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京都弁だった「ほっこり」が、いつの間にか共通語となった理由

最近よく耳にする「ほっこり」を例に、新しい言葉が共通語として定着する条件について考察したのは、メルマガ『8人ばなし』の著者・山崎勝義さんです。山崎さんは、京都の学生時代に知った京都弁としての「ほっこり」は、少し意味が違ったと語り、意味の変化はあっても新たな共通語は今後も方言から生まれそうだと結論づけています。

『ほっこり』のこと

ある言葉が一般共通語として市民権を得るまでにはどれくらいの時間が掛かるのであろう。例えば、最近よく耳にする「ほっこり(する)」などは、少なくとも20年くらい前までは今ほど広く認知された言葉ではなかった。勿論、狭くは認知されていた。この言葉は本来、京都弁であった。

これには実体験に基づく根拠がある。今から25年くらい前、学生だった私は退官したある教授の研究室の後片付けという一日だけのアルバイトをしたことがあった。日給がいくらだったとか、具体的な作業内容がどうだったとかはすっかり忘れてしまったが、いくつかのエピソードは鮮明に憶えている。

1つは、新品のネクタイが1本見つかったこと、2つ目は現金5000円が見つかったこと、3つ目が休憩中にこの「ほっこり」について話したことである。

そこは文系教授の研究室だったからさほど重労働という訳でもなかったが、後片付けという作業の性質上、根を詰めてやればそれなりに肉体は疲労した。午前か午後かは忘れたが良きタイミングで監督者たる教授が「そろそろ休憩にするか」と言った。この休憩の時、先の教授がお茶を一口飲んだ後に京都アクセントで言ったのが「ほっこりしたなぁ」である。すぐさま質問が出た。

「『ほっこり』って何ですか?」

質問者は東京出身の男子であった。彼だけではない。自分も含め、そこにいた数人の中でその言葉を知っている者は一人としていなかったのである。

勿論、状況からある程度の意味は推測できる。「『一息つけた』とか『落ち着いた』みたいな意味ですか?」と自分も聞いてみた。

「そんな感じに聞こえるか。でもちょっと違うんだよ、フフフ」

それが先生の答えだった。先生がこんなふうに笑う時は大体「京都人しか本当のところは分からないよ」といった雰囲気であった。だから大概話はそこで終わるのである。

この先生は京都生まれの京都育ち、三高から京都帝国大学(京都大学)を経て国語学者となった人だからインフォーマントとしては最適、というより最高である。この時以来、自分にとって「ほっこり」は特別な言葉となった。

ところが2010年くらいからテレビやラジオでこの「ほっこり」をやたらと聞くようになった。用法としては、かわいい動物や子供の動画を見た感想として「ほっこりしますね」というふうに使われる例が最も多い。

これは本来から言うと誤用の筈である。現行用法だとその意味は「ほのぼのとした気持ちになる」といった感じであろう。しかしこれでは一仕事終えてお茶を一服の感覚とは明らかに異なる。敢えて共通点を見出すと、継続した緊張感なりがふっと弛緩する状況くらいであろうか。

その弛緩の部分のみを強調して、こんなにかわいいのだから弛緩せずにはいられないだろう、ということになり「ほっこり」=「ほのぼのとした気持ち」となったのであろう。

いずれにしろ誰か(おそらく京都人以外)が始めた誤用が瞬く間に一般共通語として市民権を得たことは間違いのない事実である。最初に「どれくらいの時間が」と通時的な疑問から始めたが、どうやら共時的な拡散力の方が重要なようである。

但し、共時的な拡散力を得るにはいくつかの条件が必要である。まず現代人の言語感覚にしっくりくるものでなくてはならない。さらに、その言葉がある状況下における人間の心情を言い得て妙でなくてはならない。そのためには、その状況下における先行表現がどこか物足りないものでなくてはならない。入り込み、定着するだけの隙間が必要ということである。

上記の条件について改めて考える時、方言ほど便利なものはない。一地方の一方言から全国共通の一般語となる過程で意味の変化があっても、当該方言話者以外はあまり違和感を覚えないだろうし、当該方言話者も逆輸入的に、より一般化された意味として受け入れることにさほどの抵抗はないと思えるのである。用例が一つ増えるだけのことであるからである。

自分の生きている間に「ほっこり」のような古くて新しい言葉があといくつ生まれるか、ちょっと楽しみに思うのである。

image by: leungchopan,shutterstock.com

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ここにあるエッセイが『8人ばなし』である以上、時にその内容は、右にも寄れば、左にも寄る、またその表現は、上に昇ることもあれば、下に折れることもある。そんな覚束ない足下での危うい歩みの中に、何かしらの面白味を見つけて頂けたらと思う。

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