就職したら定年まで1つの会社で勤め上げる時代ではなくなり、転職や起業を具体的に考えている人も多いのではないでしょうか。そして、決断できずにいるという人も…。そんなときには先達の経験が参考になるもの。メルマガ『毎月1000人集客するプロ講演家が教えるコミュニティづくりの秘訣』では今回、著者でベストセラー作家・起業家の岡崎かつひろさんが、自身の会社員時代から独立までを振り返り、独立を考え始めた理由から決断に至った決め手まで、包み隠すことなく綴っています。
「仕事だけできればいい」わけではなかった!結果を出しても人間関係でつまずいた理由
1.「新しいことにチャレンジしたい」やるべきことは?
社会人生活も2、3年たってくると、「このままの生活でいいのかな」「もっと新しいことにチャレンジしたほうがいいんじゃないか」と、考える時期が来ると思います。僕もそうでした。
新しいことにチャレンジしたい。会社を辞めてしまえば楽になるけれど、辞めてしまって失うもののほうが大きい気がする。僕の場合、ソフトバンクで働いたこともあって、はやり大手企業を出るというのは、迷いました。ただ、僕が悩んだ時に一歩前に踏み出せたのは、人とのいい出会いがあったからです。
2.成功者にはある一定のバイオリズムがある。波に乗るためには?
この間、田中克成さんを呼んで講演会を実施しました。彼は、成功のバイオリズムについて研究をしている人です。これまでに成功していく人たちの生い立ちから始まり、1年ずつどんな生活をしていたのか、何を考えていたのか、600人の人たちにインタビューしたそうです。
そうすると、成功者には必ずある一定のバイオリズムがあることがわかったそうです。それは、まず成長期があり、そこで一気に伸びます。その次に停滞期がきて、伸び悩む時期にぶち当たります。そのあとは過渡期、トラブルが起こりやすい時期です。そのあとに、もう1度成長期に入っていくのです。これをすべての成功者は繰り返しているそうです。
僕もその通りだと思います。何か一歩上がらない。やることなすことうまくいかない時があります。その時に抜け出すきっかけとなるのはなにかというと、人との出会いです。
3.伸び悩む時期、抜け出すヒントは人との出会い
僕自身、振りかえってみると26歳のときは過渡期。結果はでていたけど、仕事をやっても不安でした。1年上の先輩からは「岡崎は生意気だ」といわれて揉めたこともあります。ありがたいことに、僕自身はマネージャー層からは評価されていたのですが、それがまたやっかみを生んだんですよね。そんなこともあるから、当然社内での居心地はよくなかったんです。
そんなこともあり「このままここにいても先が見えているから、転職しようかな」と思ったんです。ただ、転職しようにも、当時は転職サイトの「リクナビ」もなかったから、大学時代の友人に連絡して「お前の会社はどう?」と聞いて回っている時に、「起業して成功している人がいるから会ってみる?」といわれて、そこであったのが当時の師匠でした。
それがなかったらうだつが上がらず、もやもやしながらそのまま会社にいたと思います。会社ではそこそこ出世したでしょうが、ストレスばかりが大きくなる状態だったと思います。なので、転職するかそのまま残るか、どっちが正解かは人によって違うのでわかりません。
そういうときに大事なのが人との出会いだし、自分が憧れるようなメンター、尊敬できる人を探してみる。そしてその人から言われた意見を取り入れてやってみる。
4.尊敬する先輩が地方左遷。「このままこの会社に残っても先はない」
当時は、社内には深く相談できる人はほとんどいませんでした。ただ、課長は仲が良かったんです。課長にはよく相談に乗ってもらったり、2人で飲みに行って、24時から4時まで話し合っていました。なので、課長の存在に救われていましたね。
課長は、当時26歳くらいです。ただ、僕が転職しようと思った時、彼は左遷人事で地方に飛ばされたんですよ。それもあり会社へのモチベーションがさがっていたということもありました。僕が会社にいる時は、その課長にいろんな相談に乗ってもらっていたんです。そのおかげで、納得いかないことがあっても自分なりに理解し、頑張れることができました。
5.がむしゃらに目の仕事に集中する日々。「考える時間すらなかった」
その後、僕は26歳になり、ありがたいことに3年目で企画の仕事に移らせてもらいました。仕事のやりがいはあったけど、人間関係のモヤモヤが多くて、1年間やりました。当時、「毎月100時間残業するのは当たり前。全部で4個の寝袋を会社に持っていました。当時、僕は二拠点で働いていたので、それぞれに2個ずつ置いていました。1つはかけ布団用。1つは枕。どうしても寒い時には2枚かけて寝ていました。
忙しすぎるくらいに忙しいと何も考えられないんですよ。ひたすら仕事に追われていて、将来のことを考えることもなく、とにかく目の前のことに集中しているんです。だから結果は出ます。それはよかったんですけど、ただ、それで2007年3月。忘れもしない。僕がやっていた3つのプロジェクトすべてが同時に終わったんですよ。それで暇になって考えました。
6.独立するタイミングは?副業で月40万円稼げても躊躇したワケ
「会社の先輩は尊敬しているけど、ああなりたいわけではない」と感じている自分に気づいてしまったのです。それからすぐに、友達から紹介してもらった人、のちに師匠となる人みたいになりたいと思ったんです。
そこで「その人がどうやって起業したんですか?」と聞いたら、会社が終わった後の時間と土日を使って、当時にしては珍しく副業をしていたそうです。会社の収入よりも副業が大きくなるまで育てて、それができたから会社を辞めたという話を聞いたんです。それで「自分にもできそう」と思い、起業しようと思ったのです。
実際に会社を辞めたのは2008年1月です。当時、副業をやっていてビジネスだけで40万円稼げていたんです。会社の収入が30万。ダブルインカムでもおいしいことはおいしいんですけど、「お金よりも時間でしょ」と思って辞めました。
7.松下幸之助に学ぶ「いましかできないことに挑戦する力」
月40万円稼げるとはいえ、保証があるお金ではないですよね。本当にやめていいのかなと悩みました。そのときに松下幸之助さんの『決断の経営』という本を読みました。そのくだりに、まわりの人から「松下さんはビジネスがうまくいかなくなったらどうするつもりですか」といわれた時に、「屋台でも作って食っていきます」と答えたそうです。
どういう意味かといえば、「サラリーマンはいつでもできる。一回失敗したところで気にすることはない。いざとなれば、うどん屋をやってもいいし。会社員に戻ってもいいと考えたら、会社をやめることはそんなに怖いことではない」というエピソードが載っていました。
それを読んで「たしかにそうだな。会社員の仕事はいつでもできるし、会社を辞めて自分の能力さえあげていれば、今よりももっと素晴らしい環境でできる。そう考えると、そこにしがみつくよりも、1回辞めて、独立して個人として自分のスキルを上げていく方が、価値があるんじゃないかと、そう思いました。
起業して随分たちますが、あの時に会社に残らず独立の道を歩んだことは自分にとってものすごく大きなプラスとなる出来事でした。当時、僕はまわりの人との関係がまったくもってうまくいっていなかったのですが、もし人間関係がよかったら、独立するしないに関わらず、また違っていたのかもしれません。
「仕事さえできていればいい」と思うのは本人ばかり。まわりからみたら、当時の僕は付き合いにくい人だったと思います。でも、ちょっとしたことをきっかけに、職場での人間関係って大きく変わってくることがあるんですよね。(メルマガ『毎月1000人集客するプロ講演家が教えるコミュニティづくりの秘訣』より一部抜粋)
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