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天安門事件で始まった平成。令和元年も終わらない隣国の大問題

日本では平成が終わりを告げ、令和という新しい時代を迎えましたが、振り返ると平成元年は中国で天安門事件が起こった年であり、あれから30年経ってもリセットされない現実が隣国にはあると、メルマガ『ジャーナリスティックなやさしい未来』の著者でジャーナリストの引地達也さんは指摘します。いまなお、あの事件の影響下で声を挙げられない人と、母国には届かない思いを海外で叫ぶ人がいる中国の隣人として、私たちには何ができるのでしょうか?

天安門事件で始まった平成から令和元年の課題

先日、法定外シャローム大学の講義で参加した障がい者の方々と「平成はどんな時代だったか」とディスカッションをしたら、「平和な時代だった」との意見とともに、「それは日本だけかもしれない」など、いろいろな意見が出た。昭和が先の大戦の「空襲」「原子爆弾」等の印象が強いだけに、誰にとっても平和かどうかは時代を見る重要なキーワードだ。

令和スタートに際し、平成元年、1989年を振り返ると、その年の6月4日に中国で天安門事件があったことを忘れてはならないだろう。つまり、今年は天安門事件から30周年。中国政府は、その節目に神経を尖らせているようで、中国では「今年は6月4日がなく、その日は5月35日らしい」(関係者談)とのジョークも出ているらしい。

天安門事件が私たちに今も語りかけているのは、中国の人民軍が市民に発砲し、血だらけで運ばれる学生や市民の生々しい映像の影響が大きい。

加えて、中国政府はもちろん、当時権力を握っていた鄧小平も詳細な説明をしないままこの世を去ったから、物語は終わっていないのである。

現実を伝え続けている映像は、たまたまソ連のゴルバチョフ書記長が北京を訪問した日程に事件が重なり、外国メディアが北京に集結していたために、撮影され、世界に発信された。この「痛手」から中国政府のメディア対策の徹底ぶりがその後も今も顕著となったともいえる。 天安門事件の民主化運動のリーダーたちは海外に置かれたまま、その発言は中国国内には届かない仕組みにしているし、連座制により家族の自由も制限されては、民主化を叫ぶ声は沈黙するしかないであろう。

その中でノーベル平和賞を受賞した劉暁波は海外に亡命することなく中国に居続けたが、北京五輪が開催された2008年に、中国の未来ビジョンである「08憲章」をインターネットに発表し、国家転覆罪に問われ獄中で亡くなった。

文化大革命後、北京師範大学で初めて博士号を取得した知識人エリートの彼は米国コロンビア大の研究員の時に帰国し、天安門事件に身を投じた。 徹底した非暴力主義を貫き、ハンガーストライキで抗議し、天安門広場で「学生諸君たちよ、キャンパスに帰ろう、命を大切にしよう、未来の民主主義を建設するために君たちはこれから重い責任がある」と訴え、人民軍との交渉で広場の無血開城を成し遂げた人物である。

事件の泥沼化を阻止した功績は、事が終われば中国側にとっては危険分子だった。その後投獄され、自由は奪われ、その発言も制限された。

関係者によると、芸術家の妻、劉霞さんはドイツで静かに暮らす。連座により中国では弟が獄中におり、声を出すことはできない。あからさまな殺戮がないにせよ、このように自由が奪われた状態に市民が追いやられることは、戦争にも似た悲劇。国家に権力を与えすぎると起こる摂理のようなものかもしれない。

天安門事件の映像は、中国の警戒心とともに、外国の目線を無視できない、という2つの行動を導き出している。天安門事件からの30周年に海外で民主化を叫ぶ中国人は少なくない。その声を隣人としてどう受け止めればよいか、平和を願う私たちの、令和元年の課題でもある。

image by: TY Lim / Shutterstock.com

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特別支援教育が必要な方への学びの場である「法定外シャローム大学」や就労移行支援事業所を舞台にしながら、社会にケアの概念を広めるメディアの再定義を目指す思いで、世の中をやさしい視点で描きます。誰もが気持よくなれるやさしいジャーナリスムを模索します。

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