国が老後として想定しているのは15年ほどであり、だから定年も年金支給開始も引き上げようとしていると、メルマガ『武田邦彦メールマガジン『テレビが伝えない真実』』の著者、武田邦彦中部大学教授は語ります。そして、先人が示す生き方は人生50年時代のものであり、平均寿命が80を大きく超え、100歳まで生きる人も数多くいる現代においては、50歳からの「第2の人生」の計画を自ら立てなくては、多くの時間をただ奪われるだけになると訴えています。
平均寿命が延び、「老後」は15年から50年の時代へ
「自分の人生ぐらい、よく考えているよ」と思うでしょう。でもちょっと聞かれると、答えられないことが多いものです。
たとえば、私が言っている0歳から50歳までの「第1の人生」では、0歳から10歳までが成長、20歳まで勉強して社会にでる。しばらくして結婚し、子供ができ、それからは子育てを中心として生活して、できれば家を建てたり、マンションを購入する。そして50歳ぐらいで、仕事も、家庭も、おおよそ卒業に近い落ち着いた状態になる…というイメージがはっきりしています。
ところが50歳から100歳の「第2の人生」となると、定年が伸びればよいな、年金で十分だろうか?趣味も少し楽しんでそのうち体も悪くなるだろうな…とあいまいな返事がきます。そして、「何歳ぐらいで他界するの?」と聞くと、若い人は70歳ぐらいかなといい、少し年取ると80歳ぐらいと思うと答えるか、そんなことはわからないよ。そんなに生きたくないし…となります。
日本人の平均寿命が50歳を超えたのは戦争が終わってからですから、第1の人生はこれまでお釈迦様、哲学者、そして多くの文学で十分に示され、「人生の悩み」もなにもかも50歳までのことなのです。
ところが、今までの「老後」というのは、定年から15年が原則でした。平均寿命が70歳だったころは定年が55歳で、定年後15年が老後、そして平均寿命が80歳になると政府は盛んに「65歳まで雇用してください」と言い始めました。つまり、「老後」というのは今まで15年しか用意されておらず、老人用の旅行、趣味、そして病院、年金まで15年分なのです。
ところが、定年がどうなるかは別にして、50歳までの人生に、さらに50年の人生が加わるとなると、到底、旅行と病院では時間もつぶせないし、年金も足りません。だから、今までと全く違った人生計画が必要なのです。
50歳からの「第2の人生50年」を真剣に考えてはどうか
第2の人生の50年をどうするのか?私がそれに気が付いたのは45歳の時でした。
「老婆の一時間」という随筆を書いたのですが、…ある日、老婆が縁側に座っています。空が赤く染まり、山の端に沈もうとしている夕暮れ時、老婆が座っている縁側の前の道路を若い人が忙しそうに通過します。それを見て、「ああ、あたしもあんな時があったわねえ」と老婆がつぶやきます。
そう、老婆にも若く活躍した時期があったのですが、今では夕日を浴びながら縁側に座っています。でも、彼女は膝が痛いわけでも、どこかに病気を持っているのでもないのです。30歳、40歳の時と同じなのですが、ただ、周りの人が「お婆さんだから」とか「無理しないで」と言うので、ジッとこうして縁側に座っているのです。
でも、老婆の一時間も、若い時の一時間も、彼女にとっては同じ人生の一時間なのです。それでも彼女が縁側に座っているのは、周りが彼女の人生を奪っているに過ぎないのです。
…と、私は書いてハッと気が付いたのです。その老婆の人生は自分にもあと10年もしたら来るだろう。そして、定年がどうの、年金がどうのと心配しているに相違ない。そんな人生ってあるだろか?寿命が延びても仕方がないのではないか??
私は考え、50歳からの私の第2の人生の計画を慌てて作ったのです。それは現代でも同じです。今、40歳の人は年金は実質的に90歳ぐらいからしか受け取れないという試算もあります。でも、その現実を正面から見ていないように見えます。
私はそれまで精魂をかけて頑張ってきた会社を50歳でやめ、60歳までの自分、60歳から90歳までの人生、そして90歳以上の自分の計画を立てたのです。人生の目標から、生活の規範、周りとの関係、健康の保ち方…なにからなにまで50歳までの自分とは全く違うことをしています。
でも、それは容易ではありません。現在の日本のシステムがすべて第1の人生に焦点をあわせていること、高齢者のサービスや健康基準などは「どうせ、縁側に座っている人だから」という考えでできているからです。
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