MAG2 NEWS MENU

なぜマスコミは衆参ダブル選挙が「行われる方向」で報道するのか

噂される今夏の衆参同日選を巡り、さまざまな報道を繰り広げるメディア各社。民主党結党において大きな枠割を担い、長く政界を分析し続けてきたジャーナリストの高野孟さんは、一連の流れや「衆院解散」についてどのような意見をお持ちなのでしょうか。メルマガ『高野孟のTHE JOURNAL』最新号に詳しく記されています。

※本記事は有料メルマガ『高野孟のTHE JOURNAL』2019年5月20日号の一部抜粋です。ご興味をお持ちの方はぜひこの機会にバックナンバー含め初月無料のお試し購読をどうぞ。

プロフィール高野孟たかのはじめ
1944年東京生まれ。1968年早稲田大学文学部西洋哲学科卒。通信社、広告会社勤務の後、1975年からフリー・ジャーナリストに。同時に内外政経ニュースレター『インサイダー』の創刊に参加。80年に(株)インサイダーを設立し、代表取締役兼編集長に就任。2002年に早稲田大学客員教授に就任。08年に《THE JOURNAL》に改名し、論説主幹に就任。現在は千葉県鴨川市に在住しながら、半農半ジャーナリストとしてとして活動中。

大義も名分もない衆参同日選を囃し立てるマスコミの奇怪──この際「7条解散」の悪慣行を廃絶しよう!

「衆参同日選の可能性、高まる与野党双方の見方」(NHK 14日)、「憲法改正争点に、広がる衆参同日選の憶測」(産経新聞、16日)など、マスコミがこぞって同日選を煽るかのような報道を続けているのが奇怪である。いや、各メディアに言わせれば、与野党幹部がそれを口にするので“客観的に”報道しているだけなのだろうが、実際は各所の会見で「どうなんですか?」と水を向けているのは記者たちで、それで得た片言隻句を記事にして見出しを立てるから、政治家はまた翌日、何か言わなければならなくなる。

そりゃあ確かに同日選となれば、外交・内政・経済の何もかもが八方塞がりに陥っている安倍政権の一か八かの大ギャンブルで、一気に政権立て直しになるかもしれないし崩壊・退陣に突き進むかもしれない大騒動になる。そうなれば面白いと思って煽っているのだろうが、ここは一つ踏みとどまって「こんな馬鹿げた解散で政治を弄んで国民を惑わせるのは止めろ!」と安倍晋三首相に集中砲火を浴びせ、暴走に歯止めをかけるべきではないのだろうか。

改憲や消費増税延期がなぜ選挙のテーマなのか?

問題は2つあって、第1に、そもそも首相が「伝家の宝刀」とか言って自分の好きな時に衆議院を解散して政局を一新しようとすることが、憲法上正しいことなのかどうか。これは後で述べる。

第2に、仮に首相に解散権があるとしても、だからといって首相や与党の自己都合だけで何の制約も受けずに自由気ままにそれを発動していいわけがない

例えば、産経が言うように「憲法改正を争点にした同日選」というものがあったとして、これについて与野党はそれぞれ何を訴え有権者は何を判断して選択を下すのか。そもそも衆参両院の憲法審査会は昨秋の臨時国会から今年の通常国会も終盤近くなった今日まで、ろくに開かれておらず、安倍首相が一昨年5月に提示し自民党大会が昨年3月それを追認して「改憲条文イメージ」としてまとめた4項目をはじめとして、改憲の中身については、肝心の国会自身がまだ議論を始めていない

繰り返すが、仮に首相に解散権があるという前提に立っての話だけれども、改憲を争点にしてそれを発動するにはそれなりの必然性──国会で散々議論して論点も出尽くし、その過程で国民の間でも賛否両論、大いに議論が巻き起こって機運が熟してきたというのに、例えば野党が不当な抵抗をして発議に持ち込めずに膠着してしまったというような場合に、国会の中だけでは解決できない状況を打開するためにやむをえず国民に信を問うということはあるだろう。それならば、国民が広く納得して投票所に向かうような、それなりの大義名分が立つはずである。

ところが今の状況を野党や国民から見れば、安倍首相からまだキチンと説明を受けたこともない改憲案を争点として選挙で信を問うとか言われても、判断のしようもない。なのに、どうして産経のような見出しが立つのかと言うと、その記事によれば、5月16日の下村博文=自民党改正推進本部長・細田派事務総長の会見の際に「改憲論議が停滞している状況を打破する目的での同日選の可能性」を記者団から問われて、下村氏が「『(野党から)内閣不信任が出るなら受けて立つべきだという人がちらほら出てきている」と答えたからである。

産経がデッチ上げた扇動的な見出し

注意して欲しいのだが、下村氏は改憲を争点とした同日選の可能性について何も言及していない。そういうものがありうるかのように質問して挑発したのは記者団である。ところが下村氏は挑発に乗らずに、内閣不信任案が出された場合に“69条解散がありうるとする人が党内にちらほら存在すると、改憲とは無関係の一般論を述べている。これが、無理に合成されて「憲法改正争点に広がる衆参同日選の憶測」という見出しが立つのである。記事中では、自民党の甘利明選対委員長が同日、改憲を争点とした衆院選について問われて「首相がその考えに現時点で同調しているとは、まだ私には思えない」と述べたとも記されている。つまりこの産経の見出しは世論誘導目的のほとんどデッチ上げなのである。

昨秋に憲法改正推進本部長に就いた途端に失言して野党の態度を硬化させてしまったのは下村氏自身で、その結果として憲法審査会がろくに開かれていないというのが「改憲論議が停滞している状況」なるものの実質である。それを打開するのは国会内で下村氏が何とかしなければならない問題で、それを国民に問うても仕方のないことである。だから、現時点で「改憲論議が停滞している状況を打破する目的での同日選の可能性」などどこにも存在していない

4月に萩生田光一=自民党幹事長代行が口にした、10月の消費増税再々延期の場合には「国民の了解を得るため信を問わなければならない」というのも、同様の虚偽の課題設定で、アベノミクス6年間の果てに景気「悪化」に直面しつつあるという惨憺たる経済状況について国会が徹底的に議論を深め、これを打破する方策を競い合っているのを刻々と国民が観ていて、その上で採取判断を委ねるならまだしも、国会は議論せずマスコミでもごく一部を除いて何も語っていないというのに信を問われても迷惑である。与党が消費増税をしようとしていることに野党の多くが反対していて、その与党が野党に同調して増税を先延ばしするというのであれば、そこには何の争点も形成されえない。有権者は増税が嫌に決まっているからそれを言い出した自民党に投票することになるという、これは一種の劣情に訴える詐術的なポピュリズムで、そのような総選挙を安倍首相はすでに2回も繰り返していて、まだ同じ手口を繰り返そうとしている。

天皇を「安倍一強」の道具に悪用するな

さて、戦後日本の政治慣行として衆議院の解散には2種類があり、憲法に明文規定があるのは唯一つ、「第69条 内閣は、衆議院で不信任の決議案を可決し、又は信任の決議案を否決したときは、十日以内に衆議院が解散されない限り、総辞職をしなければならない」で、つまり国会で不信任決議が可決するか信任決議が否決された場合に、内閣が取りうるのは衆議院解散か内閣総辞職かのどちらかだということになっている。

もう1つが「7条解散」で、これは天皇の国事行為を定めた第7条で、「第七条 天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ」として挙げられている次の10号のうち第3号を取り出して、「内閣の助言と承認があれば天皇に国会を解散することを宣示させることが可能であるというものである。

  1. 憲法改正、法律、政令及び条約を公布すること。
  2. 国会を召集すること。
  3. 衆議院を解散すること。
  4. 国会議員の総選挙の施行を公示すること。
  5. 国務大臣及び法律の定めるその他の官吏の任免並びに全権委任状及び大使及び公使の信任状を認証すること。
  6. 大赦、特赦、減刑、刑の執行の免除及び復権を認証すること。
  7. 栄典を授与すること。
  8. 批准書及び法律の定めるその他の外交文書を認証すること。
  9. 外国の大使及び公使を接受すること。
  10. 儀式を行ふこと。

これは牽強付会としか言い様のない憲法解釈で、1952年8月の第3次吉田内閣による「抜き打ち解散」の時に立てられた屁理屈がそのまま“前例”として定着し濫用されるようになった悪慣行である。

第7条は全体として、もはや一切の政治的権限を有しなくなった天皇が、それでも「象徴」とされる範囲内で内閣の言いなりに形の上でのみ大事な国事を宣示したり人事などを認証したりすることを定めているもので、それに内閣が好きな時に衆議院を解散することができるという決定的に重要な実質的な政治的機能を託するのはとんでもない間違いである。

もし第69条の規定にもかかわらず第7条をそのように曲解して内閣の解散権を根拠づけるのであれば、例えばこの第1号を取り出して、第96条では憲法改正について「各議院の総議員の三分の二以上の賛成で国会がこれを発議する」と規定しているにもかかわらず、第7条第1号で「内閣の助言と承認により…憲法…を公布する」とされているので、内閣が第96条を飛び越えて勝手に憲法を公布しても構わないということになってしまう。同様に、第59条は「法律案は……両議院で可決したとき法律となる」と定めているが、第7条第1号を曲解すればそれを飛び越えて「内閣の助言と承認により……法律、政令及び条約を公布すること」が可能になってしまう。

ちなみに、7条解散の先駆となった吉田茂首相「抜き打ち解散」とは、1951年9月のサンフランシスコ講和=日本独立によって鳩山一郎が追放解除され政界に復帰し、彼を支持する勢力が「吉田辞任」を求めて自由党内の抗争が激しくなったために、何と、同党内で吉田派を増やし鳩山派を抑え込むための“政局一新”を目的として屁理屈を立てて決行されたもので、そもそもの最初から政局ゲームに天皇を政治的に利用するという邪悪な意図が含まれていた。

せっかくの令和への世代わりであるから、こうした悪しき慣行は与野党熟議の上、廃絶したらどうだろうか。

image by: 自由民主党 - Home | Facebook

※本記事は有料メルマガ『高野孟のTHE JOURNAL』2019年5月20日号の一部抜粋です。初月無料の定期購読のほか、1ヶ月単位でバックナンバーをご購入いただけます(1ヶ月分税込864円)。

こちらも必読! 月単位で購入できるバックナンバー

初月無料の定期購読手続きを完了後、各月バックナンバーをお求めください。

2019年4月分

※ 1ヶ月分864円(税込)で購入できます。

高野孟この著者の記事一覧

早稲田大学文学部卒。通信社、広告会社勤務の後、1975年からフリー・ジャーナリストに。現在は半農半ジャーナリストとしてとして活動中。メルマガを読めば日本の置かれている立場が一目瞭然、今なすべきことが見えてくる。

有料メルマガ好評配信中

  初月無料お試し登録はこちらから  

この記事が気に入ったら登録!しよう 『 高野孟のTHE JOURNAL 』

【著者】 高野孟 【月額】 初月無料!月額880円(税込) 【発行周期】 毎週月曜日

print

シェアランキング

この記事が気に入ったら
いいね!しよう
MAG2 NEWSの最新情報をお届け