ついつい口をついて出てしまったウソ。しかし、「一度でもウソをついた人はそのコミュニティで一切信用されない」とバッサリと斬るのは、無料メルマガ『サラリーマンで年収1000万円を目指せ。』の著者で、学歴やコネが無くても年収1,000万円になれるスキルをセミナー等で多くの人に伝えている佐藤しょ~おんさん。今回の記事では、SNSの発達した社会では正直に生きるのがベストの選択肢と力説し、その理由を記しています。
ウソつき受難の時代到来
私は子供と大人の違いって、意志に頼る事なく、ごく当たり前の平常心で、
● ウソって全くペイしないからやらないよね
と言えることだと思っているんです。ところが実は社会の底辺層では、ウソをつくことが当たり前になっていたりするんですよ。
ちなみに、社会人のあなたが、同じ社会人である知り合いの中に、何人のウソつきがいるかを数えると、あなたが所属している階層が分かりますよ。ウソつき?私の周りにはひとりもいないよ、とか、もし出逢っても年に一人とかだなと言える人は、非常にまともな階層に所属しています。
これがウソつきが恒常的にあなたの周りに二人以上いる世界で生きていると、これはブラック企業とか、なんからの疚しいことを生業にしている会社だったりするんですね。
オレの友達にも3人くらいウソつきがいるよという人は、たぶんあなたもウソをつく習慣がある人なんでしょう。だからそういう人が複数いるのにその階層に留まっていられるんです。
まともな人は、自分はウソをつきませんから他者がつくウソに耐えられないんです。一度でもウソをつかれたら、生理的な嫌悪感が立ち上がって、次に会った時に目も合わせたくなくなるんですよ。そんな人が複数集まっている集団に近寄るなんてことは、100万円もらってもお断りだというのが、まともな大人の感覚なんですよ。
えええ?そうなの?そんなの大したことないじゃん、と考えるのなら、あなたはかなり低い階層に住んでいる人だといえるんです。まずはここから離脱しないと、良き人生は手に入れられませんよ。
なぜなら、ウソをつくことは最もトクをしない戦術だからです。
ウソって一回こっきりしか通用しないワザでして、そして一度でも使ったら同じ相手はおろか、その人が所属する全てのコミュニティーで、あなたはウソつきというレッテルを貼られて、信用資産がゼロになるんです。ところがウソつきって、この有効な一回だけという機会に魅力を感じるんです。
- この苦しい状況を逃れられるのなら…
- もしこのウソがバレなかったらラクできるし…
- 汗をかいて努力するのは面倒だから…
という理由で、軽く考えてウソ、でまかせを言ってしまうんです。そしてこれが、最初の一回はサクッとワザが決まるんですよ。つまり、そのウソによってオトクな状態を手に入れられるんです。これは快感ですよ。譬えて言えば原価ゼロで作ったモノが、100万円で売れたようなものですから。この味はなかなか忘れられません。これが通用するのなら何度でも使いたくなってしまうわけです。
ところがウソをつかれた方は、次からはその人を信用しませんから、同じ人間には全く通用しません。そうなるとそれが通用する新しい人間関係が必要になるんですね。
みなさんの周りにウソつきがいたら、その人がその後どうなったのかを思い出して欲しいんですが、ウソがバレたらそのコミュニティーにはいられませんよね。つまりそこから離れて、新たな場所、それはつまり自分がウソつきだとバレていない場所に移動することになるんです。つまりその人は今や、あなたの視界から消えているはずなんです。
ところが今の時代って個人がSNSなどで密接に繋がっているでしょ。そうなると、こういう情報もあっという間にシェアされちゃうんですよ。そうすると、新しい場所に潜り込めたと思ったのに、実はとっくにそこで自分の悪い噂が流れていて、このワザ(ウソ)が通用しなかったということになるんです。ウソつきにとっては受難の時代になりましたね。
逆に言えば、かつてよりも今の方がウソがペイしなくなっているということなんですね。だからあなたの会社や周りの人にウソつきが複数いるという状態は、非常にヤバいことなんですよ。会社にそんな人が複数いるのなら、今すぐに転職を考えた方が良いですよ。そんな会社は社会に抹殺される時代なんですから。
だから正直というのが最もラクで、最も賢い戦術になるんですよ。高校生の頃にやった、『試験にでる英単語─実証データで重大箇所ズバリ公開』の中にも、
Honesty pays in the long run.
という例文があって(今でもあるのかな?)、こういう格言に真実味を感じる生き方が出来て良かったと思うわけですよ。
個人の評価が曝け出される時代
正直に生きるのが一番だよね、というごく当たり前のことを書いたんですが、これにはもうひとつ理由があるんです。
これからの時代って、あなたという個人の持っている信用とか評価が、ドンドン可視化されるようになるんです。というか既にお隣の中国ではそうなっています。芝麻信用という信用情報機関が、個人のあらゆる行動からその人の評価を数値化して、これによって社会生活に直接影響を与えるという仕組みが、ちょっと前から実現しているんですね。
参考:中国人の人生はアリババ次第?信用情報機関「芝麻信用」の格付けが猛威
日本でも最近では、レストランなどで予約をしたのに当日ドタキャンをするお客の情報を共有するなんて動きが出ていますが、ごく近い将来もっとシステマティックにこういうことが行われると思うんですよ。
そういう時代には、ウソに対するペナルティーって今よりも重たくなると思うんですよ。下手したら一度の過ちが、そのあと何年も影響を及ぼすなんてことにもなりかねません。すでにクレジットカードの世界では、その人の利用頻度や月額利用金額や、支払いの状況から、信用度の評価を数値化しているわけで、アメリカなんかではこの数値によってアパートが借りられなかったり、自動車ローンの金利が高くなったりしているわけですよ。
スゴく恥ずかしい話なんですが、20代の頃何度か滞納をしまして、おかげで30歳半ばになるまで、クレジットカードを持てなかったという暗黒の時代が私にはあります。良くこれで留学とかに行けたよなと思いますが、日本とアメリカでは情報のやりとりがないので、助かっただけなんですよね。でもこれもこれからは世界的に一元化されるかも知れませんし、そうなったら国境という概念が益々希薄化しますよね。
え?ウソはつくけど支払いはちゃんとしてるって?
こういうのって最後は連動するものですから、今は大丈夫でもどこかで道を踏み外しますよ。
逆に言えば、正直に生きている人にとっては、大チャンスの時代が来るということですよ。だってフツーに生きているだけで、あなたの評価が着実に上がってしまうということなんですから。
これは客観視のひとつの方法なんですけど、選択の岐路に立った時に、
● あなたの選択を、世界中の人が注視しているとしたらどっちの道を行くの?
と考えると、ズルい方、ヤバい方の道は選べなくなります。易きに流れやすい人は、選択の度に、
● 誰かがオレの選択を監視しているのだ
と考えてみるというのもひとつの手だと思います。
これもまた習慣のひとつでして、だから何度もやっていると最後は無意識で正しい方を選べるようになるんです。というか、そうなるまで何度も意識して、
● こっちが正しい道なのだ!
と確認して選ぶべきなんです。
道を誤る人って、そんな選択の瞬間に客観視が出来ていないんですよ。なんとなくラクそうな方を選んでしまうんです。
一瞬の快楽と、長期的な快楽を比較しているのだという意識を立ち上げると、自ずから選択肢は決まってくると思うんですけどね。
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