代表作「カムイ伝」で知られる漫画家にして、『月刊漫画ガロ』の立ち上げにも関わった白土三平(本名・岡本登)さんが8日、誤嚥性肺炎で亡くなっていたことが「ビッグコミック」編集部より発表された。89歳だった。また、白土さんの実弟で「カムイ伝 第二部」の作画を担当していた岡本鉄二さんも4日後の12日、間質性肺炎で亡くなったことも明かされた。
白土さんは1932年に現在の東京・杉並区生まれ。父はプロレタリア画家の岡本唐貴(とうき)で、白土さんは幼少期、関西周辺を転々としていたという。
戦時中は長野に疎開し、戦後に東京へ戻った白土さんは、紙芝居作家などで生計を立て、その後に貸本漫画家に転じた。白土さんの「忍者武芸帳」を出版した貸本漫画の出版社「三洋社」を立ち上げた長井勝一氏が、三洋社を解散して1961年あらたな出版社として「青林堂」を起業。1964年には、白土さんの代表作「カムイ伝」を連載するための雑誌『月刊漫画ガロ』が創刊された。雑誌名の「ガロ」とは、白土さんの漫画「やませ」に登場する忍者「大摩のガロ」からとったと言われている。
白土さんは、この「カムイ伝」を連載するために「赤目プロダクション」を立ち上げ、多くの作品を量産していった。「カムイ伝」は江戸時代に被差別部落で差別に苦しむ人々の様子を描いた壮大なストーリーの長編マンガ。『ガロ』では1971年まで連載が続けられ、「カムイ伝」は学生運動に参加する学生たちの間で人気を博したという。同時期に『週刊少年サンデー』では「カムイ外伝」を不定期連載、その後『ビッグコミック』にて『カムイ外伝 第二部』(1982年〜1987年)、また同誌にて『カムイ伝 第二部』(1988年〜2000年)が連載されていた。
今回亡くなられた白土さんの代表作「カムイ伝」を連載するために漫画雑誌(『月刊漫画ガロ』)が創刊されたというのも驚きだが、その後の『ガロ』誌は個性的な新人漫画家の登竜門となり、名前を聞いただけでも驚くほど多くの有名漫画家を輩出しているのだ。
みんな知っている、意外な『ガロ』出身マンガ家は?
実験的な漫画や他の雑誌では載らないような個性的すぎる漫画ばかりを掲載してきた『ガロ』は、いつしか「ガロにでも持っていけば?」と有名出版社の編集者が持ち込み作品を断る際に例として挙げるほど、「個性的すぎる漫画雑誌」の代名詞として、その名前がよく知られていた。
そんな、個性的な漫画ばかりを載せていた『ガロ』がデビューという、意外な漫画家たちをご紹介しよう。
- 蛭子能収(バスの旅でおなじみタレント・漫画家のエビスさん、デビュー作「パチンコ」1973年)
- みうらじゅん(「ゆるキャラ」の名付け親のイラストレーターなど。デビュー作「うしの日」1980年)
- 矢口高雄(「釣りキチ三平」作者、デビュー作「長持唄考」1969年)
- 久住昌之(「孤独のグルメ」原作者。漫画家・泉晴紀と組んだ「泉昌之」名義、デビュー作「夜行」1981年)
- 森下裕美(ゴマちゃんでおなじみ「少年アシベ」作者。デビュー作「少年」1982年)
- 古屋兎丸(人気マンガ「帝一の國」作者。デビュー作「Palepoli」1994年)
- 佐々木マキ(絵本「やっぱりオオカミ」、村上春樹「ダンス・ダンス・ダンス」などの表紙絵で知られる絵本作家。デビュー作「よくあるはなし」1966年)
- 林静一(ロッテCM「小梅ちゃん」、はっぴいえんど『ゆでめん』ジャケ絵、漫画「赤色エレジー」で知られる漫画家。デビュー作「アグマと息子と食えない魂」1967年)
- 杉浦日向子(NHK「お江戸でござる」解説などで知られた江戸風俗研究家、漫画家(2005年他界)。デビュー作「通言・室之梅」1980年)
この他、花くまゆうさく、東陽片岡、ひさうちみちお、逆柱いみり、本秀康など、「ガロ」からプロデビューした漫画家やイラストレーターは枚挙にいとまがない。これだけの個性的な作家をデビューさせた『月刊漫画ガロ』は現在休刊となっているが、その精神は当時の編集者たちが立ち上げた出版社「青林工藝舎」による新たな漫画雑誌『マンガの鬼 アックス』(青林工藝舎刊、隔月刊)に継承され、現在に至っている。
すべては稀代の漫画家・白土三平さんの「カムイ伝」から始まった、「ガロ」系漫画の歴史。あらためて、白土三平さんに哀悼の意を表します。
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