相手に何かを伝えるとき、オノマトペ=擬声語(擬音語、擬態語)の活用を意識すると、グッと伝わりやすくなると、アナウンサー歴26年の現役アナウンサー熊谷章洋さんは、ご自身が発行するメルマガ『話し方を磨く刺激的なひと言』で解説しています。「もふもふ」なんていう比較的新しいオノマトペも感覚的に伝わってしまうのは、日本語の持つメロディーと、それを使う日本人の耳に秘密があるようです。
オノマトペは大容量の情報をダイレクトに伝えられる
客観情報の中に主観=感想を混ぜてみる、そのやり方について、筆者が具体的な表現を試みるというシリーズの中で、前回は、日本語表現における、オノマトペ=擬声語(擬音語、擬態語)の重要性について言及しました。
簡単にまとめると、そもそも日本語の発音にはメロディーがあり、日本語を使う日本人の耳には、音が言葉に聞こえたり、その音を言語化、文字化できたりするようなことに強い、特性を持っているということ。そんな日本人の感性にピタリとくる表現なので、心に響く。利用しない手はない。というわけですね。
実際にオノマトペがどのぐらい効果的なのか?前回までの具体例で比較してみましょう。
「店頭にディスプレイされているショートケーキについて、今ここにいない電話の相手にもわかるように表現する場合」において、「真ん中にもイチゴの層がある」という客観情報に、主観を込める表現法としては、
- 「その真ん中のイチゴの層は、ちょうど真ん中に2センチぐらいの厚さで、イチゴとクリームの配分はイチゴがやや目立つ感じ…」
- 「真ん中の層にも、イチゴがふんだんに使われていて食べ応えがありそう」
- 「どこどこの有名店と比べても、中の層の充実っぷりが際立ってる」
- 「真ん中のクリームの層の中に見えるイチゴの断面が、まるでお菓子のお城の壁みたい…」
などと、さまざまに形容できるところを、オノマトペを多用するならば、
- 「真ん中の層は、たっぷりのクリームがいかにもふわふわしていて、中にはざっくりと大きめにカットされたイチゴがゴロンゴロンと…」
こんな具合になるわけです。
オノマトペ以外の形容を用いた表現が、どこか他人事といいましょうか、あくまでその人の感想なんだな、と、ちょっと引いた印象を与える言い方なのに対して、オノマトペが入ってくると、ぐっと親しみが湧き、自分もそれを体感しているような気分になりますよね。そこが、聞き手側に対する、オノマトペの強みです。
いっぽう、話し手にとってのオノマトペの利点は、
- イメージが伝えやすいこと
- 状態までも音声化できること
- 感性をそのまま音声化できること
- 変形しても大丈夫=自由であること
などが挙げられるでしょう。
まず、「イメージが伝えやすいこと」について。上記の具体例、「真ん中の層は、たっぷりのクリームがいかにもふわふわしていて、中にはざっくりと大きめにカットされたイチゴがゴロンゴロンと…」でもお判りいただけると思うのですが、オノマトペだけで、かなりの事柄を言い尽くしてしまえますよね。
言い換えると、オノマトペは多くの情報を含んでいる、ということです。オノマトペの情報量が多いのは、曖昧で感覚的だからです。情報通信の分野の研究などで、曖昧なことを数値化、デジタル化する研究も進んできていますが、それが難しかったのは、膨大な解析が必要だからですよね。
オノマトペの言葉たちは、そんなビッグデータを、短く、しかもダイレクトに送信できるわけです。もちろん聞き手の側にも、ふわふわとはこういう状態、ゴロンゴロンとはこういう状態という共通認識もありますが、それと同時に、「ふわふわ」という音から感じられるイメージを、聞き手も自分の脳の中で解析して、自分の知っている状態に置き換えて映像化=イメージしてくれます。
ですから、「もふもふ」なんていう、比較的新しいオノマトペも、広く知られていなくても、なんとなく感覚的に伝わってしまうわけですね。
次に、「状態までも音声化できること」について。つまり擬態語の使い勝手が良い、ということです。ワンワンニャンニャン、ポツポツ、ザバーン…声や音を言葉にできるのはもちろんのこと、物の状態や、人間の気分などまで、まるで音と同じように表現できるんですよね。
どんより、ビュンビュン、カラッと、みっちり、もふもふ…
いくらでも挙げていたらキリがないので、ほどほどにしておきますが、これら、状態や気分などを表す擬態語は、その状態から感じられる、音のような性質が言語化されたものと思われます。
- まるで空からドヨーンと音がするような空模様=どんより
- まるで複数の車が猛スピードで通り過ぎた時に聞こえる音のような=ビュンビュン
- まるで手で触るとこんな音がするような空気の乾燥=カラッと
- まるで容器の中に隙間なく詰まっているものに感じるような=みっちり
- まるで柔らかくてふわふわで空気をたっぷり含んでいるような=もふもふ
まぁ、そういうことですよね。そう考えると、感性が近い間柄だからこそ成立するという部分もありますよね。同じ風土に生まれ育った日本人という共通項があるからこそ、擬態語が通じる、そして心に響きやすい、のかもしれません。
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