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吉本問題が示した、芸人への不寛容と芸人風タレント増産の絶望感

世間を騒がせる吉本興業の問題をきっかけに、「人を笑わせることの困難さ」と「困難なことをやってのける芸人」について思いを巡らせるのは、メルマガ『8人ばなし』の著者の山崎勝義さんです。山崎さんは、涙ながらに真摯に会見する芸人の姿を「最早芸人ではなく普通の人に見えた」と述懐。今回の事件により「『お笑い』というものの一部が死んでしまったような気がした」と、「芸人」をリスペクトするが故の思いを吐露しています。

芸人のこと

人を笑わせるということは存外に難しい。その辺のところは同じ感情噴出でもほぼ真逆に当たる「泣く」ことと比較してみるとよく分かる。言うまでもないことかもしれないが「笑う」ことも「泣く」ことも何らかの外的要因への反応という点では同じである。ただ決定的に違うのは「笑う」ことが常に外的要因を必要とするのに対して「泣く」ことは内発的要因だけでも可能というところである。

簡単な表現にしてしまえば「一人で泣くのは簡単だが、一人で笑うのは難しい」といった感じであろう。無人島に一人ある人が絶望して泣くことはあっても笑うことはまずない。あれば恐い。ものすごく恐い。これは特殊なシチュエーションだがそれなりの共感は得られるのではないだろうか。

そういう訳で、人を笑わせるのはまず難しいと言える。故にそれを生業とする芸人は恐るべき存在なのである。常に誰かの(笑いの)外的要因であり続けなければならないからだ。逆に言うと、それほどに難儀なことであるからこそ商売にもなる。芸人という職業を所謂タレントとしてではなく、そういった意味において再定義した時、そこには大なり小なりの犠牲が伴うであろうということは容易に想像ができる。誤解を恐れずに言うと、芸人は芸人である限り普通の人間ではないのである。

今「吉本興業問題」が世間を騒がしている。連日さまざまなメディアにおいてその功罪が議論されているところであるが、ここでは一言だけ言っておきたい。「株主である在京在阪テレビ局が何をか言わんや」。

個人的には、今回の事件で何か「お笑い」というものの一部が死んでしまったような気がした。涙ながらに真摯に会見する芸人の姿最早芸人ではなく普通の人に見えた。普通の人では誰かの(笑いの)外的要因であり続けることはできない。だからもう笑えない。

吉本所属芸人の鉄板ネタの「親族に吉本に入りたいと言う人がいたら全力で止めて下さい」的な言い回しももう笑えない。さらにこの事件が今後、一部の芸人の間でタブー視すべきことにでもなったらもう笑いどころではない。想像するだけで息が詰まる。

言うまでもないことだが、芸人だって人間である。人間である以上は人権がある。当然、謝罪や弁明の機会が与えられて然るべきであろう。しかし人間として振る舞った以上は、人間としての同情を集めることはできたとしても、芸人としての笑いを得ることはできない。だから(自分としては)もう笑えないのである。

しかしそう思うと「死ぬまで芸人」というのは全く恐るべきことである。所謂「大物芸人」なるものの存在が異常なまでに大きく思える。これはちょっと考えたくないことだが、もしかしたら芸人というものを一つの生き様として認め続けることに世の中自体が不寛容になってしまったのかもしれない。

そもそも反社会と非社会は全く違う。芸人は普通っぽくないという意味においては非社会的存在であると言えないこともない。ただそれを普通っぽくないからという理由でそのまま許容することができず、悉く定型社会の中に無理にでも折り込んで表見的には普通の人であることを強要したところで毒にも薬にもならない芸人風タレントが出来上がるばかりである。そんな芸能界はきっと退屈だろう。つまらないだろう。笑えないだろう。

我々は一人では笑えない。だから「お笑い」が好きなのである。芸人として生きることを選んだのなら、せめてこのことだけは忘れないでもらいたい。

image by: © 内閣官房内閣広報室 [CC BY 4.0], via Wikimedia Commons

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ここにあるエッセイが『8人ばなし』である以上、時にその内容は、右にも寄れば、左にも寄る、またその表現は、上に昇ることもあれば、下に折れることもある。そんな覚束ない足下での危うい歩みの中に、何かしらの面白味を見つけて頂けたらと思う。

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