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真紅に染まる侘び寂びの池。京都持統院で紅葉と往年の名優を偲ぶ

京都の名所は映画撮影場所として欠かせない存在。日本映画の父として有名なマキノ省三も、等持院を撮影場所として選択しています。京都旅行で寺院巡りをするなら、歴史を学びながらも映画で描写されている世界観を感じるのもいいものです。今回の無料メルマガ『おもしろい京都案内』では著者の英学(はなぶさ がく)さんが、等持院と日本映画の関係について紹介しています。

等持院と日本映画

日本映画の父・マキノ省三をご存知でしょうか? 明治時代、日本で初めて映画監督をした人として有名な方です。最近亡くなられた津川雅彦さんや兄の長門裕之さんは孫にあたります。

日本映画の創世記には撮影所を足利家の菩提寺・等持院の境内に構えていました

撮影所がお寺の境内にあるのは全国でも珍しく、多くのチャンバラ映画は等持院で撮影されました。このころ数々の大スターが生まれましたが、中でも有名だったのが阪妻こと阪東妻三郎でした。田村正和さんのお父さんです。

まず等持院の歴史を簡単にご紹介します。等持院は臨済宗天龍寺派の古刹です。鎌倉五山の時代に建てられた由緒あるお寺です。室町幕府初代将軍・足利尊氏が暦応1341年に夢窓疎石を開山に創建しました。

それ以来、等持院は足利家の菩提寺として発展し歴代ほぼ全ての足利将軍の木像が安置されています。理由は分かりませんが5代将軍・義量と14代将軍・義栄の木像はありません。

そしてよく見て頂きたいのが、歴代将軍の中に徳川家康の木像が置かれているのです。この家康の木像は彼が42歳の厄年の時に厄落としのために作らせたと言われています。なぜ家康像がこの場合にあるのか謎ですが、是非注意深く見てみて下さい。

さて、この等持院の境内の敷地には4つの撮影場所と現像室などがありました。京都では二条城撮影所、法華堂撮影所、日活大将軍撮影所など次々と撮影所が作られました。

マキノ省三は大正10年に日活から独立し、牧野教育映画製作所(のちのマキノキネマ映画製作所)を設立しました。等持院の境内に念願のスタジオを構えたのです。

東京は現代劇を撮ることが多かったようですが、京都はチャンバラ時代劇のメッカでした。当時は毎週新しい映画が上映されていたほど次々に映画が撮影されていました。今のテレビ番組以上の制作量だったので観客者も毎週新しい映画を楽しみにしていた時代でした。

そんな中阪東妻三郎が等持院撮影所で主演デビューします。マキノ省三は様々な新しい技法で映画の可能性を広げていきました。

時代はその後昭和、平成と移り変わり現在の等持院には落ち着いた静かな時間が流れています。この場所が活気ある撮影所だったことが嘘のようです。

等持院は天龍寺の曹源池庭園と同じく夢窓疎石が設計した芙蓉池と心字池を中心とした池泉回遊式庭園があります。四季を通じて色とりどりの花が咲く芙蓉池に対して、「侘び」「寂びの庭と称される質実な心字池が対比されます。

しかし、秋の紅葉の時期だけは心字池は燃えるような真紅に彩られます。芙蓉池より華やかなまさに「逆転の庭」などと呼ばれているようです。

等持院は室町時代の栄枯盛衰を経て、明治から大正、昭和にかけての活気に満ちた映画人たちが活躍した場所でした。そのため等持院は足利将軍家の菩提寺であると同時に、マキノ省三や尾上松之助の墓所でもあるのです。

いかがでしたか?京都は日本人の知識と教養の宝庫です。これからもそのほの一部でも皆さまにお伝え出来ればと思っています。

image by: 京都フリー写真素材

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【著者】 英学(はなぶさ がく) 【発行周期】 ほぼ週刊

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