だ。

私たちは戦争を体験した国として、小説や映画など各種メディアを通じて、受け継がれるべき物語があった。

火垂るの墓」の中で死にゆく幼い命を守るため反戦が語られてきたはずだった。

シリアの内戦では、アサド政権軍や反政府勢力の双方による攻撃などで、一般市民が犠牲になり街が徹底的に破壊された様子も映像で伝わってきている。

手軽に動画を撮影し、ソーシャルメディアを通じて世界に発信できる世の中において、市街戦の様子がリアルに瞬く間に映し出されたことをメディアの発展と呼ぶのかもしれないが、戦闘を収める力には至っていないのが現状だ。

日本の場合、残酷なものに目を伏せる傾向も、反戦の思いを継続するために適切かどうかも議論する必要があるだろう。

数年前、シリア内戦が激しかった時期に、私はある私立の中学校と高校に講演を依頼され、ちょうど現地で取材していたジャーナリスト経由で入手した空爆直後の街の映像を見てもらった。

爆撃で噴煙にまみれた街の中、逃げ惑う人、叫びながら行き交う人、サイレンの音、そして人の形をした死体と、人のような形の死体のような塊─。

これが、今起こっている戦争の現実だと力説しながらも、やはり私の自制の念から死体の映像だけはカットした。

真実をありのままに直視したうえで、判断できる社会まで成熟していないということなのだろうか。平和に向けて有効な手段としてのメディアをどう構築していくか。市民とメディアとの議論が必要だ。

image by: shutterstock.com

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特別支援教育が必要な方への学びの場である「法定外シャローム大学」や就労移行支援事業所を舞台にしながら、社会にケアの概念を広めるメディアの再定義を目指す思いで、世の中をやさしい視点で描きます。誰もが気持よくなれるやさしいジャーナリスムを模索します。

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