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人類史上「破格の天才」2人、モーツァルトとラマヌジャンの共通点

日常生活において不思議に思ったり、ちょっと気になったあれこれについて考察するメルマガ『8人ばなし』。著者の山崎勝義さんは今回、あまりに安易に使われるきらいのある「天才」の定義付けを改めて行っています。その結果に従うとあのアインシュタインすらも「天才」ではなくなり、山崎さん自身が知る「天才」は人類史上2人だけになると紹介。その2人の共通点について語ります。

天才について

歴史上天才と呼ばれる人は意外に多い。そもそも「天才」という言葉自体が揮発的な意味を若干持ちつつ「お前って天才だな」風に軽薄に使われるせいもあって、用例としてはどうしても数的に多くなってしまい、結果稀少価値が下がるということはある程度は仕方のないことであろう。

では、真に天才たる者が存在したとして、どのように定義付けたらよいのだろうか。それは空前絶後という言葉に尽きる。つまり、何の脈絡もなく突然現れ、死後それを継承する者がいない、といった存在である。言い換えれば人類の発展における特異点とでも言うべき存在である。

この定義を厳格に運用すれば、あのアインシュタインでさえ、天才には入らない。彼の相対性理論は、彼がいなくても十年以内には誰かが発表しただろうことは理論物理学の歴史を振り返ってみても容易に想像ができるからだ。つまり、特異点とは言えないということで天才たりえないのである。

しかし、一般的にはアインシュタインは大天才だから、ここで言う「天才」とはもっとも厳しい基準によって定義された「破格の天才」くらいでちょうどいいのかもしれない。

さて、その定義に従えば、自分の知識の及ぶ限りでは、天才は2人しかいない。モーツァルトとラマヌジャンである。長い人類史の中で比較的近代に偏っているのは空前絶後かどうかを証明する程にその当時の資料が残っていないからである。他にもきっといたに違いない。

以下、2人を簡単に紹介しておく。

この2人の天才の業績を、大凡人たる自分があれこれ論じるのは越権行為も甚だしいので、今回は別の切り口から話を進めてみようと思う。時間も場所も分野も異なるこの2人の共通点を考えてみたいのだ。

まず第1に、何と言っても薄命であることである。享年モーツァルト35歳、ラマヌジャン33歳である。

第2には、名伯楽の存在である。モーツァルトには父レオポルトがいたし、ラマヌジャンにはケンブリッジのG.H.ハーディがいた。

第3は、仕事の美しさである。勿論、モーツァルトの音楽が美しいのは当たり前のことだが、ここでは視覚的な美しさを取り上げたいのである。音楽である以上、その伝達方法は楽譜である。モーツァルトはその直筆の楽譜が残っているから分かるのだが、実に美しいのである。そもそも訂正箇所がほとんどない(というより事実上全くない)。

音符が右上に踊り上がるような感じで、その筆の勢いがよく伝わる。湧き上がる曲想に書く手が追い付かないような印象さえある。

一方、ラマヌジャンは数学者だからその仕事は数式として残っている。これが、素人が見ても美しいのである。美しいが故に難解であり、その解読、証明事業は大きな山場を越えはしたものの今猶続いている。彼が特異点的な存在である証拠である。

それにしても第1・第2の共通点を見るに、彼ら2人の不幸と幸福を感じざるを得ない。如何な名馬も名伯楽なくして世に出ることはない。その意においては何という幸福か。しかし、このあまりの短命は何という不幸か。

彼らの享年を遙かに超えた今、モーツァルトとラマヌジャン、2人の天才への尊敬の念は益々強くなっているように思える。

image by: creofire.com (archived from the original) [Public domain], via Wikimedia Commons, Shutterstock.com

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ここにあるエッセイが『8人ばなし』である以上、時にその内容は、右にも寄れば、左にも寄る、またその表現は、上に昇ることもあれば、下に折れることもある。そんな覚束ない足下での危うい歩みの中に、何かしらの面白味を見つけて頂けたらと思う。

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【著者】 山崎勝義 【月額】 ¥220/月(税込) 初月無料! 【発行周期】 毎週 火曜日 発行予定

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