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人の記憶に近いのは「上書き保存」か「名前を付けて保存」か?

現在40代後半以上の日本人の多くが、おそらく大人になって初めて目にし耳にした言葉「上書き保存」。最初はこの言葉に違和感があったのに、いまでは「親近感」すら感じると語り、その理由を探るのは、メルマガ『8人ばなし』著者の山崎勝義さんです。思考の果てに山崎さんが行き着いたのは、人間の記憶の仕方が「上書き保存」だからではないかとの考えでした。いったいどういうことなのでしょうか?

上書き保存のこと

「上書き保存」。初めてこの言葉をデスクトップ画面上に見た時の違和感はちょっと忘れられない。

勿論「上書き」も「保存」もそれまで存在しなかった語という訳ではない。ただ「上書き」はそれ自体滅多に使うことのない珍しい語であった。そもそもの語義としては、手紙や贈答品の表に文字を書くこと(所謂、表書き)あるいは紙等の節約のために既に書かれた文字の上に重ねて文字を書くこと、といった感じであろう。

なるほど滅多に使わない筈である。現代では手紙は滅多に書かないし、贈答品の類は表書きがプレプリントされていたりして自分で筆を執ることは滅多にない。紙に至ってはふんだんにあるから重ね書きなどをすることも滅多にない。それでも意味は分かる語であった。

それがありふれた「保存」と組み合わされて「上書き保存」という新造語となりPCにおけるデータ保存の一つのあり方を意味するようになったのである。言うまでもなくこの「上書き」は重ね書きの方のイメージである。文章に文章を上から重ねて書いて保存という訳である。

ただこれがなかなかに分かりづらかった。そもそも文字に文字を上書きしたものは既に反古ではないか、それを保存してどうするのか、そんなふうに考えたりしたのである。それに「上書き」と言っても上書き的行為をしているとは到底思えず、せいぜい書き加え、書き直しと言ったところで落ち着くべきであるような気がして仕方がなかった。これが、例えば「最新のものを保存」とか「現行のものを保存」だったら余程分かりよかったことであろう。

ともかく「上書き」すればそれまでのものはなくなってしまうという結果が何とも空恐ろしくて、初めの頃はやたらと「名前を付けて保存」をしては分身ばかりを増やしていたような気がする。

ところが今ではこの「上書き保存」にすっかり馴染んでしまっている自分がいる。概念としては勿論のこと、記憶デバイスにデータが上書きされていく様子が観念的にも理解できるのである。ほぼ毎日使う物とは言え、この変わりようである。自分でも少し呆れてしまう。

そればかりか「上書き保存」という言葉に何とも言えないしっくり感を抱いてしまうのである。これはちょっと不思議な感覚である。この「しっくり」はどこから来るのだろう。一体何に親近感を覚えているのだろう。

そもそも人間の記憶は上書き保存?

よくよく考えれば、人間の記憶も「上書き保存」式のような気もするのである。過去を大胆に再編、改ざんし、図々しくも自分に都合のいいように美化した思い出のみを記憶として蓄積して行く。これは決して嘘をついている訳ではない。そこに悪意はないからだ。

おそらくこうした記憶の美化は精神の均衡を保つためのある種の防御機能のようなものなのであろう。たまに昔のことをふと思い出した時など、涙を流していても幸せそうに見えたりするのはこの機能が作用してのことなのかもしれない。実際、とてものこと美化できないような惨事・惨状を経験した人がその精神に何らかの異常を来すことは珍しいことではない。

あるいは逆に、人は記憶を美化するのではなくて、美化した(あるいは美化できた)ものだけを記憶するのかもしれない。精神的ショックに起因する健忘症はその傍証とは言えないか。

人をその人たらしめているのは記憶であると言う。今仮に自分にとってのみ優しい記憶だけで人はできていると言い換えたとしたらどうだろう。人とは何と図々しく、何と哀しい存在か。

そしてまた自分も自分であるために、昨日までがそうであったように今日も明日も明後日もこの「上書き保存」をし続けるのである。嘆息しつつも記憶に(あるいは記憶から)護ってもらうために続けるのである。

どうやら人の記憶においては「名前を付けて保存」的な多世界解釈は許されないみたいである。皮肉なこととも思えるが、如何にも「人生」らしくてちょっと面白い。

image by: Shutterstock

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ここにあるエッセイが『8人ばなし』である以上、時にその内容は、右にも寄れば、左にも寄る、またその表現は、上に昇ることもあれば、下に折れることもある。そんな覚束ない足下での危うい歩みの中に、何かしらの面白味を見つけて頂けたらと思う。

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