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臥薪嘗胆。三国干渉に激怒の日本が立てた日露戦争に負けない算段

1904年2月8日、日本海軍の駆逐艦がロシア艦隊を旅順港で攻撃、いわゆる「日露戦争」が勃発します。しかし日本は、「無謀」な状況で戦争に突入したわけではありませんでした。今回の無料メルマガ『致知出版社の「人間力メルマガ」』では作家で政治史研究家の瀧澤中氏が、アヘン戦争から日露戦争に至るまでの歴史の変遷と、開戦に当たって日本が張り巡らしてきた深謀遠慮をわかりやすく解説しています。

日本が立てた「負けない算段」

かつてアジアの小国と、その10倍の力を持った大国とが激突した日露戦争。小国・日本の勝利は世界を驚かせましたが、そこには周到な準備がなされていました。本日は、日露戦争が起こったいきさつについて、振り返ってみたいと思います。

特集「国家百年の計」 瀧澤中(作家/政治史研究家)

そもそもなぜ、日本はロシアとの開戦を決意したのか。その経緯を簡潔に説明したいと思います。

日露戦争から遡ること半世紀、黒船来航の13年前。1840年にイギリスと清国との間でアヘン戦争が勃発しました。清国は敗北して不平等条約を締結させられ、香港を割譲。これに乗じて欧米列強が利権を求めアジアに続々と進出してきます。そういう最中に起こったのが明治維新です。

明治政府が樹立すると、当時の指導者たちは、「清国の次は日本が狙われるという当然の危機感から、「富国強兵」や「殖産興業」というスローガンのもと、一所懸命に国家の近代化を急ぎました。

その後、清国が朝鮮半島の覇権を握ろうと進出してきます。清国が李氏朝鮮を支配下に置けば、日本は脅威に晒されます。こうして朝鮮半島を巡って日清戦争が勃発。勝利した日本は、清国に李氏朝鮮の独立を承認させると共に、台湾や遼東半島を獲得しました。

ところが、これに対して露独仏の三国が、「遼東半島を清国に返還しろと干渉してきます。理不尽な話ですが、当時の日本の国力では三国に逆らえませんでした。しかし呆れたことに、日本が返還するや否や、三国は次々に清国の領土を横取りしたのです。

この時に味わった屈辱が「臥薪嘗胆」の合言葉を醸成します。

ロシアは不凍港の確保を求めて、満洲や朝鮮半島に進出してくる。日本はロシアに引き揚げるよう求める。しかしロシアはどんどん南下してくる。こうした状況下、日露開戦賛成派と反対派の間で、侃々諤々の議論がなされました。

最終的に、「日本の同盟国であるイギリスを敵に回してまで、ロシアに味方する列強はない」「ロシアは自国防衛のため、ヨーロッパ側に張りついている兵力を極東には移動できない」、といった情報を通じて「負けない算段を立て日露開戦に踏み切ったのです。

四方(よも)の海みなはらからと思う世になど波風の立ちさわぐらむ

 

(日本を取り巻く四方の海はすべて皆兄弟だと思っている世の中であるのに、どうしてこのように波風が立ち騒ぐのであろうか)

開戦の折に明治天皇が詠まれた御製ですが、苦渋のご決断だったことが、この31字からありありと伝わってきます。

image by: Shutterstock.com

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【著者】 致知出版社 【発行周期】 日刊

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